社会に出て働いて分かったこと【後編】
【前編】では、人は生きていくための手段として働くことを、知らない間に選ばされていることを話した。
それでは、実際に私が働いていた時の仕事内容を見てみることにしよう。
私の過去の事例だと、朝6時に起床して、身支度をして、7時過ぎに家を出る。1時間ほど電車に揺られてターミナル駅に着き、電車を乗り換えて会社の最寄りの駅に8時30分頃に到着する。それからオフィスまで10分程度歩く。
就業は9時スタートだ。目が合った人たちと軽く挨拶をして自席へ着く。パソコンのスイッチを入れてメールをチェック。稟議書の類も、以前は自席まで持ってきて説明をしてくれたが、今ではメールに詳細が書かれている。そして、立て続けに会議が入る。その合間に業務課題の相談を受けて、昼食後に外部業者との折衝があり、人事評価や各種イベントへの参加など、…。以下省略。
これは管理職になってからの仕事なので、スタッフ職の方はもっとタイトだと思うが、ここで注目してほしいのが、管理職でも自分で自分の時間をコントロールできないということだ。
コロナ感染拡大によって、一時期、リーモートワークが推奨された。これによって、勤務時間内にどのように時間を配分して、どうやって成果を出すかは、個人に委ねられた。しかし現在では、各企業とも出勤を前提とした働き方に変更する動きが加速している。それは会社側が、社員の時間をコントロールしたいからに他ならない。
確かに、サボって、何の成果も生み出さない人もいるだろうけど、そういう人は、会社に来ても成果は出させないはずだ。それも1日8時間という基準に合わせて、自分の時間を会社に預けなければならない。つまり、ワクワクするには時間があまりにも限られているということ。
当たり前だろう、と思った人は、管理する側の論理に侵されていると思った方がいい。自分で自分の時間をコントロールできないことが、どれだけ人生の質を下げているかを知るべきだ。好きな時に旅に出て、大切な人のために時間を使うことが、制度としてはあったとしても、個人の自由に委ねているところは限られている。年間休日の日数が問題ではない。組織に束縛されない時間がどれだけあるか、それを自分でコントロールできなければ意味がない。有給を取るのにどれだけ周りに遠慮しているか考えてほしい。その規則を守ることが“息苦しさ”になっていないだろうか。
また、注文した荷物が翌日に配送されたり、電話一本で人がサポートに来るなど、コストに合わない過剰なサービス合戦が現場で働く人たちを疲弊させ、消費者側にしかメリットをもたらさない労働のあり方も、若者を中心に、意欲的に働くという気持ちを失わせているのではないかと思う。
日本では毎年、2万人近い人たちが自死している。こんなに豊かで、成熟した社会で、生活を支援するセーフティネットもちゃんとしている日本で、なぜ、そんなに多くの人たちが死を選ばなければならないのだろうか。
今、社会で起こっていることに疑問も持たず、自分の時間が失われていく中で、生きていく意味に関心さえ持たない人たちには、どこまで行っても分からないだろうけど。
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