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初めてのタッチ成功😭💕



今日、息子が立った。

初めて一人でたち、その姿勢を保持することができた日。
着席の姿勢からではあるけれど、初めて二本足で数秒間立てた。

生まれて2年10ヶ月になる時にこんな成長を私に見せてくれた。

大喜びする母を見てニッコニコに笑う息子を見ると胸が締め付けられる。
目一杯のハグと完成は側から見ればびっくりされる程だろう。でも、二人だけの空間はそんなことを考える余地がないくらいに幸せな空間が広がった。



2年10ヶ月。この期間を長いと思うか短いと思うかは人それぞれだけれど、
健常児を育てる親御さんからすればこの期間の長さを理解できるだろう。


人間は、体幹が全くないふにゃふにゃな状態で生まれてから、歩けるようになるまでおおよそ一年かかるのがわかりやすい例えであろう。

一歳になる時には歩ける子が出てきてもおかしくない。歩くためにはハイハイで体幹を鍛えた後に二本足で立つという過程はいる。それが、つかまり立ちと伝い歩きである。これができて初めて、自分の足で立って歩くという過程に入れる。首もグラングランで生まれてくる赤ちゃんが1年間で一人の人間として大地を自分の足で歩けるようになるとは、生まれてからの一年は想像を絶する速さで通り過ぎる。目まぐるしい成長は毎日の活力になり、次の成長を次の成長をと、我が子に期待したくなるのも当たり前だろう。それだけすごいことを成し遂げているんだから。





さて、そう考えると、息子は今月で2歳10ヶ月。もう少しで3歳になるため、先日もフライングでお誕生日プレゼントをじいじから買ってもらったところ。生まれて3年目。それも4年目まじかの快挙を成し遂げた。拍手しても仕切れないくらいとてもすごいことを成し遂げたし、今後は二本足で立つ時間が伸びることに期待してしまう。

しかし、親の望みより何より、息子本人が嬉しそうに自慢げに、喜んでいた。こんなに嬉しいことはない。知的障害も抱える息子ではあるけれど、今回の出来事をきちんと理解していた。自分の立ちたい気持ちとその努力が実ったこと。そして、そのことを踏まえて立てた時に”やった〜!”と感情を上手に表してくれたこと。

相変わらず息子の成長には毎回度肝を抜かれます。私たち親はよく話すことがああります。息子の可能性を否定はしないけどいい意味で期待もしない。

コルネリア・デランゲ症候群は、生まれた時から亡くなる子もいる病気。知的障害と身体障害を持つし、自分の足で歩ける子もいれば首も座らない子もいる。バリエーションに飛んだ唯一無二でスペシャルな病気です。可能性は無限大であることに間違いはないけれど、みんなが走って登っていくところをゆっくりゆっくり時間をかけながら歩んでいきます。最初に加速して疲れてしまい、子供の細やかな成長を見逃してしまうのは本末転倒なので、いい意味で期待せず一緒にその登っていく過程を楽しむのが私たち家族のスタイルです。


しかし、先に述べた通りに、健常者が世の中を回すこの世の中には凄まじいいハンデであることは確かですよね。実際、私は息子に視野を広げてもらいました。こんな世界は息子が息子として生まれてこなければ知らなかった世界です。


そして、自分がどれだけ自分の存在を無駄遣いしているのか実感したのもまた、息子の存在のおかげです。自分で気づけないとはお恥ずかしい話ですが、息子にはないものを自分は当たり前のように持ってるって知ったことはとても衝撃で、そんな息子に恥じない生き方をしなければならないと感じたのを胸に刻んで生きてきました。


ただ、忘れてはいけないことは、息子の生き様です。知的障害はあるかも知れないけれど、それって、この世界の少数はだから目立つってだけで息子も立派なひとりの人間です。みんなと何か違うかも知れないけれど、共に生きる私の家族なんです。最近は少数派も生きやすいようにさまざまな取り組みや討論が盛んかと思いますが、一番大事なのはその少数派のことをどれだけ知ることができるかだと思うんです。

私の周りに重度な障害を持つ方は見かけませんでした。重度と言っても、歩行が困難であったり、身体障害に加えて知的障害がるなどその言葉一つとってもさまざまですが、私たちのようには生活していない方を見るとじっと見てしまいますよね。障害を持つと興味の対象になります。でもそれはそのように見ることが悪いことではなくて、世の中に障害について正しく理解する場が少なすぎることが原因なんだと思います。

