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読書雑報

G氏との対話-「死の宣告」をめぐって③

疑問点をもう一度整理してみよう。

モーリス・ブランショ『ブランショ小説選』書肆心水
『死の宣告』三輪秀彦訳

私はあの事件の〈生きた〉証拠品を保存している。だがこの証拠品も、私がいなくては何ひとつ立証することはできない。それに私は、私が生きているかぎり誰もそれに近づかないよう願っている。私が死ねば、それはひとつの謎の抜け殻にすぎなくなる。私を愛する人たちは、私が死んだ際に、それを見ないで破壊する勇気を持っていただきたい。もう少し後でそれについていくらか詳しく書くつもりだが、たとえその詳細が書かれなくても、私の貴重な秘密を不意打ちしないように、手紙類が見つかっても読まないように、写真が現れても見ないように、そして特に鍵のかかっているものは開けないようにお願いする。自分が何を破壊しているのか知らないままに、無智で自然な真実の愛情の流れにまかせて、人びとがすべてを破壊してくれるように。(170P)
一九四〇年の終わり頃、うっかりしていて、ある人にほんのかすかではあったがこの〈証拠品〉に気づかれたことがあった。その女の人は、あの話をほとんど知らなかったので、真実のうわつらをなでることすらできなかったが、ただ衣装箪笥のなかになにかがしまってあることを見ぬいたのだ(その頃私はホテルに住んでいた)。彼女は衣装箪笥を見て、それを開こうとする動作をした。だがその瞬間、彼女は奇妙な発作に襲われた。寝台の上に倒れて、体をたえまなくふるわせた。何も言わないで一晩中ふるえていた。明け方近く、彼女はうわごとを言いはじめた。それが一時間ほどつづいてから、眠りが訪れ、やっと彼女は回復した。(170-171P)
170頁の「女の人」をナタリーだと解するならば、「あの事件の〈生きた〉証拠品」とは何か、ということを考える必要があります。「あの事件」とは、語り手が瀕死のJ.を生き返らせたことだと考えられますが、その「〈生きた〉証拠品」とはどういうことか、ということです。(G氏からのメール)

ホテルの衣装箪笥の中に、事件の生きた証拠品は隠されていたようだが、それが何かは語られていない。主人公は自分が死んだとしても、それを見ずに破壊して欲しいと言っている。だがそれが、Jの生前に作られ、占い師に送られた手の石膏型であるとすれば、さほど隠されているような印象は感じないのだ。とすれば「生きた証拠品」は手の石膏型ではなく、それよりももっと異様なもののはずではないだろうか。再び読み返した『死の宣告』の中、何故かそれまで素通りしていた次の文章に目が止まった。

私の記憶では、すこし後になって、私はルイーズに姉をミイラにする許しを求めさせたのだが、彼らはそんなことはもちろん不健全だときめつけたこともあった。だが、たとえ彼らが恐怖の気持から私のことをどう思ったにしても、私は決して彼らをうらむことはできない。それどころか、彼らがあれほど異常な状況の下で、無意識か、恐怖心か、それとも全く別の理由からか知らないが、とにかく尊敬すべき慎みを示し、結局は立派に行動したことをここに記しておかねばならない。(198P)

ミイラという言葉はこの作品を通じて1回限り、ここにしか出てこない。あまりにも唐突な提案である上に、まだJは死んではいないのではないか。そしてさらに気になるのは、Jの親族たちがミイラという提案に対して「不健全だときめつけたこともあった」というこの「過去形」である。彼らは「結局は立派に行動した」ということだが、この文脈では最終的にミイラの提案を受け入れたかのように読めはしないだろうか。
 それにしても何故いきなりミイラという提案が現れたのか、私はJが死ぬ前に何か手がかりは無いかもう一度チェックしたが、1箇所だけ気になる表現を見つけた。それはJが書いた数行の遺書、紙片である。

その夜、私の言葉に耳を傾けてから、呼吸困難のため口をきくことはできなかったが、健康な人のように机に向って、彼女は数行の文字をしたためた。その文書を彼女は秘密にしまっておくつもりだったが、結局は私が取り上げて、いまでもまだ持っている。(173P)

この紙片には、簡素な葬儀の要望、何人も墓を訪れるなという禁止、そして知人の妹に対する遺贈が書かれていたのだが、どうも他にも何かが書かれていたようなのだ。少し後にこういう表現がある。

彼女が机を前にして、あの決定的な、そして異様な言葉を静かに書いている姿が、いまでも私の目に浮かぶ。(174P)

前述の内容には特に「異様な」点は見られぬと思うのだが、もう少し後で、またこういう表現が現れる。

それに記されている若干の異様な言葉の故に、私はその紙片を保存している。(175P)

 「異様な言葉」それ自体への言及は見当たらない。もし仮に、それが、自らをミイラにしてくれというJの遺言であったとしたら、それはあまりにも「異様」過ぎるであろうか。また、そう仮定するならば、主人公がJの臨終の場で妹を経由させて親族へ了解を取り付けさせようとした行為が比較的自然に見えてしまうのはどうしたことか。いったいこの物語の書かれていない階層で、何が進行しているというのか。
 終盤、「それ」は物語の表面近くにまで浮上する。主人公の財布から彫像師Xの名刺を抜きとったNは、自分の顔と手の鋳型を作るように電話で依頼したと告白する。口論の末、なんとかその「生きている人に施された場合、しばしば危険で、予測もつかない異様な手術」を思い止まらせた主人公は、もうひとつのことを糾弾する。

 「それで、今日あなたはXのところへ探しに行った……あれを?」
 「それから!」
 「それで、あれはいまそこにある。あなたはそれを開けてみた。そしてそれを見たことで、あなたはあなたにもぼくにも永遠に生きているものに面と向かい合ったのだ!そうだ、ぼくは知っている、ぼくは知っている、ぼくはずっと知っていたのだ」(287P)

そして、Jの手の石膏型を鑑定した青年占星術師はその手紙で言っていなかっただろうか。

彼は、外科手術の結果、彼女はほとんど全快すると告げていた。そしてその手紙は、彼女は死なないであろう、という言葉で終わっていた。

私が10年前に組み立てた『ミイラ説』はだいたいこのようなものであったはずだ。

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