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自分の実存に余白を生み出してきた10冊

「余白」の探求について

 小学生の頃に読んだ「三国志(吉川英治)」に始まり、これまで多くの読書をしてきた中で、特に繰り返し読んでいる本を思い出した順に紹介していきます。

 技術決定論と人間性の融合、そしてスティグマの解消という存在論的課題に直面する際、常に古典的著作や先人の叡智に立ち返る必要性を認識し、自分が読者でい続けるという余白を意図的につくっています。今日は、テクノロジーと実存、障害福祉などの課題と闘い続ける自分の問いに対して、道標を示してきてくれた10冊の著作を紹介します。

心身不調と忙しさと読書は本当に相性が悪いので、いかに読書の優先順位を高めつつ電子デバイスを突き放すかが大切に思うこの頃です。(SNSで他者の投稿を見てエネルギーになったり契機になるならそれは知りたい)

実存的苦悩と救済の道筋

『死に至る病』 - キェルケゴール

 実存哲学の金字塔として、現代のデジタル社会における疎外の問題を先見的に分析していると思います。彼が提示する「絶望」の三形態(可能性と必然性の弁証法的関係における絶望)は、現代の技術社会における自己喪失の構造を理解する上で本質的な分析枠組みを提供しています。

特筆すべきは、彼が絶望を単なる病理としてではなく、より高次の自己実現への弁証法的契機として位置づけた点です。この視座は、現代における「スティグマ」の問題に対して、存在論的な解放の可能性を感じさせてくれます。

『罪と罰』 - ドストエフスキー

 主人公ラスコーリニコフの実存的葛藤は、社会における倫理的判断の本質的な困難さを象徴しています。道徳と倫理の違いを考えさせられたのもこの本です。特に、彼の「非凡人理論」は、現代のテクノロジーがもたらす倫理的ジレンマを考察する上で重要な思考実験ができます。

本書は、技術による人間の解放と抑圧という二重性を考える上で本質的な示唆を与えてくれた本です。

歴史と記憶の重層性

『三国志』 - 吉川英治

 ニブンノイチ成人式とやらで自分の名前の由来を調べる必要があった時、父に渡された本がこの本で、私の読書人生の始まりです。単なる歴史小説を超えて、権力と正統性、個人の才能と社会的価値の弁証法的関係性について深遠な洞察を含んでいると今は解釈しています。

当時kindleがあったら良かったな…

特に曹操の実践的才能主義は、現代のメリトクラシーが内包する本質的な矛盾を考察する上で重要な示唆を与えてくれます。「天よ我に百難を与えよ」の姿勢を10歳の頃に知れたのは私の礎となっています。また、諸葛孔明の知性と人間性の調和は、現代のテクノロジーと人間性の融合における一つのモデルという意味でリスペクトしています。

『アンネの日記』 - アンネ フランク

 原爆や戦争に関心を持つようになったきっかけで、個別具体的な実存の証言としての価値を超えて、現代のデジタルアーカイブが内包する存在論的意義を問い直す契機を与えてくれると思っています。特に個人の記憶と集合的記憶の弁証法的関係性を考えさせられます。

現代のデジタル技術による記憶の保存と継承は、アンネの日記が示す「証言すること」の本質的意義を新たな文脈で問い直すでしょう。また、本書は抑圧された声の解放という点で、現代のソーシャルメディアにおける発話の可能性と限界を考察する上でも重要なのではないでしょうか。

苦悩と超越

『人間失格』太宰治

 日本で一番売れたとされている小説なので誰しも読んだことはあるのではないでしょうか。太宰の描く実存的疎外は、デジタル化が加速する現代社会における「余白」の存在論的重要性を浮き彫りにしていると思い、私の起業理念のきっかけでもありあmす。特に、「人間失格」という概念そのものが、現代社会における規範的人間像の解体と再構築の必要性を感じさせてくれるバイブル的な1冊です。

『夜と霧』 - フランクル

 フランクルによる極限状況における実存分析は、現代のメンタルヘルスケアの本質的な限界を考えさせると同時に、理系出身者の私にコーチングを学ぶきっかけを与えてくれました。

特に、「意味への意志」という概念は、テクノロジーによる支援の可能性と限界を考察する上で重要な理論的基盤になっています。人間の尊厳の保持という課題に対して、存在論的な示唆を与えてくれた本です。

思考の構造と環世界

『野生の思考』 - レヴィ=ストロース

 構造主義的認識論は、常に自分の認識や世界の見方を再構築を考察する上で本質的な理論的基盤となっています。特に、「野生の思考」と「飼いならされた思考」の二項対立を超えた思考様式の多様性への着目は、現代のインクルーシブデザインにおける哲学的基礎にすらなり得たと思います。

技術による世界の再構造化を批判的に考察する上でも重要な視座を提供してくれるので、定期的に読み返す本です。

『生物から見た世界』 - ユクスキュル

 環世界という言葉自体当たり前のように使っていましたが、根元の考え方に当たったのは割と最近です。フィルムカメラで表現を続けることや、あらゆるテクノロジーによる知覚の拡張を存在論的に考察する上で思い出すように読んでいます。

主体特有の知覚世界という概念は、VRやARなどの技術による知覚の拡張を考える上で楽しさを与えれくれますし、フィルムカメラに拘る理由もユクスキュルからの影響があります。インクルーシブな社会設計における存在論を考えさせられつつ、全ての生物を愛せるようになった1冊です。

私的ビジネス書(世間一般でいうビジネス書とは異なる)

『デジタルネイチャー』 - 落合さん

 デジタル技術による自然の再解釈が、ユクスキュルの環世界論と接続されている点がわかりみが深いです。人間と非人間の境界を再考する上で重要な理論的示唆を含みつつ、仕事をする上でよく思い出すフレーズが多いという意味で自分の中ではビジネスライクに捉えています。

計算機自然という概念は、現代における「自然」概念の根本的な再検討を促してくれただけでなく、アートを再解釈する喜びも与えてくれました。「生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂」を理解するまでかなり時間がかかったと思います。

『イシューからはじめよ』 - 安宅さん

 問題解決の方法論を超えて、存在論的な「問い」の立て方自体を再考する本だと思っています。イシューの設定それ自体が持つ存在論的意義に趣を感じつつ、仕事でもこれだけ読んでいれば大抵のことは解決します。

ハイデガーの「存在の問い」という概念とも響き合いながら、技術社会における本質的な問題設定の手法を教えてくれました。

新たな「余白」の存在論に向けて

 今日紹介した本は本の一部ですが、個人的な影響を超えて、現代社会における「余白」の創造という実践的課題に対する存在論的基盤になっています。今日の本を読み返す理由はざっくり下記。

  1. 余白の再定義
    技術社会における「余白」を、単なる空隙としてではなく、新たな可能性の生成空間(時間、精神、物理的)として捉え直すため

  2. 技術と人間性の弁証法
    技術決定論と人間中心主義の二項対立を超えた、新たな存在論的統合の可能性を考えつつ、テクノロジーの楽しさを再解釈し続けるため

  3. スティグマの解体
    社会的烙印、つまりスティグマや障害を存在論的次元で解体し、新たな価値創造の可能性を考え続けるため

私たちは常に、古典的叡智を現代的文脈で再解釈しながら、新たな「余白」の創造に向けた実践的取り組みを継続できると思っています。考え続けるだけでなく、それ以上に手を動かし続けること。単なる技術的進歩を超えて、人間存在の本質的な豊かさを追求する営みとして読書があると思っています。


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