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Gettysburg(1958) チェスからウォーゲームへの歴史

戦争からゲームへ


人間はいつから戦争しているのだろうか?

エジプトとスーダンの国境、ジェベルサハバの遺跡で発掘された紀元前12,000年頃の集団の遺骨には、武器などによる暴力の跡がみられ、最古の集団での戦闘と考えられている。※1
そしてウォーゲームのゲームデザイナーであるダニガンは、ウォーゲームハンドブックの中でウォーゲームが戦争より前に存在した可能性を示している。※2
もっとも、ゲームと言えるような明確なルールが無くても、敵と戦う前に地図上にミニチュアやコマを置いて、状況確認するぐらいのことは行っていたであろう。
映画クレオパトラでは、ジオラマを使ってアクティウムの海戦(紀元前31年)で戦況報告が行われる様子が描かれる。

古代エジプトは、紀元前2000年頃には精巧なミニチュアを作っていたので、軍事作戦に使っていても不思議ではない。

初期のウォーゲームは、チェスや囲碁のような抽象戦略ゲームと言われるものだ。
特にチェスはウォーゲームの直接の祖先といえるが、その祖先であるインドのチャトランガは、遅くとも6世紀頃からと言われている。
チャトランガに似たゲームは、中国にはシャンチー、日本には将棋があるが、ヨーロッパにはチェスが伝わった。
最古のチェスの駒は706年頃のものが見つかっている。※3

ヨーロッパに伝わったチェスからは様々な変種が作られたが、中でもドイツ(当時のプロイセン)からは特殊なものが生まれ始めた。
抽象的なゲームから、より現実の戦闘へ近づける試みだ。
1664年に作られたKönigs-Spiel(王様ゲーム)は、チェスの8x8だった盤面を大幅に拡大し、駒を当時の軍隊の編成に近くした。

さらに1780年に作られたHellwigs Kriegsspiel(Hellwigのウォーゲーム)では、盤面に町や川などの地形がカラフルに表現されるようになり、砲兵による遠距離攻撃まで行われるようになる。


※1 PMC, The evolution of lethal intergroup violence, https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1266108/

※2 ジェームズ F・ダニガン, ウォーゲームハンドブック, William Morrow and Company, 1980
第2版の英語版はこちらから読める。
STRATEGY PAGE, The Complete Wargames Handbook, History of Wargames, https://www.strategypage.com/wargames-handbook/chapter/5-histor.aspx

※3 Trad Games, The Chess Family - History and Useful Information, https://www.tradgames.org.uk/games/Chess.htm

ウォーゲームの広がり


ゲームとしてはだいぶ進化してきたが、まだまだ現実の戦闘とは隔たりがあった。
平面の盤面は高低差を表現できず、四角の升目では複雑な移動ができない。
一方この頃には測量技術が発展し、ヨーロッパ全域でかなり詳細な地図が作られるようになっていた。
現実世界をミニチュアで再現するジオラマが、見世物として作られるようになったのもこの頃だ。

1830年から8年かけて作られた、ワーテルローの戦いのジオラマ

1811年、ライスヴィッツ男爵は新しいウォーゲームを作り上げた。
そのゲームは盤面を升目で区切ることを止め、大量の砂によって高低差を表現することを可能とした。
移動範囲は定規を使うことで、より正確な距離を移動できるようになった。
定規での移動はミニチュアゲームに引き継がれ、ウォーハンマーなどで今でも行われている。

しかし当時のプロイセン王子の間では遊ばれたものの、もともと商業目的で作られたものではなく、軍隊に採用もされなかったので、このゲームが大きく広まることはなかった。
またプロイセンが当時ナポレオン率いるフランスと戦っていたせいか、ライスヴィッツはウォーゲームを作らなくなってしまった。
そこでウォーゲームの作成は、息子が引き継ぐこととなり、そのゲームは1824年に完成する。

ライスヴィッツJr.は多くの新しいアイディアをもたらした。

・等高線などが記された、1/8000の実際の地形図の使用
前のゲームでは砂を使っていたが、風で飛ぶなど扱いが難しかった。紙の地形図を使うことで地形を正確に表現できるようになっただけでなく、持ち運びが便利になった。

・攻撃されたら一撃死→サイコロを使った判定によるヒットポイント制の導入

・審判制の導入
作戦は審判に伝えられ、戦闘の判定は審判が行い、プレイヤーには知り得る情報だけを伝えるようにした。
またルールに明記されていない複雑な事柄は、審判が処理するようにした。

審判制は、後にRPGではダンジョンマスターとなり、ヒットポイント制はRPGに限らずあらゆるゲームで使われるようになる。

こうして完成したゲームは、軍に採用され、販売されることとなった。
19世紀中にはプロイセンだけでなく、ヨーロッパ各国の軍で、ウォーゲームが採用されることになる。
現在ウォーゲームと呼ばれる一連のゲームはこのゲームから発祥したと考えられており、ライスヴィッツJr.はウォーゲームの父と呼ばれている。

