アート思考は自分との対話から始まる【アート3部作・第1章】
【超訳】「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出し、それによって「新たな問い」を生み出す。これぞアート思考
実は私自身、図工と美術が一番の苦手であり、アートは苦手意識が強かった。しかし、この書籍を通して、アートとは単なる作品の上手・下手ではないことに衝撃を受けた。アート作品というのは、表出にすぎない。
自分の内側にある興味と探究心に向き合うことがアート思考であり、自分なりの見方や物事をどうやってとらえるかが遥かに重要なのだ。
この本で紹介されている作品も視点を変えるだけで面白さが劇的に変わる。感性や表現を豊かにすることは人生が豊かになる。満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。人生の質を高める気付きとなる一冊だ。
アートにしかできないことは何か?
ルネサンス時代は、画家が描きたいものを自分の好きなように描く時代ではなかった。教会や金持ちによって雇われ依頼されたことがほとんである。
協会からのキリスト教をテーマにした宗教画、王侯貴族による肖像画をはじめ、裕福な市民は日常生活・静物などを題材にした絵を求め、「すばらしい絵」とは「目に映る通りに描かれた絵」であり、アートの正解だと考えられた。
しかし、カメラの登場により、アートの存在価値が問われ、マティスが生み出した答えは、アートの解放であり、アート思考の幕開けとなった。ものの見方によって作品の価値が変わる。むしろ、答えが変わることにこそ意味がある。それこそがアート思考なのだ。
目に映る世界の模倣だけが再現ではない?
これを制作したポリネシア民族は、非常に高度な技術を持っており、現在に残る彫刻・装飾品などからも判明している。
しかし、なぜこんな幼稚とも思しき神様を作ったのか?ココナッツ繊維で覆われた木片に、最小限のパーツである目と腕をつけたとき、彼らはそこに十分な神様を感じ取ったのではないか?再現という目的に立ち返るならば、彼らの再現もすばらしい作品になるという考え方ができる。
模倣ではなく再構成
この作品は、ピカソが「1つの視点から人間の視覚だけを使ってみた世界こそがリアル」という遠近法の疑問を呈した作品といえる。
私たちは、遠近法こそがリアルな絵を描くための唯一無二の方法だと信じきっている。
しかし、遠近法はで描かれた絵は、つねに半分のリアルしか写しだせない(隠れている部分については、本当にそうなのか正しさを証明できないため)。人間の視覚というのは頼りないものであることを詳らかにしたのだ。
「リアルさ」とは何か?遠近法もその手段のうちのひとつでしかないことを、この作品は教えてくれている。
どこから/そこからどう思う?
アウトプット鑑賞を面白くする秘訣。
・どこからそう思うか?:主観的に感じた意見の根拠となる事実を問う
・そこからどう思うか?:作品内の事実から主観的に感じた意見を問う
感じた意見に対して発見した事実を、事実に対して意見をアウトプットすることで「自分なりの答え」を見出すことができる。
このカンディンスキーの作品からは絵から具象物が消えた。その作品から読み解ける心象風景は鑑賞者に委ねられる。
作品はアーティストだけによって作られるのではなく、見る人による解釈が作品を新しい世界に広げてくれることの時代の到来を予感させる作品といえる。
アートの常識とは?
20世紀アートに最も影響を与えた作品。これは便器を選んでサインし「泉」と名付けた。過去に東京国立博物館で展示された目玉作品は、実はオリジナルではない。(公募に出品したオリジナルの作品は廃棄されていた)。
そこで、第三者である美術商の男がフリーマーケットで中古便器を手に入れデュシャンにサインを頼んだレプリカなのだ!アートは目で見て美しいという概念をぶち壊したのだ。
また、デュシャン自身が「私は美学を失墜させようと考えた」と後世で語っているのも興味深い。
これは歴代5番目の高額取引された作品。アートはなんらからのイメージを映し出すものではなく、キャンバスと絵の具であるという「ただの物質」であることをアートの形として提唱したゆえ、価値を見出されたといえる。
アート? それとも商品?
これは、ただの商品のロゴやパッケージデザインを、そっくりそのまま木箱に写しとっただけ。当時、アメリカからカナダへ作品を輸送しようとした際、「これは関税を安くするための偽りであり、商品である」という認定を食らった歴史もある。
ウォーホルは、アートとアートでないものを隔てる秩序は存在しない。これがアートだといえる確固たる枠組みは誰にも決めらないというアートの権威性に強烈な問いを投げかけたといえよう。
アート思考の軌跡
マティスにより「目に映るとおりに描くこと」から解放されたことを起点に、ピカソは「遠近法によるリアルさの表現」、カンディンスキーが「具象物を描くこと」、デュシャンの「アートの視覚破壊」、ダメ押しはウォーホルによる「アートの権威性へのアンチテーゼ」という、アートの常識は壊されて常に再構築されてきた歴史の上に成り立っている。
アートが全て平野に戻った今、自分たちの見方でアートをどう捉えるのかがこれからのアート思考を生きる私たちの課題である。
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