言葉による残酷表現について③ 亜乱散歩主宰『FGMに関する緊急通信』 【厳重注意】本稿には残酷な表現や変態的な性表現、カニバリズム小説からの引用等が多数あります、苦手な方、また未成年の方は絶対に読まないでください。 これまで、サド、マンディアルグと取り上げてきたが、それらを読んでいるという方もこれはご存知ないだろう。『FGMに関する緊急通信』とは2000年代に存在したカニバリズム小説の創作サイトである。私がそのサイトを知ったのは、当時アフリカの一部で伝統的に続けられて
言葉による残酷表現について② 生田耕作訳『閉ざされた城の中で語る英吉利人』 【厳重注意】本稿には残酷な表現や変態的な性表現が多数あります、苦手な方、また未成年の方は絶対に読まないでください。またこの小説全体にわたる多くの引用、引用されていない部分のあらすじの記述もあるため完全にネタバレです。その点にもご注意ください。 前稿を読み返してみて思ったのだが、私は出典の残虐なシーンはできるだけ引用を控え、その間の物語上の出来事を単純化し、フラットな表現で記述しようと試みた。少し
言葉による残酷表現について①澁澤龍彦翻訳全集5『悪徳の栄え』 【厳重注意】本稿には残酷な表現や変態的な性表現が多数あります、苦手な方、未成年の方は絶対に読まないでください。また『悪徳の栄え』終盤部分の引用が多数あるため完全にネタバレです。その点にもご注意ください。 今や我々は、ネットをさほど潜ること無く様々なグロ画像・グロ動画を見ることができる。例えば、チェチェン紛争あたりから多く流通し始めた凄惨な殺人動画というジャンルも、ISISによって巧みに演出、編集されたイメージ
G氏との対話-「死の宣告」をめぐって④ それからしばらくしてG氏は、ブランショとセクシュアリティに関する論文を寄稿した雑誌を私に送ってくれた。その中で氏はJとNに焦点を当てながら、『死の宣告』の読解に1章を費やしている。そして私の、もはや妄想とも言える『ミイラ説』を、汲み上げてくれていたのである。 G氏から「注」を見るように言われていたので私は注(65)を見た。そこには幾行かのフランス語の出典を示した注に囲まれ、次の1行があった。 (□□□□には私の実名が入る) 「
G氏との対話-「死の宣告」をめぐって③疑問点をもう一度整理してみよう。 モーリス・ブランショ『ブランショ小説選』書肆心水 『死の宣告』三輪秀彦訳 ホテルの衣装箪笥の中に、事件の生きた証拠品は隠されていたようだが、それが何かは語られていない。主人公は自分が死んだとしても、それを見ずに破壊して欲しいと言っている。だがそれが、Jの生前に作られ、占い師に送られた手の石膏型であるとすれば、さほど隠されているような印象は感じないのだ。とすれば「生きた証拠品」は手の石膏型ではなく、それ
G氏との対話―「死の宣告」をめぐって②すぐに私はG氏にメールを送った。 するとG氏からは詳細な返信があった。 いったいNは箪笥の中を見たのか見ていないのか、彫像師Xのアトリエで何があったのか。すっきりはしないが、テキストからの読解はG氏によって限界線が見えたように思われた。 そしてこの後の2、3のメールのやり取りが失われている。 ここまではすべて、10年ほど前に私が書こうとした記事をサルベージしたものである。当時「読書雑報」を連載していた雑誌はヨコカワ氏が主宰して
G氏との対話―「死の宣告」をめぐって① 十数年前、G氏はすでに若手ブランショ研究者として注目を浴びていた。私が氏と連絡をとるようになったのは、その頃の氏のHPの、詳細に網羅されていた「モーリス・ブランショ邦訳文献リスト」に載っていない本を私が持っていたためである。平井照敏訳『待つこと・忘れること』(現代の芸術双書)。以前神保町で購入し、その靄のかかったような詩的な訳文がとても気に入っていたものだ。幾つかのメールのやり取りの後、新しく追加されたリストには、証拠として送った装丁の
バタイユ周辺③ バタイユが生前果たせなかった本の企画に『聖なる神』というタイトルがある。翻訳家生田耕作はバタイユ著作集において、この幻の企画を復元しようと試みている。 バタイユ著作集『聖なる神』生田耕作訳 二見書房 つまり、バタイユ没後、その構成がメモされた一枚の紙片とこのメモから発展したと思われる一群の原稿束が発見されたことにより、名作「マダム・エドワルダ」を中心とする一冊の本の企画が明らかになったようだ。これは「マダム・エドワルダ」最初の地下出版から15年後の1
バタイユ周辺② この、ロール唯一の翻訳は未だに復刊されていない。非常に残念だ。 『バタイユの黒い天使-ロール遺稿集』佐藤悦子・小林まり訳 リブロポート社1983年初版 現在絶版 確かにロールの文章は発表を前提されたものではなく、文章自体稚拙と言えるようだ。翻訳者が再三その苦労をぼやくほどである。 しかしこの本には、パリの裕福な家庭に生まれ、幼少期にカトリック牧師の性虐待を経験し、20代半ばでドイツ人医師の「奴隷」として1年間そのベルリンの屋敷からほとんど一歩も外に
バタイユ周辺① 以前友人と近所の小料理屋で食事をしながらパラパラと「エクリチュールと差異」を読んでいてプッと吹き出したところを指摘されたことがある。「こんなところでデリダを読んで吹き出すな」というわけである。説明しよう。 ジャック・デリダ『エクリチュールと差異・下』法政大学出版局 第9章『限定経済学から一般経済学へ』三好郁朗訳 1966年に『アルク』誌バタイユ特集号に初出のこの論文は、サルトルのバタイユ批判『新しき神秘家』への反論として書かれた経緯があるようだ。