毎年、年末年始や誕生日以上に自分の人生を省みる日です。毎年の思考の変遷を振り返りつつ、79年という月日に想いを馳せます。
私がnoteを始めたのが2019年なので、デジタルに振り替えられるのはここまで。10歳の頃からと考えると20回は自分の生き方を考え直す日なので、10歳の頃にガザ地区の内戦を報じる新聞をスクラップしていたあの頃から基本的な軸は変わらず。
毎年当時の文献や日記を読み返しては、日常の「暇と退屈の倫理学」でいうところの「退屈さ」にあたる瑣末なことに心を失くしていることには勿体なさを覚えつつ、その度に人生を考え直します。
5年前はコーヒー屋さんの組織人として障害者雇用やDE&I、誰もが居場所を感じられる世界線の為に全力を投じ、それよりも少し前にはコーチングやカウンセリングを勉強し始め。4年前はビジネスの経験と新規事業の立ち上げに邁進し、2年前からは障害福祉のスタートアップで経営企画室を立ち上げて財務や経営、政策提言など様々なことを経験させてもらい。いろいろな人に助けられたお陰で5年間で業界も職種も違うことを立て続けに行ってきた。
その間に起業もして、自分が目指す世界線に共鳴してくれる人も少しずつ増えてきたことへも感謝を。全てはこの日に振り返ることの重要性も、要因の一つとしてあるのです。
唯、まだまだ自分が見たい景色には程遠くて、そんな思いを自分にだけわかる言葉で綴っていた先日。
何かが大きくブレることもなくなってきた。一見というかどこから見ても飛び地なキャリアで、世間一般の方が求めるキャリアとか成長とか名声とかとは程遠い軸で生きている気がするけれど、この日をリフレクションのタイミングにしていて良かったとは思う。
5年前に書いたことが頭の片隅に常にあるのはRASなのかなんなのかわからないけれど、デジタルに記録しておいて良かったと思う。
今以上に稚拙な考えと文章にも月日を感じつつ。軸は変わらず。戦争を考える機会は今日に限らずいくらでもある。
綺麗事ではなくリアルを。
手触りを。
感動できる物語ではなく目の前の人に手を差し伸べる余白を。
感動も何もないフルメタル・ジャケットを観返しながら、綺麗事で完結しない世界の面白さを感じている。ミッキーマウスマーチを頭に流しながら、明日死ぬかもしれない自分が、明日を生きるのであれば、見たい景色を見るまでは死にきれない。
全ての人へ祈りを。
戦争が無くなることを心から祈りつつ、できることをやり続けます。
映画「ひろしま」が公開されています。知ることから始めましょう。
人はなぜ戦争をするのか。考え続けた最近でした。