Gao Liu|ナラティブ・エディター

「残された時間は限られている」と早期リタイアをついに実行。ギター/中国語/自転車/小型二輪などにのめり込む一方、日常の些細な出来事に感動して発信する、感受性の高いおぢをめざし、自分の理想とする終焉の地を探しながら、今日も旅を棲家とするライフスタイルをめざして活動中。

Gao Liu|ナラティブ・エディター

「残された時間は限られている」と早期リタイアをついに実行。ギター/中国語/自転車/小型二輪などにのめり込む一方、日常の些細な出来事に感動して発信する、感受性の高いおぢをめざし、自分の理想とする終焉の地を探しながら、今日も旅を棲家とするライフスタイルをめざして活動中。

マガジン

  • #台湾旅游記

    台湾LOVE 私が台湾に興味を持ったのは 2018年 会社の出張で台北に行った時のこと。 相手の会社との交渉が終わった後 同行していた設備機械会社の方が 「夜市に行きましょう」 と誘ってくれた。 その存在すら知らない私は ただ、言われるがままにそこに連れて行ってもらった。 到着した先に見えたのは 煌々と光を放つ屋台が立ち並び まるでお祭りのような風景だった。

  • #歴史快道を自転車で往く

    高校生の時に挑戦した自転車旅が その後の自分に何をもたらしたのか 分からないままに大人になった。 ただ何度失敗しても 未知の世界に挑もうとする気力が 湧き上がるのは その時に培われたのかもしれない。 そして 幾多の山を越えて いま卒業の時を迎えて もう一度だけ16歳の時のジブンのように 何かに向かって挑戦したくなった。 この先に何があるか分からないが 分からないからこそ その先を見てみたいと ココロが叫んでいる。 真っ直ぐに 迷わず ただひたすらに 走る。 走る。 走る。

  • #いま時のジブン

    50代後半になって またまた大きな転機がやってきた。 これまで取り組んできた 事業の舵取りを担う役目を退き 新たなステージに立つ準備をしている。 ジブンから手を挙げて 退くことを決意した。 これまでも同じようなことを経験し これまでと同じような退き方をしてきた。 だから こういう環境の変化を 受け容れることには比較的なれている。 失敗したらどうしようとか 始まる前にあまり考えない性格なので とりあえずやってみるしかない。 いままでよりもより広い環境に身を置き いままで会ったことのない人たちと出逢い いままで見たことのない世の中のしくみを知りたい。 それが これからありそうな気がしただけのこと。 結果として 自分の人生にもたらされたヘンカが 私にとって愉快で興味深いものでありますように。

  • #人生の区切りを迎えて

    これから明確な線を引きます。 曖昧にどちらでもないようなことはしません。 好きなことは好き 嫌なことは嫌だと 白黒をハッキリとつけるようにします。 明日から区切りの日までの心模様を 自分のために残していきたいと思っています。

  • #一冊の本

    これまでの人生の中で 数え切れないほどの書籍に出逢い 先人の知識と経験そして 何よりも普遍的な価値観に触れられた。 そのきっかけはある友人との出会いだった。

最近の記事

台湾旅游記#00

台湾LOVE 私が台湾に興味を持ったのは 2018年 会社の出張で台北に行った時のこと。 相手の会社との交渉が終わった後 同行していた設備機械会社の方が 「夜市に行きましょう」 と誘ってくれた。 その存在すら知らない私は ただ、言われるがままにそこに連れて行ってもらった。 到着した先に見えたのは 煌々と光を放つ屋台が立ち並び まるでお祭りのような風景だった。 食べ物以外にも 輪投げや射的、スマートボールまであり 今日は何か特別な日なのか尋ねたところ 毎日開催しているら

    • 歴史快道を自転車で往く#15

      東海道 15)吉田宿〜二川宿篇 御油の松並木を越えて少しいくと、豊川稲荷のある名鉄国府駅に到着。 全国から参拝者が訪れる商売繁盛の“お稲荷さん”で、日本三大稲荷のひとつに数えられ、商売繁盛のご利益で全国的に知られる。 曹洞宗の寺院で正式には「妙厳寺」といい、約580年前の室町時代(1441年)に創建されて以来、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公などの武将や、渡辺崋山など文人たちからの信仰を集めてきました。 (ウィキペディアより引用) 豊川稲荷は神社ではなく“お寺”だっ

