045期待は自分にするものだ
偶然、不登校に関するyoutubeを見た。不登校ってかつてはあまり現実的じゃなかったけど、やはり身近に数人いる環境が普通になった。アンケートによる不登校の原因はいじめや人間関係よりもやる気になさなど無気力感のようなものがトップらしい。またコロナと発達した電子機器(主にゲーム)が増加に至るトリガーらしい。まぁそうかもしれないと思う。
しかし考えてみるとやる気もなく電子機器に頼る生活は不登校の子というよりもごく普通に生活している人と境遇はそう変わりなんじゃないかとも思う。電車に乗ればほとんどの人がその発達した電子機器(スマホ)に夢中になっている。たまに視界に入ってくる人の画面を見るがひっきりなしに次々と画面を切り替え、見ているというよりも指の操作の方が多いくらいの人もいる。何がおもしろうんだろうか?他にやることないのかな?といつも思う。
トレンドとして不登校の子に「寄り添い」「好きなことをやらせる」というサポートの仕方はもう古いらしいし、重症化するのがほとんどらしい。しかし日本では今でもメジャーな考えらしく、しかも日本ぽいと思うが、やり方としてそちらの方が耳障りがよく、いかにも“うけ”がよく、子ども思いみたいな錯覚だと解説していた。むしろ逆に昭和的なうるさい親が頭ごなしに来るくらいの方が寄り添うよりも不登校には効くらしい。
不登校の解決策は単純に親自身が自分のことをおもしろがれることが一番なんじゃないかとぼくは感じている。
子どもが小さい時によく公園に遊びに行ったが(今でも)見ていられないやるせない風景だった。子どもは遊具で遊んでいるが親は電子機器(スマホだったかな??)に向きっぱなし。そのうちすぐに子どもが親の元に戻って来る。「遊んでおいで」と声をかけるが結局何度も戻って来る。そらそうだ、親が夢中になるそれは何だ!?と子どもは遊具で遊んでいられる状況じゃない。そんなもん気にせず一緒に遊んであげることが最善だと思う。しかも俄然そちらのほうが面白いと思うのだが。
また子どもに期待をかけすぎるとそれに押しつぶされるともいう。夜の塾帰りを迎えに集まる親を見るとそういう心配をしてしまう。それよりも親が自分自身に期待をかけ、自ら興味深く勉強することで子どももやらされることから解放されるんじゃないかと思う。
逆に考えてみると、例えばサーフィンに夢中になっている親が居るとしよう。大の大人がそのおもしろさに取りつかれている姿を見せていれば、子ども自身が「何がおもしろいんだろう?」と興味を抱かないことはないと思うし、ちょっとやってみようと行動を一緒にする可能性も高いと思う。
父親が子どもに「大きくなったら何になりたい?夢は何だ?」というラジオCMがあった。対して子どもが「う〜ん…」とこまると「大きな夢を持たなきゃ!」とけしかけるが「パパはどんな夢を持ってるの?」と聞き返されると父親は絶句する…そんなラジオCMがあり印象に残った。その通りだと思う。