G氏との対話―「死の宣告」をめぐって②
すぐに私はG氏にメールを送った。
するとG氏からは詳細な返信があった。
いったいNは箪笥の中を見たのか見ていないのか、彫像師Xのアトリエで何があったのか。すっきりはしないが、テキストからの読解はG氏によって限界線が見えたように思われた。
そしてこの後の2、3のメールのやり取りが失われている。
ここまではすべて、10年ほど前に私が書こうとした記事をサルベージしたものである。当時「読書雑報」を連載していた雑誌はヨコカワ氏が主宰していたが、ともに編集に関わっていた彼の親友が倒れ、以降休刊となったため、この記事は企画段階でストップした。そうこうしているうちに私は急にガンのステージ4を宣告され、自分の持つすべての予定を捨てて入院することとなったのだ。リアル『死の宣告』である、などと今なら軽口も叩けるが、入院、治療していた頃は、もっと茫漠としたものが私の内部に広がっていた。これには恐らく緩和ケアチームが処方する大量のオピオイドが影響していたのかも知れないが…。何はともあれ、放射線と抗がん剤により腫瘍と骨転移部位はその活動を停止、現在に至るまで完全に沈黙を保っている。『死の宣告』はそのままの状態で留保され続けているわけである。
そして私は雑誌『ドルーク』に連載した3つの記事をnoteに転載するとともに、この、書こうとしていた記事を続けてみようと思い、いまやかなり出世していたG氏におこがましくも連絡をとってみたのである。
この記事に使おうとしていたメールの幾つかは、PC本体の買い替えやプロバイダの変更などにより失われていた。G氏にも問い合わせてみたが、氏も務める大学が変わっていたりというわけで、最終的に幾つかのメールはサルベージできなかったのだが、その中のひとつにこの記事を終えるために非常に重要なものがあった。それは私が「ミイラ説」を展開しているものだ。
そこで私は10年ぶりに『死の宣告』を読み返し、かつての『ミイラ説』を再構築することにした。それは『死の宣告』の何箇所からの抜粋をもとに組み立てられていたはずだ。
続