はじめまして、ヤングでもないケアラーです ~若年性アルツハイマー型認知症の母とアラサーの日常~
「私のこと、ギャルって呼んで!!」と自己紹介しているのだと職場から帰ってくる、快活で愉快なわたしのお母さん。
台所で食べる揚げたてに勝るものはないと笑いながら一番大きいから揚げをくれる、料理上手なわたしのお母さん。
平日はバリバリ働いて稼いで、週末は週末は一緒にあそんでくれる、強くて優しくてかっこいいわたしのお母さん。
自分のことはいつも二の次にしてしまう、不器用なわたしのお母さん。
きっかけは交通事故だった。
「落ち着いて聞いてください、あなたのお母さんが乗った車がトラックと正面衝突しました。意識のある状態で病院に運ばれましたが急に容体が悪化して、今緊急手術をしています。心拍は……出血量は2000mL、輸血量は……」
え、2000mLってなnミリリットル??
それ、ギリッギリのギリのバイタルなのでは???
5年以上も前のことなのでほかの数値は何ひとつ覚えてないが、単純に出血量だけ見ると生命の危機と言われる30%(体重60kgの人で約1500mL)を超えていたことだけは、はっきりと覚えている。
術後に説明された総出血量は5000mLを超えていた。
ほんと、よく生きてたな。
「ICUから出るのに何日かかるかわかりません」と看護師さんから告げられた3日後に通常の病棟へ移ったパワー型のギャルだったが、違和感に気付いたのは移動先の病棟看護師さん。
だって、何度も同じことを繰り返し聞かれることも、わたしにとっては覚えられてない誕生日のケーキを自分で買って帰るのも、日常だったから。
たくさんメモを取ることも、子どもの正確な誕生日を覚えてないことも、忙しい大人には、よくあることだと思ってたから。
事故のせいで記憶があいまいなのかも知れない、リハビリで治るかも…といわれたものの大きくは変わらず。
脳の萎縮や同年代と比べて認知機能の低下がみられることなどから「若年性アルツハイマー型認知症」の診断がつき、今も進行する症状と折り合いをつけながら生活している。
こんだけまじめに生きてきた一人の人間に、どんだけ試練与えたら気が済むわけ?????
そう思う一方で、わたしは母に病名がついたことが、嬉しかった。
そっか、病気のせいだったんだ。
頭を抱えるようなお願いも、支離滅裂に怒鳴られたことも、
どんどん気持ちがうまく伝わらなくなって、苛立ち悲しむことが増えていたけど、
ぜんぶぜんぶ、病気のせいだった。
お母さんの根本が、変わってしまってたわけじゃなかった。
心臓を覆っていたもやもやが、ほどけて溶けていくようだった。
最近ニュースやドラマでも「ヤングケアラー」について知る機会は増えてきた。周りの同年代に同じような子はほとんどいない。
……「ケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている」けど、もうヤング……ではないんかぁ。
あるある話で盛り上がるのは友達のお母さんや母の友人の皆さんでも、アラサーのわたしには名称がなくて宙ぶらりん。
ちょっと神様??少なくとも10年くらい先の人生のシフト表わたしてきてない???
でもそんなわたしの日常が、もしかしたら、
誰かの役に立つこともあるかもしれない。
あわよくば、賞金もほしい!!!!!!!!!!
その気持ちを形にするために、わたしはこのnoteをはじめようと思う。
※写真は病院に向かう途中に撮った空です
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