他人に人生を最適化されてはいけない
私たちは何かをするときに
必ずと言っていいほど
その目的を聞かれる。
しかもその目的というのは
質問する側からすると
ある程度の範囲内で収まっていて
それから少しでもはみ出した場合
修正を余儀なくされることがある。
質問しておいて修正するなんて
とても失礼な話だと思うが
相手からは「当たり前」光線が発せられ
反論することは不可能に近い。
その前提となるのがKPIだ。
つまり組織における共通の指標
すなわち会社で言えば売上で
学校でいえばテストの点数などだ。
その共通認識や指標を達成することで
評価が高くなり社会的な地位が確保される。
もしそんなこと関係ないと言ったところで
それと違うことを個性だと認められるには
まったく違う基準を別に用意するしかない。
ただそれとてこの世の中のKPIからは
簡単には逃れられない。
YouTubeもnoteもアクセス数やビューなど
指標となる数値は存在していて
それを目標としてクリアしていくことに
変わりはない。
では私たちはこういう評価基準から
逃れることはできないのだろうか。
誰かが決めた方法の中で生きている以上
誰かに最適化されるしかないわけで
その呪縛から逃れるためには
自分で自分の行動に対する価値基準を
決めるしかない。
もちろんそれは組織の中にいてもできる。
社内で評価されなくても
自分の基準を着実に目標に近づけることは
できるはずだ。
多少どころではない違和感があったり
最適化された人材ではないことは確かだが
独自の基準のレベルを着実に上げることが
結果的に自分の価値になるはずだから。
誰かに気に入られ評価されることが
自分の社会的な評価だと思ってきた私が
ようやくたどり着いたこの境地に
若い方々が早くたどり着けるよう
寄り添うことが私の役目だと自覚している。