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自分の人生は自分のためだけにある
昨日、私の弟の命日だった。
あれから8年の歳月が流れたが、あまりにも急な死に茫然自失だった自分のことが、ついこの間のことのように思い出された。不覚にも墓参りをしている最中、家族の前で涙があふれた。
普段、そんな感情の起伏があるわけではないが、昨日だけはそうではなかった。熱い日差しに照らされて、決していい条件とはいえない職場で、単純な機械の操作ミス。一瞬にしてこの世を去らなければならなかった彼の人生はいったいなんだったろう、と思い出しては涙が止まらなかった。
そして、私はそれまで築いてきた“何か”を捨て去るようにして、この地にやってきた。家族の戸惑い、自分自身への問いかけ、そして将来への漠然とした不安。もしそのまま東京にとどまっていれば、私もこんなでこぼこの人生を歩まなくてもすんだのかもしれない。
それはすべて結果論にすぎない。この8年間で得たことは多く、普通のサラリーマンで終わる予定だった私がフリーとしてやってこれたのも、すべては一からやり直したおかげだ。都会にはない時間の流れも同様で、適当に都会、適当に田舎であるこの地域は、まったくぜいたくな土地だと思う。
でも、人間は自分の環境になれればまた、旅がしたくなるように、私も40歳を前に、新たな行動に出ようとしている。それはまったくいままでの経験を活かした、というよりも、まったく異業種の世界に入っていこうとするものだ。そういうことができるチャンスはそうそうあるものではない。
それは教育者になることだ。先生になるわけではない。塾や専門学校、といったあらゆるサイドスクールにその働き場所を求めて、悩んでいる若い人たちの手助けができればいいと思っている。具体的な方策はないため、あらゆる手段で、あらゆるきっかけをつくっている。
どうしてこんな気持ちになったかというと、この10年は、たぶん、弟へのレクイエムというか、母や妹など、私の家族に対する精神的な償いだったと思うからだ。8年前、会社を辞める必要はなかった。でも、それまで自由きままに生きてきた私に神様がくれた償いの期間だったように思えるのだ。そしてただ、前を向いて走ってきた。遠隔地にいることで弟に寂しい思いをさせたこと、面倒見るわけでもないのに文句ばっかりいっていたこと、すべてを自分の人生の一時期をそれに費やしてきたことになる。
そんなことを最初から考えていたわけではない。それにそういう行動を償いなどというのはおこがましいという人もいるだろう。でも自分のなかでは、この30代にやってきたことは自分のためだけではなく、誰かのためでもあったことは確かだ。そういう気持ちがあったからここまでこれた。ただ、それを自慢気に人にいうつもりもない。これは私の心のなかの問題だからだ。その期限がまもなくやっている。
そんなに長生きをするつもりはない。しかし自分のためだけに過ごした日々というものをやらなければ、人生に悔いが残る。どんなに反対されても、私の決意は変わらない。また家族に迷惑をかけて、そして50代はまた償いの日々に徹するのだ。
こうして10年単位で人生は変化し、そして新しい自分に出会うきっかけを作り出す。ひとつのことを30年やることはできなくなったいま、こうなればどれだけ自分勝手に、わがままに、そして大切な人のために行動できるか、を目標にしていきたい。
きっと誰もわかってくれないし、正当な社会的評価もいただけないことは覚悟している、この人は自分の好きなように生きたから、文句はないでしょう、と葬式のときにいわれるのが良いところだろう。それでいい。そのくらい頑張れたら本望だ。
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それから20数年の月日が流れたが
自分のために生きることはできなかった。
むしろ自分から好んで
他人のために時間を費やした。
どこかで
他人から認められたいという気持ちがあった。
何度も
自分が希望するものでないことを手掛け
何度も
悔しい思いをしながらも繰り返してきた。
そういう自分が誇らしかったのだろう。
そういうオレってかっこいいじゃん!
でも満たされたことは一度もない。
地位も与えられたし
お金も過分にいただいたのに
心だけはいつもぽっかりと開いたまま。
すごいねと言われるたびに
心がズキズキしてしまうのだ。
結局のところ弟に誓ったことが
何一つできなかった。
親族の誰よりも墓参りをしたぐらいかな。
それも自分の心を満たすためだった
ような気がする。
私が死んだら周囲はどう思うのだろうか。
誰か私の死に対して
何かを誓うことがあるのだろうか。
いやあり得ないな。
やっぱり自分が一番大切だから
誰かのために生きる人生なんてないから。
そう自分の人生は
自分のためだけにあるのだから。
#あの頃のジブン |62