一方、イギリスからは軍用ではない一般向けのゲームとして、1898年Jane’s Naval War Gameが発売される。

このゲームを作ったのは、ジェーン年鑑を作ったフレッド・T・ジェーン。
実はこのゲームの発売前のテストプレイには、イギリス留学中だった日本の軍人が多く関わっている。
さらにゲームを作った翌年には、秋山真之が留学してきた。
ドラマにもなった司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公である。
秋山はジェーンの家でゲームを行っており、日本に帰ってからこのゲームを日本の海軍大学校教育課程に導入した。※4
その後、秋山は日露戦争の作戦参謀として、日本を勝利へ導いていった。

※4 日本のウォーゲームの導入は海軍では初だが、陸軍は1885年に導入している。
阿久津博康, 防衛研究所NIDS コメンタリー第 139 号, フレッド・ジェーンの海軍ウォーゲームと日本帝国海軍将士たち, 2020, http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary139.pdf

ミニチュアゲーム


『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』の作者、スティーブンソンは、密かな趣味を持っていた。
自宅でおもちゃの兵士による戦争ごっこを行うのだ。
いや、戦争ごっこというには本格的なもので、当時の雑誌にはゲームの解説に手書きの地図、当人の従軍記が載せられている。※5

ブリキでできたおもちゃの兵士は、18世紀から主にドイツ、フランスで作られた。
アンデルセンの童話『しっかり者のスズの兵隊(鉛の兵隊)』にも登場する。
19世紀のヨーロッパではとても人気のある玩具だった。

スティーブンソンと同じイギリスの作家H. G. ウェルズもまた、おもちゃの兵士によるゲームに魅せられた一人だ。
彼は遊ぶだけでは飽き足らず、詳細なルールをまとめ、1913年Little Warsというタイトルで出版した。

Little Warsはこちらで全文公開されている(英文)。
写真を眺めるだけでも楽しい。

ミニチュアウォーゲームは、ミニチュアを買う必要がある上に結構な場所を必要とするため、かなりお金のかかる遊びだった。
それに加え第一次大戦の影響でおもちゃの値上がり、さらには大恐慌などもあり、遊ぶ人の数は限られていた。
しかし第二次大戦後、アメリカのジャック・スクラビーが錫と鉛の合金で安価なミニチュアを開発。
さらにミニチュアウォーゲーム雑誌を作り、コミュニティを盛り上げることに成功した。

後にその流れから、アメリカでは最初のRPG、ダンジョンズ&ドラゴンズ(’74)が生まれ、イギリスからはミニチュアゲーム、ウォーハンマー(’83)が誕生することになる。

※5 HathiTrust Digital Library, Scribner's magazine v.24 no.6 1898, STEVENSON AT PLAY, https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=miun.acd5969.0024.006&view=1up&seq=71&skin=2021


ボードウォーゲームの誕生


1930年、チャールズ・S・ロバーツは、モノポリーにも登場するB&O鉄道に勤める父のもとに生まれた。
1948年に陸軍に入隊すると、1950年に朝鮮戦争が勃発。※6
朝鮮戦争への準備のため、机上で戦争の原則を学ぼうとオリジナルのゲームを作成した。※7
しかし朝鮮戦争は1953年に終結、彼の手にはゲームだけが残る。
彼は1954年にゲームをタクテクス(Tactics)というタイトルで販売すると、2000セットが完売。
本格的にゲーム業界へ参入することを決意した。

1958年に会社Avaron Hillを設立。
最初の歴史的な戦いに基づいたゲームGettysburg(日本版タイトルは米国南北戦争)を発売する。
南北戦争100周年を前に発売されたゲームは、大きな話題を呼びヒットした。※9
その後のウォーゲームは歴史的なゲームが、大きな流れとなっていく。

その後60年代から70年代にかけてウォーゲームは大きく発展。
さらにはコンピュータ上でも遊ばれるようになっていくのである。



次回は野球盤の歴史です。


※6 THE BALTIMORE SUN, “Charles S. Roberts, train line expert, dies at 80”, 2010, https://www.baltimoresun.com/obituaries/bs-md-ob-charles-roberts-20100827-story.html

※7 Charles S. Roberts Awards, In His Own Words, 1983, https://charlieawards.wordpress.com/in-his-own-words/


参考文献:
Matthew B. Caffrey Jr., U.S. Naval War College Digital Commons, On Wargaming, 2019, 
https://digital-commons.usnwc.edu/newport-papers/43/

Jon Peterson, Playing at the World, Unreason Press, 2012

蔵原大, 【第2版】史学研究とゲーム研究の徒・蔵原大―遺稿と追悼, 近現代ウォーゲーム(兵棋演習)の概史, 2013,
https://booth.pm/ja/items/2646109


タイトル画像
Avalon Hill, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で


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