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日本人は、世界中から尊敬されている。その理由を歴史的に解説します。

今の世界では、私たちは当たり前のように平和に暮らすことができています。
好きな時に、好きなところへ旅行ができ、国境を越えて人と人が手を取り合うことができます。
しかし、つい数十年前まではあり得なかった世界なのです。
数十年前までは、全世界に植民地が広がり、人と人が騙し合い、支配し合う残虐な世界が展開されていました。


そのような絶望的な世の中がこれほどまでに平和な世界に変わったのは、
私は日本のおかげであったと断言します。これは私だけが考えていることではありません。

ククリット・プラモード氏

○タイ王国第18代首相 ククリット・プラモード氏の証言
日本のおかげでアジア諸国は皆独立した。
日本というお母さんは、難産して母体を損ねたが生まれた子供たちはすくすくと育っている。
今日東南アジア諸国が、米英と対等に話ができるのは一体だれのおかげであるか。
それは身を殺して仁を為した、日本というお母さんがあったためである。
12月8日(真珠湾攻撃の日)は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが
一身を賭して重大決意された日である。
さらに8月15日(敗戦の日)は
我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。
我々はこの2つの日を忘れてはならない。


世界が日本に感謝し、日本人を慕っているのです。
皆さんは、日本がどれほど世界に大きな影響を与えているか知っていますか?
日本から遠く離れた様々な国において、合言葉のように「日本人なら、信用できる」
子供に対する教育の中で「あなたも日本人のように立派な人になりなさい」と言われています。
日本人の、人を騙すことをせず、親切で勤勉な姿が世界の人々にそのように言わしめてきました。

○台湾での私の経験


私も台湾にいたころ、同じような経験がありました。
台湾の学校では、台湾の開拓のために貢献した日本人がいたことを学ぶのですが
私は、日本という国は、いったいなぜこのような数々の偉人を排出できたのか、その秘密はどこにあるのかと
日本という国に対してとても興味を抱いていました。
今こうして日本に来て、日本で生活をしているきっかけというのは、その時のものでした。

台湾農業の父 磯永吉先生
世界一の烏山頭ダムを造り上げた八田與一先生


これほどまでに日本が世界中から厚く信頼され、愛されているのは、いったいなぜなのでしょうか。
日本人のルーツには、何があるのでしょうか・・・
今の世の中で平和を享受できているその背景には、先人の方々の血の滲むような努力の積み重ねがあったことを
皆さんは絶対に知らなくてはなりません。

○日本が辿ってきた愛の軌跡

世界に対して鎖国を貫いていた江戸時代が終わり、日本が国交を開いた当時、世界は今ほど穏やかではありませんでした。
白人たちの植民地支配によって、
世界各地の有色人種は苦しみあえいでいました。
何百年間にも及ぶ支配により、白人だけが人間であり、
有色人種として生まれたその他の人間は家畜に過ぎないという観念が
根底にまで植え付けられていました。
いつしか、そのような白人たちこそが正義であるとさえ
思われるようになりました。
世界は欺瞞に満ち、愛とか真実とか語っても、
すべては意味のないことでした。
真面目に働く人間ほど愚かなのであり、
いかに相手から搾取するか、騙すか、騙されるか。
それがすべてである世界が何百年間も続いてきたのです。
そんな中、世界の端っこに日本という小さな島国が
初めて世界史に出てきました。
初めは取るに足りない存在で、他の有色人国家同様に、
あっという間に潰され、植民地にされてしまうと思われていました。
しかし日本人は、そのような白人たちの思惑を覆し、
次から次へと番狂わせの戦いを見せていったのです。
眠れる獅子と恐れられた清を破り、
天地の差ほどに国力差があった大国ロシアを破り
局地的ではありましたが、第一次世界大戦でドイツを破った日本は
世界を驚かせました。


○インドの初代首相ネルー氏の証言
「小さな日本が大きなロシアに勝ったことは、インドに深い印象を刻み付けた。日本がもっとも強大なヨーロッパの一国に対して勝つことができたならば、どうしてインドにできないといえようか」

「インド人はイギリス人に劣等感をもっていた。ヨーロッパ人は、アジアは遅れた所だから自分たちの支配を受けるのだと言っていたが、日本の勝利は、アジアの人々の心を救った」


有色人種として始めて列強国への仲間入りを果たした日本は、全世界に希望を与えました。
私たちも頑張れば白人相手でも勝てるのだ、奮起しよう!そう思わせられました。
そして日本は、第一次世界大戦後のパリ講和会議において、世界で初めて人種差別の撤廃を訴えたのです。


当然、欧米列強からは目の敵にされることは分かり切っていたことでした。
実際に、この提案は賛成多数であったのにもかかわらず、議長であったアメリカのウィルソン大統領によって却下され
その後は意趣返しのように日本人排斥運動がアメリカでおこり、イギリスとの同盟関係が破棄されることとなりました。
、それでも、人種平等は開国以来の日本人の悲願だったのであり、そのような世界の実現のために、たとえ欧米と対立することになったとしても
大義を貫き通す道を選んだのです。
白人たちは、どれほど日本人を憎み、滅ぼしたかったでしょうか。
彼らはそれを包み隠すこともせず、公然と口にしていたのです。


