【読書レビュー】関心領域/マーティン・エイミス
これは先頃、第96回アカデミー賞国際長編映画・音響賞を受賞した
映画「関心領域」の原作です。
とはいえ、驚くほど映画とは別の作品となっています。
映画では、この原作の世界観を映画ならではの圧倒的な映像と音によって
アウシュビッツ収容所の壁の、
中にいる被収容者から見たら
外側に住んでいる人たちの視界を見せていました。
映画の紹介文では「アウシュビッツ収容所の隣り」と書かれていますが
実際は、1枚の壁のこちら側とあちら側です。
台詞が少なく、ナレーションもなく、なんの説明もありません。
予備知識がないと、夜中になぜ空が赤く染まるのか、
あの毛皮のコートの元の持ち主はどういった人なのか、
ということがわからないまま進みます。
そういう疑問を自分で想起しながら見なくてはいけません。
70年以上前に起きたことの史実を知っている状態で、
かつ想像力を働かせてみないといけません。
それがどれだけ残酷なことなのか、
想像力をフルに働かせることを求められる映画です。
良心の呵責という言葉がありますが、
政府や軍の命令に対して何の疑問も持たず
異分子と判断した人達を
自分と同じ人間だと見ることを完全に放棄した人たちの日常を
私たちはスクリーンに目撃する、そんな映画です。
一方、原作となったこの小説は、3人の人物の語りで進行します。
映画は実在の人物の実名で演じられていたのに対し、
小説では明かにあの人がモデルとわかる人もあえて架空の人物です。
アウシュビッツ収容所の所長(壁の反対側に住む家族の家長)と
その部下と、
収容所内で管理者側の手伝いをするゾンダーと呼ばれる男の3人です。
ゾンダーは、彼ら自身も多くはユダヤ人で囚われの身でありながら、
ガス室の遺体を片付けたり、被収容者の見張りをしたり
壁の隣りの所長の家の庭仕事をしたりと
ナチス側の手伝いをする人たちのことです。
ナチス側からはいいように使われ、同胞からは嫌われ蔑まれる。
その代わりガス室送りは免れ(いつまでもというわけでもないけど)
食事が少し優遇されたりするのかもしれないけど、
いずれは使い捨てにされるのはわかっていて、
とにかく同胞に嫌われるので
こんな孤独で惨めな役回りはないはずなのに、
こういう役割を担う人たちはあらゆる問題で常に存在します。
日本兵が強制連行したという朝鮮や中国の男女達だって、
多くは日本兵が直接引っ張ってきたわけではなくて
仲介となった人たちがいて、それは必ず現地の地理に詳しく
言葉もできる同胞の朝鮮・中国の人たちだったはずです。
今現在アメリカに住むアフリカ系の人たちの祖先は、
アフリカ大陸内での戦争の戦利品として
アフリカ人から同じアフリカ人に売られた人たちだし、
彼らが白人の手に渡るには
必ずアフリカ人の奴隷商人が介在していたはずです。
当時、彼ら仲介業者達は同胞達から嫌われ蔑まれてきたはずだけど、
時が経ち過去のものとなると、歴史の中に埋もれてしまいます。
嫌われるうちはまだ存在しているけど、
それが過去となり歴史となると誰もその存在を顧みません。
なぜでしょう?
彼らが日本兵や白人やナチスに協力しなければ、
あんな大勢の人々を殺したり奴隷にしたりできなかったはずなのに。
なぜ同胞を売ることを選んだのか。
どんな気持ちで日本兵や白人やナチスのために働いていたのか。
それは1日でも長く生き延びるための苦渋の選択だったのかもしれない。
それがわかるから今となっては誰も責めないのかもしれない。
アンネ・フランクたちの隠れ家を密告したのは、
同じユダヤ人で
アンネのお父さんと親しくしていた人だったといわれています。
密告者とその家族は、周りのユダヤ人がみんな捕まった中でも
収容所行きを免れていました。
こうした仲間を売った人たちの記録は驚くほど少ないです。
まるでそうした人たちには
自分の気持ちや考えなどを発言する資格などないかのように。
実際、顧みられることも少ない事実です。
それは、人として卑怯者だとのそしりでもあるし、
朝鮮・中国の人たちが日本を責めるのには邪魔な
不都合な事実だからかもしれません。
日本兵に協力していた同胞がいたことを
あちらも恥じているのかもしれないし、
裏切り者の存在というのは
誰もが見たくないものなのかもしれません。
この「関心領域」では、そんな最も顧みられない人が語り、
他の被収容者が書き残した言葉を大切に土に埋めて守り、
最後は大きな役割を果たします。
フィクションだから、小説だからこそできた表現が本当に見事です。
巻末の筆者による解説や参考資料の紹介も
これからもこのテーマを追い続けたいわたしに貴重なものでした。
私たちはつい大きな声に気を取られがちですが、
最も弱い人は、声を出せず言葉も残せない
だれにも顧みられない人々です。
戦後、大きな声を上げて
世界中の人たちの注目と同情を集めた人たちが
今、中東で大殺戮を行っています。