gami
その月に読んだ本をまとめます。
普段考えていることをつらつらとただ書いているだけです。
整理できない気持ちをなんとか言葉にして垂れ流しています。
20代後半になって、自分の好きなものに自信が持てなくなってきた 3月後半に発売された当初は毎日のようにしていたゲームを最近はほとんどプレイしていない 「物事に熱中しやすい一方で、その熱が何かのタイミングで急に冷める」ということが、そもそも多い性格ではあるのだが、長くファンでいられるもの、ずっと好きでいられるものというのが、ひょっとすると自分には無いのではないかと思ってしまう昨今である -- 先週オンラインで友人と話していて印象的だった言葉がある 「周りからどう見られるか
noteをしばらく休んでいたが、また少し書き始めてみようと思う。自分のペースで。 この二か月本当にいろいろあったので、少しずつまた言葉にしていきたいがボチボチやっていければいいかなあとも思う。 ミサトさんが新劇の破で言っていた「行きなさいシンジ君。誰かのためじゃない。あなた自身の願いのために。」をふと思い出す。 誰かのためじゃなく自分のためにnoteを書き始めた。 その初心を大事にしていきたい。 -- 4月に読んだ本は小説2冊。5月に読んだ本は新書とエ
早すぎる。2022年が早すぎる。置いていかないでくれ。 もう1年の4分の1が過ぎたことになる。この3か月で人生におけるどんな進捗があったと言えるのだろうか。実感が無いだけで少しずつ前に進めているのだろうか、背泳ぎみたいに。 -- 私が読書記録をつけている読書メーターにはデータが無い『私たちの中学お受験フェミニズム』というアンソロジー兼対談をまとめた本も、友人に勧められて読んでみた。 中学受験経験者、しかも男子校出身者で共学化した母校を持つ身としては、かなり身近
新年に「今年は丁寧な暮らしを心掛けること」を一年の抱負に掲げた。 正直、何一つ守れていない。 流石にまずいと思って週末の夜にまとめて片付けるのだけれど、リビングは結構足の踏み場がないくらいまで散らかってからでないと重い腰が上がらない。部屋の隅に置かれたルンバも埃を被りつつある。 世の中の一人暮らしの皆さんがどれくらいの頻度で掃除機をかけているのか気になるところだけれど、夜に掃除機をかけるのも音が気になるし、何より寝る前に埃が舞うのは嫌だし、案外週末に一回くらいが
「最近プライベートで怒ったことがあるか」とこの前知り合いに訊ねられて、パッと怒った記憶が出てこなかった。 正直にそう答えると、「そんな気がした、あんま怒んなさそう(笑)」と相手からポジティブ(?)なリアクションが返ってきた。 でも、「その人が何に対して怒るかでその人が何を大切にしているかが分かる」という話を聞いたことがある。その説を踏まえるのであれば「自分が何を大切にしているのか」が、ふと分からなくなってくる。 -- 前提として、怒りというのは体力や気力がいる
繁忙期がやってきた。 今の業務は学校と深く関わっていて学校が忙しい時は自分たちも忙しい。(ただし、学校がお休みで子どもたちがいない間にPCのメンテナンスをしたり教職員の研修のお手伝いをしたりもするので、それはそれで忙しい) 3月に入っていわゆる年度末が近づいてくると、学校は卒業や入学、新年度準備といった業務に追われる。そこには当然システム側の処理も関わってくる。 たとえば、教員が異動した先の学校でも異動前と同じように業務ができるようにしなきゃいけないし、次年度
先月、2020年1月に読んだ本をまとめた記事を書いた。そこで「今年からは毎月1日にまとめようと思っている」と書いた。 あれは嘘だ。 -- 今月読んだ本は2冊に留まった。 2月が短かったからとか一度に複数冊を読み進めた結果8割まで読み進めた状態の本が3冊あるとか、言い訳のしようはいくらでもあるけれど、単純に活字を読む気にあまりならなかった。そういう時もある。 最近新書や専門性の高い本に手を出した結果、読書の巡りが悪くなっていた部分が少なからずあったと感じる。
自分は中高6年間、アメフト部に所属していた。アメフト以外なんもやっていなかった。自分の青春から「アメフト」の4文字を引き算したら何が残るか分からない。 TwitterやInstagram、Facebookで中高の友人の近況を知ることやメッセージのやり取りをすることはある。しかし卒業して10年経った今でも会うのは圧倒的にアメフト部の同期たちであることが多く、年始に集まって近況報告をするのが恒例行事となっている。 途中で部活を辞めていったメンバーもいたけれど、そんな彼ら
