G氏との対話-「死の宣告」をめぐって③
疑問点をもう一度整理してみよう。
モーリス・ブランショ『ブランショ小説選』書肆心水
『死の宣告』三輪秀彦訳
ホテルの衣装箪笥の中に、事件の生きた証拠品は隠されていたようだが、それが何かは語られていない。主人公は自分が死んだとしても、それを見ずに破壊して欲しいと言っている。だがそれが、Jの生前に作られ、占い師に送られた手の石膏型であるとすれば、さほど隠されているような印象は感じないのだ。とすれば「生きた証拠品」は手の石膏型ではなく、それよりももっと異様なもののはずではないだろうか。再び読み返した『死の宣告』の中、何故かそれまで素通りしていた次の文章に目が止まった。
ミイラという言葉はこの作品を通じて1回限り、ここにしか出てこない。あまりにも唐突な提案である上に、まだJは死んではいないのではないか。そしてさらに気になるのは、Jの親族たちがミイラという提案に対して「不健全だときめつけたこともあった」というこの「過去形」である。彼らは「結局は立派に行動した」ということだが、この文脈では最終的にミイラの提案を受け入れたかのように読めはしないだろうか。
それにしても何故いきなりミイラという提案が現れたのか、私はJが死ぬ前に何か手がかりは無いかもう一度チェックしたが、1箇所だけ気になる表現を見つけた。それはJが書いた数行の遺書、紙片である。
この紙片には、簡素な葬儀の要望、何人も墓を訪れるなという禁止、そして知人の妹に対する遺贈が書かれていたのだが、どうも他にも何かが書かれていたようなのだ。少し後にこういう表現がある。
前述の内容には特に「異様な」点は見られぬと思うのだが、もう少し後で、またこういう表現が現れる。
「異様な言葉」それ自体への言及は見当たらない。もし仮に、それが、自らをミイラにしてくれというJの遺言であったとしたら、それはあまりにも「異様」過ぎるであろうか。また、そう仮定するならば、主人公がJの臨終の場で妹を経由させて親族へ了解を取り付けさせようとした行為が比較的自然に見えてしまうのはどうしたことか。いったいこの物語の書かれていない階層で、何が進行しているというのか。
終盤、「それ」は物語の表面近くにまで浮上する。主人公の財布から彫像師Xの名刺を抜きとったNは、自分の顔と手の鋳型を作るように電話で依頼したと告白する。口論の末、なんとかその「生きている人に施された場合、しばしば危険で、予測もつかない異様な手術」を思い止まらせた主人公は、もうひとつのことを糾弾する。
そして、Jの手の石膏型を鑑定した青年占星術師はその手紙で言っていなかっただろうか。
私が10年前に組み立てた『ミイラ説』はだいたいこのようなものであったはずだ。
続