ずるい考えは自身への甘え
まっとうな競争に参加する。自分だけ優位な立場に躍り出るような姑息な裏技は成長の妨げになる、という話
仕事の取り方には努力が必要である。
当たり前のことだが、しばしばこの努力を無視してやり取りする会社が存在する。
先日、ある地元の建設会社から仕事の相談を受けた。今まで接点はなく、自社のカテゴリーの工事を請け負う会社を探しているようであった。
事前に問い合わせをくださり、わざわざ来社して話をしたいとのことだったのでスケジュールを空け、相談にのることになった。
基本的に弊社はゼネコンや中規模以上の建設会社の仕事はお断りしている。支払いサイトの面や、一案件のボリュームが弊社ではキャパオーバーということもあり、お力になれることが少ないからだ。
当日、色々とお話を聞いた上で、やはり弊社とは様々な面でメリットを発揮できないことを伝えお断りをしたのだが、その話し合いの際に先方からは、こんな大きな仕事を振ってやれる、儲けさせてやれる、というような話が引っかかったのもお断りした理由のひとつになる。
そもそもこちらがお願いをして営業をかけているわけでもないのに、すでにパワーバランスが完全にこちらが下、という話の進め方も気になりお断りさせていただいたのだ。
このパワーバランスは一度受け付けてしまうと後々主従関係ができあがり、発注者側の理不尽な要求に付き合わされ、段々と売上げのパーセンテージを占拠し、その売り上げに依存してしまうと強引な値下げ要求が始まり、奴隷のように薄利で振り回されることが多々あるのだ。
20年以上前、ある建築系の会社に在籍していた頃、当時の社長から分厚い封筒を元請け会社の担当者の自宅まで届けるよう指示され、車で向かったのだが、その封筒を手渡した担当者が中身を確認し、それが現金であったことを知ったときの嫌悪感を思い出した。
そのとき感じた嫌悪感を自身の若さのせいと言えばそれまでだが、20年以上経った今でも、そのような行為には同じ感情を抱くのだ。
商取引を円滑に進めるための接待などもある程度理解はできるのだが、度を越したものや、お布施や年貢のような形で現金を渡すことでしか維持できない関係はやはり気持ちの悪さを感じてしまう。
競争社会において、不健全極まりない行為と認識しているし、そのズルい考えは双方の企業努力のかけらもない恥ずべき行為だと思うのだ。
その他の企業が切磋琢磨し、高め合いながら社会に価値を提供している姿こそ健全であると考えるのは純粋な子供ような思考なのだろうか。
第一、そのような行為で仕事を受注する体質になることは、考えることを放棄して可能性の伸びしろを奪うことに繋がると思うのだ。先日の投稿でも記したが、私は妄想家と自負するほど考えることが好きだ。金銭やゴマすりで価値を妄想し具現化する営みを奪われるのは自身の成長を放棄するのと同義である。
であるならば、やはり一定の発注者とは価値観の相違から仕事を請けることはできない。
決して尖っているのではなく、自身のポリシーに近い感情がNOと言っている。とはいえこんな決断を身勝手にできるのも経営者ならではなのかもしれない。断れない立場や関係を強いられている方が1日でも早く解放されるのを願うばかりである。
考えるのをやめたとき、本質的な退化が始まる。当たり前の企業努力を放棄する会社に本当の価値提供はできない。
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