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052見えないとこを観察
小さい頃から絵を描くのが好きだった。というよりそれしか知らなかった。小学生になってもずっと絵を描いていてそのペースは変わらなかったけど、唯一苦手なことがあった。
それは理科での植物を描くこと。
今思えば純粋に描くことを楽しめばよかったのかな?けど教科としてのお題が「観察」だったような気がした。なんじゃそりゃ?って感じで小学生時代のぼくの頭では理解できず、そうなるとつい消極的になり、絵は上手いと自分で思っていたにも関わらず評価もよくなく、そして徐々に苦手となった。
その小学生時代、先生用の教科書(あんちょこ)に「こういうところに気づくこと」みたいなチェックポイントがきっとあったんだと思う。ぼくの絵は悪しからずそのチェックには全く引っかかっていなかったんだろう(と思いたい)。
けど観察って大切だよね。小学生時代の先生!!しっかりぼくに「観察」のしかたを教えてやってくれよ〜。そいうすればこんな遠回りの人生じゃなかったかもと今思う。
現代はけっこう近視眼的になってて電車に乗ってもみんな手元しか見てない。車窓には次から次へと風景が流れて、昨日と今日、昼と夜、去年と今年、違うところを発見する。その情報量たるや毎日乗っていても変化を感じないことはない。でもその風景ですら手元のデバイスに映し出されるからなのか、手元を凝視する人々は本物に触れようともしない。
何かのイメージを追い求めようとする時どうするかといえば、関連するものを見に行くのが一番手っ取り早いと思うが、今そうじゃない雰囲気を感じちゃう、電子データから入って、知ったような気になってる。ものを表現しようと思ったらまず実際のコレ!ってリアルな体験が必要だと思う。
その手元のみ、から生み出されるモノって模倣に近いような薄っぺらな、決してリアリティを感じないものが多いように思う。
モノは稚拙で、へたっぴかも知れないけどしっかりリアリティを感じるものもある。しっかり実物から受け取ったエッセンスが織り込まれていて、その部分に琴線が触れる。
逆にタチが悪いのが「〜らしい」とか「〜っぽい」みたいなもの。たまに褒め言葉みたいに使う人がいるけど、ぼくはそう言われると、逆にほとんどニセモノにしか見えなかったか、て感じちゃう。
なかなか答えは出ないけど見えている向こう側に何かを感じることができるか、それが観察なんじゃないかと思ってる。年末のTVの特番でもイチローが言っていた「見えないものを見ろ」って。
小学生ん時の先生!!理科の観察のポイントってコレだったのかな?