      • 歴史快道を自転車で往く#14

        東海道 14)赤坂宿〜御油宿篇 さあ、ここからいよいよ赤坂宿へと向かいます。 近くにある<山中八幡神宮記>の一節に、「文武天皇(六九七~七〇七)の頃、雲の中より神樹の一片が、神霊をのせて舞い降りる」と書いてあるところから、「木が舞い降りる」を取って「舞木」と名付けられた舞木町の案内板を超えて東に走ります。 赤坂宿へ向かう途中に、立派な案内板があったので、思わず自転車を停めて読んでみたところ、この<本宿村>というのは、藤川宿と赤坂宿の間にあって、なかなか栄えていた村らしい

        • 歴史快道を自転車で往く#13

          東海道 13)岡崎宿〜藤川宿篇 交通量が多い橋を抜けて市内に入ると、岡崎城下が27もの曲がり角があることを示す標識に出会いました。確かに、宿場などでは敵の攻撃に備えて、宿場の道をまっすぐにしないで、カーブさせたり、クランク状にするなどの工夫がされていましたが、27の曲がり角は流石にやりすぎだろうと思いました。 途中に、街道や宿場内での諸注意が書かれた<作法触れ>なる石碑がありました。徳川家康の生まれ育った岡崎城下ですから、来客者への対応作法にも厳しかったことでしょう。まあ

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        • #台湾旅游記
          1本
        • #歴史快道を自転車で往く
          15本
        • #いま時のジブン
          9本
        • #人生の区切りを迎えて
          13本
        • #一冊の本
          4本
        • #あの頃のジブン
          70本

        記事

          10代で渇望していたことへの葛藤

          過去に満たされなかったことを、あえて大人になってからやるということはよくある。例えば、好きだったお菓子や当時、買えなかったおもちゃなどを大人買いするなどというのはよく聞く。それが分かりやすいものばかりではなく、精神的に満たされなかったものを埋める行為になると何かとややこしい。 例えば、当時、実家にお金がなくて、大人になってから大学進学をめざすなどというのは、前向きで、かつお金以外に本人が努力しなければ実現できない高度な行為だが、ブランド品の不必要なまでの大量購入など、周囲か

          10代で渇望していたことへの葛藤

          歴史快道を自転車で往く#12

          東海道 12)知立〜安城〜岡崎へ 前回の知立(池鯉鮒)宿までの旅で、今まで知らなかった三河地域までに至る史実に触れることができました。この地域に住んでいるのに、以外に三河地域というのは縁がなく、用事があっても電車で移動してしまうので、なかなか周辺にある遺跡などを見る機会はなかったなあ。 早速、知立(池鯉鮒)宿から国道1号線に出て進んでいくと、それはそれは、見事な松並木の道に遭遇します。これまで中山道や美濃路を旅してきましたが、これほど松並木が残っている場所を見たことがあり

          歴史快道を自転車で往く#12

          他人を褒めることの難しさ

          上司が部下を褒める場面に結構、遭遇する。 褒められる側もそんなに悪い気はしないのか、特別、謙遜するわけでもなく、涼しい顔をしている。もし自分がそうされたら、いやいや、まだまだですよ、とかなんとか繕うような言葉を発しないと、とても間がもたない気がする。 褒めることは悪いことではないし、褒められる側も同様だろう。そこに信頼関係があれば尚更だ。私も自分の部下をnoteで褒めちぎったことがあるが、本心からの言葉である。 その言葉に違和感を感じるとすれば、実際にその人のことをよく

          他人を褒めることの難しさ

          人生の区切りを迎えて#13

          自分がめざしてきた働き方とは… ■なりたい自分になるための仕事 大学3回生の時に、先輩が東京の某キー局のアナウンサーになった。関西地域の大学だったこともあり、キー局への入社は大学としても大きく取り上げ、話題になったことを覚えている。それが私の就職活動の原点だった。 なりたい自分になるために働く。 明確な目標ができたことで、とにかくそこにしか人生の目標が見えなくなった。地元に帰って金融機関に就職するとか、全国展開する自動車会社への就職だとか、一般的な就職ということにまった

          プレゼンテーションのうらのウラ

          プレゼンテーションというのが、一発勝負だった時代は終わりを告げたようだ。 少なくとも、クライアント側でも面倒なやり直し、考え直し、の繰り返し作業は無しにして、現場のスタッフと企画会社側で事前に策を練り、対象者の意向をできるだけ反映させて、即時、実行できるように仕上げるのが普通になっている。 かくいう私も、最近、スタッフにわざわざ再考を促すような師匠的な役割よりも、どうやったら決定者の意向に沿って決定しやすいかを、レクチャーするようになってきたので、悩みはするが、スタッフの