ちなみに、私は見られる対象である分、外出する時はお目汚しにならないようにおしゃれして出かけているつもりです。だって、その障害を持つ親の様子も気になるでしょう?笑


我が子が障害になって初めて気づきました。自分も偏見を持っていたことに。私自身は学生時代は障害をもつ方に触れ合う機会をたくさん得てきました。でも、いざ自分の子が障害を持っていると理解した時には怖気ずいている自分がいたんです。私はその瞬間だけ接するだけで、きちんと理解できていなかったんだと感じました。自分がその身にならないなら理解できなくて当たり前だろうと思うかたもいらっしゃるでしょうが、そうではないんです。

世の中にはどんな障害があって、どんなふうに生活を送っていて、その家族はどんな現状を世間に知っていて欲しいのか。

こんなことを学べる機会なんてありませんでした。そもそも、学生時代に福祉に触れてもなお、その内容を知ろうとも思わなかったし知るべきとも思わなかったんです。

でも、障害を持つ息子の親になって初めて気付かされました。

この先の世の中にもっと理解が広まればいいなと思っています。

我が子の障害の話に抵抗がある親御さんももちろんおられるでしょう。私も友達にもなかなか打ち明けられませんでした。

その上、毎日の育児や生活で、自分の子を障がい者と思って接していないんですもん。そこにある私から生まれた小さな命を守ることだけにっ必死なので、病院の定期受診で障害についての話をされて、そこで障害があったことを思い出すくらい。笑

そんなんですから、いざ自分の両親が我が子を知ったように障害の話をしてくるのが辛いです。息子をただ一人の人間として見ているのに、それは現実を見ていないと言われているような感情になり、障害の話は私のタイミングでさせて欲しいと頼んだこともあります。

確かに現実から目を背けていたのかもそれませんが、毎日自分の子を障がい者と思って接するわけもありません。
同じように障害を抱える子を持つ親御さんも、さまざまな見解がああるでしょう。あっていいと思いますしそうあるべきだとも思います。だって同じ人間なんて一人もいないんだから、同じ障害もあるわけがないですもんね。

でも、世の中にもっと福祉の理解を広めようと考えるのならば、自分たちのことを世の中に発信していく必要があるはずなんです。それは全ての親御さんに強要するわけではなくて、できる人がしていけばいいと思うんです。

その発信は同じく障害を持つこの親になってまもない不安を抱える方一つの助けになるかも知れませんし、この世界を知らない方の知見を広げて理解のある社会への一歩にもなるでしょう。私は一刻も早く理解が深まって欲しいと願っています。そうしたら、乱れ髪で息子と外出しても、育児頑張ってあるなって感じてもらえるでしょう?笑
理解が広まることで偏見が減る。そうすれば私が乱れ髪で息子と外出しても、障害を持つ息子=不幸な母なんて構図を間違っても描きませんよね?だって私は不幸ではないんですから。息子がいてくれて幸せ者なんですから!笑

周りの視点を変えるために、私自身も息子のこと、そしてその家族のことを知ってもらう努力をしていこうと思います。


今日は息子が立った日。
それは成長を心待ちにした何日もの日々を超えて唐突に訪れました。
待つ時間が長かった分、私の歓喜は振り返るとその偉業がすぐに理解できるほど。
とても嬉しかったし、たまたまビデオを回していたのでその瞬間を家族で共有することができました。
嬉しさに涙を出す私を見ながら動画を見てニコニコする旦那さん。その動画を繰り返し見てくれるとこに愛を感じます。

たくさん驚かせてくれて、いろんな喜びを感じさせてもらった日。

次は、タッチの回数を増やして二本足で立つ時間を長くすることだね。

さぁ、いつになるかな?
ママたちはあなたの可能性を否定しないけど、気長に待たせてもらうよ^^


何か待つことがあるのってこんなに幸せなんだね。期間が長くなれば長くなるほど嬉しさは倍増するんだろうな。ママたちは息子くんが生まれてくれてこんなに幸せでいいのかってよく感じさせられるよ。息子くんも幸せと思えますように。ママとパパでいっぱい愛情を届けにくるから安心してね。


だから、息子のペースでしたいと思ったことへの挑戦は一緒に頑張っていこうね!

2歳10ヶ月の君は笑顔と共に初立っち成功したよ💮

本当に本当におめでとう!!!!!
次は、よかったらパパにも見せてあげてね^^笑






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