いつの時代もやる人はやる、やらない人はやらない、ただそれだけ
弊社は現在、基本的に私一人の会社である。その他に、事務、雑務などを数人のパートさんに協力してもらい成り立っている。
そのパートさんの中に私の父が在籍している。ちなみに肩書きは「会長」である。会長と言えど、役員として名を連ねているわけではなく、あくまも先代であり、まわりからの呼称で「会長」と呼ばれているだけなので、実質的には「パートの会長さん」というあだ名のようなふざけた役職である。
その父が先日、仕入先にある品物を受け取りに行ったところ、実に30年ぶりに会ったというある同業者の会長と出くわしたのだという。
昔話に花を咲かせ、しばらく懐かしい話や現在の業界の話など小1時間もその場で盛り上がっていたそうだ。
帰社後、父から聞いた話ではその方も齢85歳、細々とだが現役で商売をしているのだそうで、昔から自身は作業をすることなく、外注した業者を取りまとめて仕事を受注するスタイル。一番儲けていた頃で一人で年商3億円以上稼いでいたというのだから驚きだ。
それを聞いて驚いた父の「何がそんなやる気を起こさせるのか?」という質問に一言「そりゃあ女遊びでしょ」と昭和の商売人らしい。簡潔な答えで返すあたりもそれがバイタリティーの源のようで、85歳の今でも月に数回は女性と食事やお茶を楽しんでいるそうだ。
その際に「その頃は女と遊びたい一心で、どうやったらもっと儲かるかばかり考えていたよ。そして考えたことを必ず実行したもんだ」とおっしゃっていたらしい。
父にとっては女好きのバブルの話として処理していたようだが、私はそのバイタリティーの源が女性だったというだけで、純粋に商売をどうしたら向上できるかを四六時中考えていたのだろうと感心していた。
理想はあれど、その理想や構想を形にできない人は多い。自身の事業を考え続ける人も少ないが、それを即実行できる人はもっと少ない。その駆動力になるのが虚栄心や欲望の為であってもやはり動けるか動けないかの差は大きいのだ。
当たり前の話だが、宝くじ同様、商売も思いついただけでは儲かることはない。そのあとに、思いついたアイデアを儲かるように整備していくことで収益の流れができる。であるならば、宝くじを買う前に、当たったら何をしようか妄想しつつ、買うか買わないか迷っているのではなく、当たるためにはいつどこで何枚購入することで当選確率が上がるかなどを考慮して、即購入してはPDCAを回す、という行動が求められる。
宝くじとは比喩的表現であり、実際に商売人が本気で宝くじを自身の商売の足しに、とを考えているのなら絶対にやめた方がいい。時間のムダだ。
30年以上前の話とはいえ、時代や環境が違えどやはりやる人はいつだってやるということだ。やりきった自身への報酬を女遊びとするかは別として、動機というモチベーションの人参は今も昔も効力は絶大らしい、という話である。
利益率や時代はどうあれ一人で年商3億以上はすごい、ぶら下げる人参も考え物だな、と一人話の余韻に浸るのであった。