インプットの習慣が思考速度を加速させる
毎日の意識した情報の収集が言葉や知恵の引き出しを構築し、考える力をつけてくれる、という話
小学生の息子たちを見ていてよく思うのだが、今の小学生は大変だ。
私が今の小学生であったなら確実にノイローゼになって倒れてしまうか、早々に諦めてドロップアウトした生活を送っているだろう。そのくらい大変な日常を当たり前に送っているのだが、大人になった今、私がまったく勉強もせずなんとなく過ごしているかと思えばそれは違うと断言したい。
おそらく人生の中で一番本を読み、勉強をしているだろう。とはいえ、まわりが一生懸命に勉強に向き合っていた学生時代にまったくと言っていいほど勉強をしてこなかった人間が公言するレベルだ、その程度で勉強とはおこがましいとお叱りをうけてしまいそうだが、とにかく自分史上では最高に勉強し続けている昨今なのだ。
なぜに40も半ばにさしかかろうという年齢にもなって勉強をしているのかといえば、仕事に関してのボトルネック解消するために色々と調べていくうちに成果が出るのが楽しくなってしまった、というのが発端だと思う。
元々怠け者な性格で隙あらばサボりたい、楽したいと考える残念な人間である。そんな人間がいきなり一念発起して「勉強しよう!」などとは中々ならないのだ。
先延ばし、後回しにしていたツケが回り、とうとう後がない状況に立たされて仕方なしに向き合い始めた経緯だが、嫌々始めたわりに少しずつ成果が出ることにすっかり魅了され、気が付いたら余暇はほとんど何かしらのインプット、またはアウトプットにつぎ込んでいる熱心さである。
移動中は耳から情報を入れ、空いた時間に本を読み、早朝に粛々とアウトプットしてみたりとそのハマりっぷりは自身が一番驚いているのだが、これがまた仕事の成果なり、報酬なり、自身の成長なりに実感として返ってくるのだからやめたくてもやめられないループにはまっていると言っても過言ではない。
そして、そんな生活を数年続けてみて最近新たに実感しているのが、引き出しの多さである。問いにぶつかるの頻度も増えたのだが、その問いに対しての解を求めるのに様々な角度から言葉や知恵のストックを引き出しから引っ張り出してこれるようになっているのである。
あくまで私個人の感覚であり、その引き出しの質に関しては自慢できるほどのものではないが、意識して勉強をする以前と比べると驚くほど脳の回転率が上がっているのがわかるのだ。瞬時に計算ができるとか、難解なパズルが解ける、といったような天才的な頭脳のそれとは全く違うのだが、常に頭の中に回路が巡っているような感覚で、考えることがそれほど苦にならなくなっているような気がする。
レベルこそ低いが、それなりの時間を割いて集積した言葉や知恵がストックされているので当然といえば当然なのだが、考えた問いに対して何らかの解に辿り着ける営みはやはり楽しいのだ。その快感を求めるためにさらに情報を頭に放り込む、そしてアウトプットしては「!」と閃く。その繰り返しだが、おそらくこの営みは生涯にわたってハマり続ける唯一の趣味と捉えてもいいのかもしれない。
なぜならやめるタイミングが自分で想像できないからだ。
万人に当てはまることではないが、インプットとアウトプットの習慣は確実に成長の強力なサポートをしてくれる
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