20歳になった頃、高槻にあるフレンチの美味しいお店に、家族に連れて行ってもらったことがある。 そこで初めて美味しいビールの味を覚えた。それ以降は市販のビールでの美味しいと感じるようになったので、「美味しいビールを飲めばビールは飲めるようになる」が自分の中での持論となった。 そのお店で出しているのは樽出しのベルギービールで、キレやのど越しにステ振りした日本のビールとは違う、まるで”麦のジュース”のようなビールだと感じた。 それから2,3年経ってからのことだけれど、
野生においては歯の健康=寿命だという話を聞いたことがある。 歯が抜ける→モノが食べられなくなる→ご臨終 ということらしい。 幸いにして入れ歯や差し歯といった歯科技術が発達したお陰で、現代社会においては歯が無くなる=死という等式は成り立たなくなった。 とはいえ、食が楽しめなくなることは大変ショックなことだし、おいしいご飯を自分の歯で食べたいという気持ちは大多数の人に賛同してもらえると思う。 私の父もそのうちの一人で、最近奥歯がぐらぐらになってきたので悲しい、と
最近読んでいる本にこんな言葉があった。 そういう意味では、私たちの日々の生活における活動はすべてpoliticalなものであり、延いては政治でないドキュメンタリー映画など無いのかもしれない。 タイトルをリネームしよう。 -- 選挙ドキュメンタリー映画を観てみる 『なぜ君は総理大臣になれないのか』という映画が2020年に公開され、"一部で"、"少し"、話題となった。それは、小川淳也という衆議院議員の17年の政治活動を収めた作品だった。 氏は枝野前代表の辞任
去年1年間毎月付けた読書記録を今年も付けていく。今年からは毎月1日にまとめようと思っているけれど、まだ2月以降どうするかは分からない。 1月は第166回芥川賞・直木賞が発表された。直木賞は二作品同時受賞で、しかも両方歴史小説というなかなか面白い結果になった。 歴史小説は正直あまり興味がないんだけれど、齋藤孝先生が著書の中で次のように述べている。 今回直木賞を受賞した二作は、今村 翔吾著『塞王の楯』と米澤 穂信著『黒牢城』である。 『塞王の楯』は、城の石垣作りに
腹がよじれる、抱腹絶倒、腹筋崩壊。 笑うという行為が極限までいくと、「腹」という人間の根幹となる部分が揺さぶられる。時には呼吸ができなくなるほどに。 「笑い」と「腹」との繋がりは慣用句や四字熟語にも出てくるしスラングにも表れる、時代を問わず存在する考えのようである。 似たような意味の海外のスラングにLMFAO(laughing my fucking ass off)があるがここに含まれるのは「腹」ではなく何故か「ケツ」である。 「腹」というのは東洋ならではの
今冬は12月に入っても比較的暖かい日が続いた。通勤の途中でジャケットを脱いでワイシャツ一枚になることもあったし、マフラーも夜くらいしかつける機会がなかった。例年と比べると暖冬で、これも温暖化の影響なのかなぁと薄っすらと考えていた。 12月中旬になってから急に寒波が来て、服装が一気に変わった。コートは必需品で、インナーにもヒートテックを着込むようになった。 街往く人の装いも厚着重ね着が目立つ。とてもじゃないけど暖冬とは言えないような日々が続いている。 1月に入って
遡ること約4ヶ月前に「文学フリマ」という、コミケを小説や短歌、ルポやアンソロなど、文章だけで構成される創作物に絞った即売会が大阪で開催され、そこに行った記事を書いた。 その時に「次の文学フリマには出店者として参加しよう」と決めた。 準備は大変だったし、オミクロンは大人しくはしてくれなかったけれど、何とか無事今日1/16を迎え、そしてイベントを無事に終えられたことを嬉しく思う。 詳細なレポートは文学用のアカウント( @380_uga )の方で書こうと思うけれど、ま
12月に読んだ本は2冊で、2021年に読んだ本は合計63冊だった。平均は月に5冊程度で、だいたい週に1冊以上読んでいた計算になる。 感覚的には「一般的には多く読んでいる方だけれど、読書家にしては少ない方」と感じている。「一年で100冊」が一つの読書家ラインだと思っていて、別にそこに優劣は無いんだけれど、100冊読める人は凄いなぁと感じる。 「じゃあ2022年は年間100冊を目指すのか」と問われると別にそんな意識はさらさら無くて、むしろ2021年よりペースは落ちるだろ