ルーズベルト大統領


「日本人の頭蓋骨は、
我々に比べて2000年は遅れている。
従って、知能も遅れている。
いずれ世界の人種は混ざり合う。
我々ヨーロッパ人種とインド系がアジア系との混合も進むだろうが
日本人種だけは取り除く必要がある。
日本人種は南方アジア人種と盛んに混合させて、いずれはその種そのものをなくしてしまえば良い。」


それでも日本は真っ向から立ち向かっていきました。
これは、日本の我欲の戦いだったのではありません。
戦後の教育ではよく、日本が戦争の火種を蒔いたように語られていますが
実際はその真逆で、
時の首相であった東條英機首相は、昭和天皇からの「アメリカとの戦争は必ず回避せよ」という命の下、総理大臣に任命されたのです。

○東條首相の涙


東條首相はイギリス、アメリカとの戦争を避けるために、その交渉の中で何度も何度も食い下がって尽力していました。

東條首相


しかしアメリカは、日本から最初の一発を打たせることを目的に交渉を続けていたのであり、最初から日本の要求を呑むつもりは全く持ってありませんでした。
交渉ではどうにもならないことを悟った日本側はついに開戦を決断します。
そして、欧米列強の望み通りに争いに引きずり込まれてしまったのです。
戦争回避のために死力を尽くしていた東條首相は
昭和天皇の命を全うすることができませんでした。

戦争開戦2日前の深夜、首相官邸の一室から、天皇が住まわれる皇居の方を向き、一人で正座している東條首相の姿がありました。
東條首相はその時、その場で号泣していたという話が残っています。
その心の中では、昭和天皇との約束を守り通すことができず
どれほど無力さを痛感し、悔しくて、悲しくて、
たまらない気持ちだったでしょうか。

戦後、東条首相は戦争を引き起こした張本人として裁かれることになりますが一切責任転嫁することもなく毅然とした姿勢であり続けました。
処刑される最期の時まで、恨み言など一つもなく、感謝の言葉を口にして去っていきました。
昭和天皇も、平和を深く愛され、乱れ続けてきた世界の安定のためにこそ、欧米列強と戦うことを決意されたのです。



終戦の詔勅には「かくのごとくは朕、何をもってか億兆の赤子を保(ほ)し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。」と言われている部分があります。
これ以上戦争を続けることで多くの被害が出れば、
私はどうしてわが子ともいえる多くの国民を守り、皇祖皇宗の神霊に謝罪することができようか。
という意味ですが、
当時は一億人にも満たなかった国民を「億兆の赤子」と表現されたことの真意は、
全人類を最愛の我が子供たちとして捉えて、大切に思われていたことがわかります。
日本は戦いには負けましたが、このような方々をはじめとして人間としてあるべき姿を世界に見せました。
他にも、戦いの最中、命の危険を顧みず、数百名の敵兵を救助した方がいました。


戦争が終結し、日本本国に帰還する命令が出ていたのにもかかわらず
自らの意志でインドネシア現地に残り、独立戦争のために命を賭して戦った数千名の日本兵の姿がありました。
戦後、無実の罪で処刑されたのにもかかわらず、決して敵を恨むのではなく、むしろ愛の姿勢貫くことの大切さを後世に訴えて亡くなられた方がいました。
戦後、シベリアに抑留され、死ぬほどに苛烈な労働を強いられたのにもかかわらず
誠心誠意で取り組み続け、立派な建物の数々を造り上げた日本人たちがいました。
そのような数えきれないほどの日本人の直向きな努力が
国際世論をひっくり返したのです。
それまでは白人以外は人間のうちに入らないとされてきた世の中でしたが
いつしか日本人こそ素晴らしく、日本人こそお手本にして見習おうと言われるまでになったのです。
日本の長い年月にわたる尽力が
世界平和の実現につながったということは間違いないことであり
多くの国の人々がそれを認め、感謝しています。
そして、そのように散っていった日本人の功績に対する感謝は
今のみなさんに向けられているということを自覚しなくてはなりません。
今を生きる日本の皆さんは、誇りをもって、責任をもって生きなくてはなりません。

しかし残念ながら、現代の日本人の民度の低下は否めないと思います。
あの時の素晴らしかった日本精神は陰にひそめてしまい
日本国内では人と人が騙し合い、支配し合う我欲が蔓延しています。
世界の安寧幸福のために身を捧げた日本人たちが、
今の日本を見たときに、どのように思われるでしょうか。
彼らが最も危惧していたのは
戦後、多くの日本人たちが日本の美徳であった美しい愛の心を忘れてしまう事でした。
今そのことが現実になっているのではないでしょうか。
私は日本を愛する一人の人間として、先人の方々へのご恩返しの念も込めて、皆さんに伝えたいのです。
どうか今こそ、素晴らしい日本の精神を取り戻してください。
この混乱が極まる世界には、再びあの時の日本のような美しい心が必要です。
国のため、世界のために身を捧げた過去の日本人に対して一言、ありがとうございました、
これからの日本は背負いました。
後のことは全て任せてくださいと、
ねぎらいの言葉と決意を述べて立ち上がる日本の若者はいませんか。
その一言で彼らの心は報われるのです。
私たちは、武器をもって戦うのではありません。
問題は人間の心の中の我欲こそが、争いを引き起こしてきた歴史だったのですから
日本が歴史を通して貫いてきた愛の心で立ち上がり、
再び世界を指導できる立派な国家を世界に示せなくてはなりません。
そのような日本の精神をもってともに立ち上がってくださる方を待っています。


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