私の時間は早く過ぎる
私にとってこの4年はとんでもなく早かった。
中国武漢で働いていた私は、コロナから逃げるように職を辞し、日本に舞い戻った。やり残した何かに結着をつけたいと思い、一大決心をして渡った中国だったが、滞在期間はたった一年。志半ばのリタイヤだった。それから4年が過ぎた。
「齢を取るにつれて時間の流れが早く感じる」とはよく言われること。
19世紀のフランスの哲学者ジャネーさんは、「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢に反比例する」なる法則を説いているそうだ。
もっと昔のイギリスの哲学者ベーコンさんによると「若い時は一日は短く一年は長い。齢を取ると一年は短く一日は長い」らしい。
どうしてそうなるのか‥ ネットでは、現代人もいろんなことを言っている。かいつまんでみると‥
若者は好奇心に満ち溢れてている。毎日新しい刺激にワクワクしている。
片や老人の生活は単調で刺激が無い。好奇心は低下して新しいものを求めない。だから時間の流れを早く感じる。「時間の流れが早い」この症状は、「面白みのない退屈な生活を送っているサイン」なんだとか。
うーん、よく分からないし、ちょっと遺憾ではあるが‥ 私のこの4年は単調で刺激は少なかったし、好奇心は確かに減衰した。そして時はやたら早く過ぎたと感じているのだから、「御説ごもっとも」と言わざるを得ないか。
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今日は、そんな "矢" の如く過ぎた "光陰" を振り返る。
コロナのあおりで仕事を辞めて引きこもることになった新米老人(私)が、4年間でどう変わったか。何を失って何を得たのか。その辺りを詳らかにしてみよう。あっそう、この話が誰のお手本にもならないことを断言しておく。ただ「老い方」の一例としてお読みいただけたら幸いに思う。
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まずは私のこの4年間をざっくりと‥
コロナによる武漢都市封鎖のその日、私は封鎖前最後の国際線で帰国した。すぐに自主的幽閉を経て蟄居~禁足を続けた。自粛の風潮に浸り切った私は、3年を無為徒食して過ごした。昨年4月からは近所の医療施設でバイトを始めている。書いてみるとホントに何も無い。改めて「空白の4年間」を窺い知ることができた。
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そんな中私は、3年前の2021年2月に note を始めている。始めた理由は、巣籠もりも一年を過ぎ「思考力と日本語力の低下」が心配になってきたから。悪筆がコンプレックスだった私に、それまで文章を書く習慣は無かった。その私が、3年で150編ほどの拙文を note に掲載した。
書いてみたら「案外できるじゃん!」と自分でも驚いた。続けているうちに、"勘所" や "立ち位置" "マイテーマ" が少しづつ分かってきた。
知らない世界、遠い場所にいる才気溢れる方々と知己を得ることは、とても刺激的だったし、皆さまからいただく💖「スキ」に、"褒められたい体質" の私は無上の喜びを感じた。
また note に記事を書く作業は、自分自身を見つめ直すキッカケとなった。私はこれまで外見についても内面についても、自分自身を直視しないきらいがあった。見ないこと、隠すこと、忘れることで折り合いを付け、自己防衛していたのかもしれない。それは私の人格の土台となっている劣等感の素であったり、会社時代の理不尽な出来事の記憶なのだが、note によって掘り起こしてしまった今、それらとは改めて折り合いを付けなきゃいけないと思っている。
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note 絡みでかなり字数を費やしてしまった。その他話題を駆け足で。
3年前の自粛期間中、滑舌が悪くなっていることに気付いた。誰とも話さない日々が続いていたことによるものだ。焦った私は、細君を巻き込んで、向田邦子のエッセイの音読を始めた。半年ほど続いたがいつの間にか止めていた。加齢により滑舌は確実に衰える。対策はとにかく話し続けること。
私の好きなもう一人の(?)大谷くんの早口言葉。私には太刀打ちできない。
「バスガス爆発見てパグ抱く白髪」「ハム噛むパグ抱きはにかむ白髪」
「摘出手術中普通シチュー食う?」「怖いぐらい具合悪いズワイガニ」
「ペアルックヘルメットモルモット細マッチョフルボッコ」
また無駄に字数を費やしたー。もう少し急ぐ。
やはり3年程前。ボケ防止の一環として「英語を勉強し直す」と決め 、note でも宣言した。目標は「還暦記念で受けたTOEICのスコア670点を越えること」。YouTube で適当なレベルのサイトを見つけて勉強をスタートしたが、半月ほどで止めていた。
「正しく努力すればレベルアップは可能」と信じてゴルフを続けているが、結果はまだ出ていない。年間約20ラウンドのうち、2022年は100切りが2回、2023年は0回だった。ゴルフが下手な人は「運動神経が悪い」か「頭が悪い」かなのだが私は明らかに後者だ。毎回酷い自己嫌悪に苛まれるこの行為は、果たして「趣味」と言えるのだろうか。今年は続けてみるが。
帰国直後から始めた朝夕の散歩は完全に定着した。毎日一万歩を歩く。鳥を見ることも趣味になった。カワセミが見られると興奮する。
高校時代の仲間と麻雀部を創設した。私が部長で登録メンバーは10人。創設の理由を「ボケ防止」としたらすぐに集まった。
昨年車を買い替えた。前の車は買ってから9年を経過していたのだが「年齢的に人生最後の新車購入のタイミング」と思い購入を決断した。私の小さなこだわり目標「北海道と沖縄以外の45都府県に行く」を、新しい相棒と始める。今年はまだ行ったことのない9県のうち、島根~愛媛~高知~徳島をやっつける予定。あ、細君といっしょにです。楽しみだなぁー。
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最後は体の事いろいろ。まずは見た目の変化について。
体重は現役時代を基準として、自粛期間中にプラス8kgまで増えた。そこから5kg減らしたが、それ以上は減らない。
「もう気にしていない」風情を気取っているが、実は気になる髪の毛。依然として減少が続いているようだ。ふさふさの自分がたまに夢に現れる。
4年間で常用薬が2種類増えた。「薬が無ければ、お前はもう死んでいる」とケンシロウは私を指差すだろう。現在基準値ギリギリの危ない種目がひとつあるのだが、これ以上薬を増やしたくないので、人知れず食事制限に心掛けている。
今最も気になっているのは、記憶力の衰えだ。急速に進んでいる。
まずは覚える機能が衰えた。新しいアプリの使い方が覚わらない、書かなきゃ約束や予約などを忘れがち、新しい言葉が頭に入らない等々。
※「シラバス」「リテラシー」「コアコンピタンス」などは我々の時代には無かった言葉。最近目の前に現れてきたが、なかなか覚えられない。
もうひとつは、知っているはずのことが思い出せないこと。テレビに映るタレントの名前が出て来ないのが気になって、内容に集中できないことはもう日常。最近の私は、人の名前を思い出すことで毎日30分程を費やしている。
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ここまで3,000字を超えるダラダラの文章を、根気よくお読みいただき有難うございました。ここで私の4年間を反省し総括してみます。
私の老いは緩やかに且つ確実に進行している
そして今日書いてきたことから、私という人間を端的に表現すると‥
危機感と向上心は持っているのに意志が弱い人
自分を俯瞰できるのは note の効用だが、ちょっと残念な結論になった。
私が note を続ける理由のひとつに「孫が大きくなった時これを読んでおじいちゃんの人となりを知ってくれたら嬉しい」があるが、今日の記事は読んで欲しくない気がしている。
< 了 >
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