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『ずーっと ずっと だいすきだよ』気持ちを伝えることが大切
『ずーっと ずっと だいすきだよ』
作・絵:ハンス・ウィルヘルム
訳:久山 太市
出版社:評論社
<内容紹介>
エルフィーとぼくは、いっしょに大きくなった。年月がたって、ぼくの背がのびる一方で、愛するエルフィーはふとって動作もにぶくなっていた。ある朝、目がさめると、エルフィーが死んでいた。深い悲しみにくれながらも、ぼくには、ひとつ、なぐさめが、あった。それは……
読者のみなさまへ
作者のハンス・ウィルヘルムさんは西ドイツに生まれました。現在、アメリカ合衆国のコネチカットに住んで、絵本の仕事に専心されています。
「ずーっと、ずっと、だいすきだよ」で語られるテーマは、大変美しい考え方ではないでしょうか。相手が、人間だろうと動物だろうと、愛するものに対して、心のありったけで、「愛している」と告げてあげよう、それは、日びの暮らしを暖めて、幸せにしてくれる、そして、やがてやってくる「死」をいたずらに嘆くことなく、愛の思い出が悲しみをもいやし、なぐさめをもたらしてくれるだろう、というのです。
お子さまにどうか、人や動物に愛を注ぐ心のたいせつさを、教えてあげてください。
エルフィーのことを、はなします。
エルフィーは、せかいで
いちばん、すばらしい犬です。
この絵本の最初のページを読んだだけで、私は涙が溢れてしまいます。
犬や猫など、ペットを飼っている方や過去に愛するペットを亡くした経験のある方なら、みなさま共感できることだと思います。
主人公の「ぼく」が、世界で一番素晴らしい犬と紹介しいているエルフィーは、警察犬のような賢く特技のある犬ではなく、ごく一般的に家庭で飼われている愛玩犬です。若く元気な頃はいたずらをして家族を困らせたり、「ぼく」と散歩をしたり、いつも一緒に遊びました。
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ところが「ぼく」よりエルフィーはずっと早く年を取ります。次第に太っていき、あまり動かなくなり寝てばかりいるようになります。心配して病院へ連れて行きますが、獣医さんにはもうできる治療はありませんでした。
でも「ぼく」は毎晩エルフィーと一緒に寝て、寝る前には必ず「エルフィー、ずーっとずっとだいすきだよ」と言っていました。
ある日の朝、目を覚ますとエルフィーが死んでいました。
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家族はみんな泣いてエルフィーの死を悼みました。「ぼく」も悲しい気持ちには変わりはなかったけど、毎日大好きだよと伝えていたので、いくらか気持ちが楽でした。愛する気持ちをしっかり伝えていたことで、愛する者の死を受け止め、思い出として昇華することが出来たからだと思います。
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私も今まで犬や猫を飼ってきて、何度か死別を経験してきました。昨年末にも愛犬のポロンを亡くしたばかりです。
犬や猫は体調が悪くなった時は、痛みや苦しさに耐えてじっとして動かなくなります。飼い主は何とか元気にしてやろうと病院へ連れて行きますが、エルフィーのように老齢が原因だったり、すでに手の施しようがない状態だっりすることもあります。それでも諦めることなんてできません。
病院に行くのを嫌がるペットを見ると、このまま辛い治療を強いるか、それともこのまま自宅で静かに看取るのか、判断が求められます。
私はいつもこの判断に心が揺れ惑ってしまいます。
愛するペットを亡くす悲しさと悔しさ、喪失感がたまらなく怖いのです。
迷いながら足掻きながら、時間だけは無情にも過ぎていき、結局何もしてあげられないまま最期を迎え、看取りの時は決まって「ごめんね、何もしてあげられなくて」という言葉が口をついて出てきます。
もちろん私もこの絵本の「ぼく」のように、毎日「大好きだよ、愛しているよ」と言葉にして伝えていました。それでもやっぱり、あの時こうすればっ良かった、ああしていればこんなに苦しませずに済んだのかも?と、自分を責めてしまいます。
ポロンが息を引き取る日の朝、私は出勤準備でバタバタと忙しく、傍にいてあげられませんでした。
出掛ける時「ポロン、行ってくるね」と声を掛けても反応がありません。
急いで側に行くとポロンはすでに息をしていませんでした。
長男は「ポロンは眠るように逝ったんだから、苦しく無かったよね」と慰めてくれましたが、忙しくしている私を呼ぶことに躊躇ったのかもしれない。もしかすると、かすかな声で呼んでいたのに、私が気付かなかったのかもしれない。傍にいてあげられなかったことへの後悔が押し寄せてきました。
最期に私の腕の中で「ポロン、ありがとう」と一言伝えたかった。
20年間傍にいてくれて、ありがとう。
楽しませてくれて、ありいがとう。
家族でいてくれて、ありがとう。
「大好きだよ」と、たくさんの「ありがとう」を伝えること。
これがペットロスを乗り越えることと、何より愛するペットへの掛け替えのない贈り物になるのではないかと思っています。