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AM8:15 祈りを。
「げんしばくだんがおちると ひるがよるになって ひとはおばけになる」
毎年、年末年始や誕生日以上に自分の人生を省みる日です。毎年の思考の変遷を振り返りつつ、79年という月日に想いを馳せます。
一生懸命、心に刻むこの日。一人でも、生きていくしかない、瑣末なことに心を奪われることなく。自らの心が、動く方へ。必要な経験がまだあるなら。まだきっとあるから、全部私にください。
戦争を通して、人の中に存在する多様性に敬意を払い、極限状態で表出する人間性も認め、理解することができます。理不尽な生と死について考えながら、常にその理不尽さと闘って生きていきたいと、昨年よりも、一昨年よりも、今一番、強く思っています。
常に自分が当事者だったらどうするか、という事を考えながら、極端に悲観的になる事はないようにしていきたいものです。
小学生の頃に訪れた広島の地に、いつか子供を連れていくだろうし、村上隆の「原発を見に行くよ」を見せるだろうと、身の回りの未来について考える1日
今日は誰もが戦争について一瞬でも考える一日。原爆について考えるというよりも、人間というものについて、そして死というものについて考える日だ。「夏の雲は忘れない」を読んで、アートだけではない、詩という形で、理不尽な死に直面した人間の心に触れる。そして心を動かされる。
戦争、理不尽な死、人間の残虐性は常に心を動かす。心をどこに動かすのか、それは自分次第だ。
私の場合、それは決して悲観的なものではなく、前向きで、明るくて、同時に絶望したものになる。理不尽な死が常に訪れる可能性への絶望、人間というものへの絶望、それと同時に、今ある幸せへの感謝と感動と人のやさしさが今を輝かせてくれる。
生死を考える時、いつもこの夏に思い出すのは原爆ドームを訪れた日のことです。祖母に連れられて行った原爆ドームで、今思えばパラダイムシフトと呼べるようなことが起きた小学4年生の自分に、「まだ生きなければ駄目だよ」と言われている気がして、8月はいつもより少し、この1年も必死に生きている自分を好きになれます。
私がnoteを始めたのが2019年なので、デジタルに振り替えられるのはここまで。10歳の頃からと考えると20回は自分の生き方を考え直す日なので、10歳の頃にガザ地区の内戦を報じる新聞をスクラップしていたあの頃から基本的な軸は変わらず。
毎年当時の文献や日記を読み返しては、日常の「暇と退屈の倫理学」でいうところの「退屈さ」にあたる瑣末なことに心を失くしていることには勿体なさを覚えつつ、その度に人生を考え直します。
5年前はコーヒー屋さんの組織人として障害者雇用やDE&I、誰もが居場所を感じられる世界線の為に全力を投じ、それよりも少し前にはコーチングやカウンセリングを勉強し始め。4年前はビジネスの経験と新規事業の立ち上げに邁進し、2年前からは障害福祉のスタートアップで経営企画室を立ち上げて財務や経営、政策提言など様々なことを経験させてもらい。いろいろな人に助けられたお陰で5年間で業界も職種も違うことを立て続けに行ってきた。
その間に起業もして、自分が目指す世界線に共鳴してくれる人も少しずつ増えてきたことへも感謝を。全てはこの日に振り返ることの重要性も、要因の一つとしてあるのです。
唯、まだまだ自分が見たい景色には程遠くて、そんな思いを自分にだけわかる言葉で綴っていた先日。
何かが大きくブレることもなくなってきた。一見というかどこから見ても飛び地なキャリアで、世間一般の方が求めるキャリアとか成長とか名声とかとは程遠い軸で生きている気がするけれど、この日をリフレクションのタイミングにしていて良かったとは思う。
抽象度の高い理想を追い続けることも大切ですが、一方で明確に人の課題を解決するテックや研究やアート、そうした手触りのあるものを作り続ける覚悟と学び続ける芯のある人達、ないしは無意識かつ無目的的に永続性のある生を全うしている人達にこそ、やはり敬意を抱きたい。
2025年までにMBAで修論を書き上げそれを社会彫刻として実践し、写真とテックでアートを作り続け、仕事では障害の概念を拡張し、余白を楽しめるパートナーや友人と、豊かな後悔の多い人生をつくれるように
5年前に書いたことが頭の片隅に常にあるのはRASなのかなんなのかわからないけれど、デジタルに記録しておいて良かったと思う。
テクノロジーへの拒絶が少ない世代がこれから高齢化していく中で、本当の意味でのダイバーシティが実現されていくでしょう。そして、ダイバーシティの高い子供がこの世に生まれ落ちた瞬間から、障害として認識されない時代を早く見たいなと思います。
最近はゲノム編集にも期待しています。
30代のキャリアはまたテクノロジーとゲノム研究に回帰したいなと考えています。
今以上に稚拙な考えと文章にも月日を感じつつ。軸は変わらず。戦争を考える機会は今日に限らずいくらでもある。
綺麗事ではなくリアルを。
手触りを。
感動できる物語ではなく目の前の人に手を差し伸べる余白を。
感動も何もないフルメタル・ジャケットを観返しながら、綺麗事で完結しない世界の面白さを感じている。ミッキーマウスマーチを頭に流しながら、明日死ぬかもしれない自分が、明日を生きるのであれば、見たい景色を見るまでは死にきれない。
全ての人へ祈りを。
戦争が無くなることを心から祈りつつ、できることをやり続けます。
映画「ひろしま」が公開されています。知ることから始めましょう。
人はなぜ戦争をするのか。考え続けた最近でした。