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紫陽花が咲く頃(#シロクマ文芸部)
<紫陽花を見ると思い出すのう>
小さな神様は自身が祀られている古い祠の屋根に座って、傍らで今が盛りと咲き誇る青い紫陽花を愛でていた。
<あの娘は今頃どうしてるかのう>
山陰地方の里山に、ひっそりと祀られている祠があった。
ここには五十猛命という名の神様が祀られている。『天上からもってきた木種を日本全土に播き、国の樹木が豊かに繁茂する環境を作ったとされる樹木の神。父神はスサノオ尊』という由緒書きがあるが、実のところ、山の自然霊が長い時間を経て神となり、この祠に宿るようになったのであった。
宿神の本当の名を山祇という。
山祇は自然を愛し、里山で暮らす村人が参拝の為訪れるのが何よりの喜びであった。
そんな中に毎日学校の登下校の合間に立ち寄る女の子がいた。
里中にある小学校へ毎日40分掛けて徒歩で通っている。
名前を中村美紀といった。
山祇は美紀がやってくると頬を緩め、日々の美紀の願い事を聞いてやるのだった。いつも「テストで良い点が取れますように」だったり、「嫌いな人参が食べられるようになりますように」といった、可愛らしい願い事が微笑ましく、一段と頬を緩めて聞いてやるのだった。
そんな豊かでのんびりとした時間が過ぎていく中、この日の美紀は少し神妙な面持ちでため息を付いている。
もうすぐ中学校へ進学するという頃、静かに美紀は語りだした。
「今年の4月に引っ越すことになったの」そう言うと目に涙がみるみる溢れていく。美紀は手で涙をぬぐいながら「中学校が歩いて通うには遠すぎて、お父さんが街に引っ越すって、もうお家も決めてしまったの」
この里山は少子高齢化で小中学校の統廃合がされると、美紀のように中学進学と共に引っ越しを考える家庭も多く、人口減少に拍車がかかり残るのは高齢者ばかりとなっている。
「ここが好きだから引っ越したくない。神様お願い!引越しを取り止めにしてください。お願いします」
<困ったのう、その願いは叶えられそうにないぞ>
山祇は泣いて懇願する美紀の頭をそっと撫でてやるのが精いっぱいで、せめて新しい地で家族円満に暮らせようにと祈りを捧げた。
ようやく雪が解け、小学校の卒業式を終えると、美紀は庭に自生していた紫陽花の枝を数本手折ってお参りにやってきた。
「神様、ここに来れるのも今日が最後になりました」と言って手を合わせてから、美紀は祠の左隣の地面に少しだけ穴を掘り肥料を入れて、紫陽花の枝を挿し木にした。
「お母さんの話では、3年後には大きな花を咲かせるようになるって。いつかきっとまた来るから、それまでは紫陽花で我慢してね」
山祇は美紀の優しい気持が嬉しくて、きっと立派に育てよう。いつか美紀が訪れてくる日までに、この境内いっぱいに紫陽花を咲かせておこうと思うのでした。
あれから20年が経つ。
美紀も今頃は家庭を持ってしっかり者の母親になっているかもしれない。
小さな挿し木から増やした紫陽花も、祠の周り一面に広がり、数年前からは紫陽花の隠れた名所として知られるようになっていた。
里山の自然に惹かれて移住者も増え、祠の近くにはキャンプ場もオープンした。春から秋にかけてはキャンパーやハイキングを楽しむ観光客で賑わうようになっていた。
ある昼下がり、賑やかな親子の会話が聞こえてきた。
「確かこの辺にあったのよ」
「どこだよ、紫陽花でいっぱいじゃん」
それは見事な紫陽花の群生が目の前に広がった。
辺り一面に綺麗な青い花を咲かせて、美紀親子の目に鮮やかに映った。
<おお、あれは美紀じゃないか 懐かしや懐かしや
よう来た よう来た 嬉しやのう>
山祇は懐かしさと嬉しさで、紫陽花の上をひょいひょいと、扇を広げて舞い踊っていた。
「あっ、ほらあった!ママが小学校に通っていた時に毎日お参りしてたのよ」
「ふ~ん、神社なの?ずいぶん小さいね。紫陽花に埋まっちゃってるよ」
「本当ね、子どもの頃はこんなに小さいとは思っていなかったわ」
<男の子の母親になっておったか、美紀によう似ておる 利発そうじゃ>
「ねえママ、インスタで紫陽花の隠れスポットって紹介している人がいるよ」
「あら、ママの子ども頃には紫陽花なんて咲いてなかったのよ」
<なんじゃ、忘れたのか 美紀が別れの日に贈ってくれのだぞ>
「ここの神様はね、霊験あらたかなのよ。嫌いだった人参も食べられるようになったし、体操服を持ってくるのを忘れた時だって、ここで手を合わせていたら思い出してね、急いで家まで取りに帰ることだってできたの」
「偶然でしょ」
「そんなことないわよ、優斗も嫌いなトマトを食べられるようにお願いしてみたら」そう言うと美紀は笑った。
<笑った顔は変わらんのう 可愛や 可愛や>
山祇は昔のように美紀の頭を優しく撫でた。
「ママ、ぼくこの場所が気に入ったよ。またここにきて遊ぼうよ」
「そうね、毎年ここに来てキャンプしようね」
優斗はスマホで咲き誇る紫陽花や、その紫陽花に埋もれる様に佇んでいる祠を写真に撮ったりしていた。
美紀は祠の前に立って、子どもの頃のことを思い出していた。
小学校の卒業式が終わった後も、引っ越していくのが嫌で、ここで泣いてお願いしていたんだった。この願いだけは叶うことがなかったけど。
「そうだった、わたしが紫陽花を挿し木したんだった」
そうだ、思い出した。泣きながらこの辺に数本の紫陽花の枝を植えた。
「奇跡だわ」
こんなに、群生するほどに増えるなんて奇跡だわ!
「ねえ優斗、やっぱりここの神様は凄い力を持ってるみたい」
優斗の言うように偶然かも知れない。でも奇跡だと今確信した。
この美しい光景を目の当たりにしたら、偶然とは思えない。
「優斗、ここの紫陽花を少しもらって帰ろう。家の庭に植えてみようよ。そしたらここみたいにいっぱい紫陽花が咲くかもしれないよ」
山から吹き下ろした風が、美紀の髪を優しく撫でた。