          プレゼンテーションのうらのウラ

          人生の区切りを迎えて#12

          ジブン時間が急に増えた中年男性の日常とは ■あっという間に取り戻した日常のペース 10月から会社に行かなくなった。当初は年金や健康保険などの手続きが煩雑で、関係機関に行って各種手続きを取り、支払うものは支払って、もしかすると、これまで以上に自分でやらなくてはいけないことが多く、久しぶりに多忙な日々を送った。 だが、一通りの作業が終わると、特別やることがあるわけでもなく、スキマ時間ではなく、何もしない時間が大量に発生した。3日くらいは戸惑いもしたが、それ以降は自分のペースを

          歴史快道を自転車で往く#11

          東海道 11) 有松宿〜池鯉鮒(知立)宿篇 しばし進むと高速道路の高架が現れ、その下を走る線路に沿って進んでいくと、突然、古い街並みに入り込んでしまいました。 おお、これが有松絞りで有名な<有松>なんだと珍しげに周囲を見渡していました。 かつて、京都に住んでいたときには、寺社仏閣は身近にあたり前にあり、わざわざ見にいくことはなかったように、この地域に暮らす人たちも有松にわざわざ来ないのでしょう。 さすがに街中は自転車で走れないので、ゆっくり歩きながら景色を眺めました。

          歴史快道を自転車で往く#11

          一冊の本#03

          「誤努力 やりたいことの探し方」 中井 淳夫 著 エスシーシー 刊 2016年2月22日発行 9割が「誤努力」で自滅! ? 誤努力の罠に陥らず、あなたの「やりたいこと」でハナヒラク人生を。 この言葉に惹かれて、書店で手に取った書籍だった。人はもちろん、無駄なことをしないで、できるだけショートカットして成功まで辿り着きたいと思うから。 でも、この本は、本当に難解だった。 内容が小難しいと言うわけでもないのに、なぜか頭に入ってこない。何度も読み返すし、時間をおいて読んでみる

          歴史快道を自転車で往く#10

          東海道 10)宮宿〜鳴海宿〜池鯉鮒(知立)宿篇 いよいよ東海道を走っていくにあたって、しっかりと腹ごしらえをしてからことに臨まなければ、と思い、金山駅にある韓美膳 μPLAT金山店に立ち寄って、牛カルビセットをいただきました。いや〜マシッソヨ! お腹も満たされたので、ゆっくりと走り出し、分岐点になる追分まで戻って来ました。ここからは国道1号線に沿って東海道を南東に向かって進んでいきます。メイン通りから一本中に入ったところの道は、心なしか、しなるように曲がっていて、旧道の感

          歴史快道を自転車で往く#10

          人生の区切りを迎えて#11

          なぜかドーパミンが出まくるゲージュツ。 ■旅の締めくくりにはアートがいい 退職以前から、できるだけ定期的に海外旅行に行くようにしているのですが、ここのところ、必ずといっていいほど、最終日に、その地域の美術館を訪れることにしている。 取り立てて芸術肌というわけではないのですが、その地域ごとに特色のあるアート作品に触れることで、何か現地の方々の息遣いが感じられるのではないかと思うし、何よりも入場料が無料になっていることも多いし、写真撮影も許可されている場合がある(フラッシュは

          社会に出て働いて分かったこと【後編】

          【前編】では、人は生きていくための手段として働くことを、知らない間に選ばされていることを話した。 それでは、実際に私が働いていた時の仕事内容を見てみることにしよう。 私の過去の事例だと、朝6時に起床して、身支度をして、7時過ぎに家を出る。1時間ほど電車に揺られてターミナル駅に着き、電車を乗り換えて会社の最寄りの駅に8時30分頃に到着する。それからオフィスまで10分程度歩く。 就業は9時スタートだ。目が合った人たちと軽く挨拶をして自席へ着く。パソコンのスイッチを入れてメー

          社会に出て働いて分かったこと【後編】

          社会に出て働いて分かったこと【前編】

          バブル経済直前に就職をした。 私は就職先にマスコミを志望したので、普通の就職活動とは一線を画すような動きをしており、製造業や商社、金融機関など、いわゆる一般的な会社への就職活動は経験がなかった。 当時、友人たちは次々と内定をもらい、残りの大学生活を謳歌しようといろいろ計画をしていたようだが、特に製造業や、当時、最も人材を採用していたのがSEといわれるシステムエンジニアだったと記憶している。 なぜか知らないが横文字の名前の会社が多く、職種としての希望というよりは、就業条件が

          社会に出て働いて分かったこと【前編】