どんな状況でも結果を出す
ワールドカップ初勝利!日本がロシアを1-0で下し、勝ち点を4として、決勝リーグ進出の可能性が出てきた。またもや稲本のゴールがポイントとなった試合は、前回のベルギー戦でのディフェンスの弱点を修正してきたチームの戦略の勝利ともいえるだろう。あまりサッカーに興味がない私でも、今日の勝ちはとにかくうれしい。
勝つこと。それはスポーツだけでなく、どんなことにもつきまとうものだ。最近では“勝ち組と負け組”などという言葉も氾濫したが、要するに白黒はっきりさせろ、ということだ。日本人は白黒をはっきりさせることを苦手としてきた人たちである。それは相手を傷つけるかもしれない、という配慮が作り上げた“気遣い”にほかならない。
結局、負けは負けであり、それをオブラートに包んでみたところで本質は何も変わらない。私の友人などは、剣道の大会で優勝した瞬間、やったーっと声を上げて喜び、そして道場を走り回っていたら、審判がやってきて「取り消し」と宣告された。そのあまりにも理不尽な対応に嫌気が差して、彼は剣道をやめた。勝ったからこそ控えよ、負けたやつは能力のなさ、練習不足だと責める。どちらにしろ理不尽だ。
サッカーは違った。選手がそれぞれ“雄叫び”をあげて、観衆は興奮冷めやらぬままにスタンドで肩を組み、大きな声で応援を続けた。ロシアではサポーター達が日本戦での敗退に怒り、暴動にまで発展したとのニュースがあった。ネオナチの台頭が懸念されるロシアでは、もし予選敗退にでもなったらどんなことになってしまうのだろう。
しかし周囲の興奮をよそに、この感情の高まりを徐々にクールダウンさせながら次回の試合を冷静に分析する選手こそ、本物のプロフェッショナルだ。予選を通過しなければならないとの使命感は日本選手も同じこと。この勝利に浮かれるのではなく、つねに自分たちのプレーをしようとする選手は、やはり世界のなかで戦っている人たちだ。
勝っても負けても、そこにはプレイヤーとしての存在感だけが生き生きと映し出されるだけだ。団体競技ではあっても、一人ひとりの満足度が高いチームは、次回も強い。誰かの活躍だけで勝ち上がっていくようでは、チームそのものが脆弱であると容易に察することができる。
私たちは戦略や戦術などを分析するのではなく、一人ひとりのプレイヤーがゲームのなかのあらゆるシチュエーションのなかで何をなしえたか、を見つめるべきではないだろうか。プロ野球でもそうだが、したり顔で終わった試合を分析するのだけはやめたい。評論家になった時点で、その人は本心からゲームを楽しんでいるとは思えない。
私には、彼らのような世界レベルのアグレッシブな戦いの場はないが、どんなときにも対応できるような精神状態を保っていたい、と思った。稲本が決めた2発は、いずれもゴール前でフリーになったボールではあったが、同じような場面では柳沢も、鈴木も、そして中田英さえも外した。実力に遜色ないだろう。
稲本にはアーセナルでの悔しさがあった、そして精神的な強さがあった。それがゴールに入れられる人と入れられない人の差だとすれば、われわれの想像以上の実力差、といって間違いない。技術だけではなく、どんな状況でもかならず結果を出す、そうイチローのような存在になれたら、誰もがいまの位置から少しでも勝利をめざす資格を持つことができる。
もう勝った負けたで私は興奮しない。それ以上の面白さを見つけたからだ。だからどこのファンだとか、誰だとか、ではなく、自分を高めていくすべてのプレイヤーに惜しみなく拍手を贈ることができる、そういう見方をしていきたい。
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先ほど、甲子園で行われた
西東京代表の早稲田実業と
島根県代表の大社高校の試合を観た。
まさに死闘。
両軍ともにすべてを出し切り
最後は大社高校が島根県代表としては
93年振りにベスト8
つまり準々決勝に進出することになった。
以前なら
どちらかに贔屓のチームがあって
そちらが負けそうになると
ドキドキして見ていられなかったが
今回はとても落ち着いて見られた。
高校生が全力で戦っている姿に
勝ち負けではなく
どれだけ自分の力を出せたかに
注目することができるようになった。
何故そうなったかというと
自分自身が
勝負事の第一線から身を引いたからだと思う。
これからは白黒を付けるのではなく
何が自分にとって大切かを
基準にすることができるようになると
いうことだ。
そうすることで
こんな身近なことでさえも
見方が変わってくるなんて
想像もできなかった。
これからのジブンが
楽しみになってきた。
#あの頃のジブン |21
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