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転んだ時にこそ、その人の本性が現れる

平時や調子のいい時の関係性より、有事やトラブルなどの問題が起こったときに、隠れていた人間性が現れる、という話

日々の仕事の中で、自分なりに一生懸命に取り組んでいるつもりでも一定の割合で起こるのがトラブルである。

自分一人が細心の注意を払っているつもりでも関係する人間のちょっとしたミスや勘違いで思いもよらない大きなトラブルに発展してしまうことは往々にしてあるのだ。

3ヵ月前に発注のかかった案件でトラブルが発生した。詳しいことは割愛するが、事態は以前として決着がついておらず、現在はできることとりあえず全力で取り組み、どこまでリカバリーできるかという段階である。

正直どこまで持ち直せるかはわからない状態だが、やれることをやるしかない。

そんなことを考えていると、10年以上前に巻き込まれた大きなトラブルを思い出した。

私が経営を引き継ぐ前のどん底期、ある案件がトラブルから頓挫し、発注者が雲隠れしたことにより話がまとまらず、工事代金の回収はおろか、すでに発注した数百万の製品代を支払うことになった際の話だ。

その際の洞察はこんな感じだった。

まずは感情的になり取り乱してしまう人。立場によってはトラブルの大きさが自身のキャパを超えてしまい、感情をぶちまけることによってなんとか平静を取り戻そうとしているのかもしれない。

とにかく自分を卑下して同情を買おうとする人。自分にある程度非があると自負しているらしいが、それを大げさに表現することだけで「そんなことないよ、お前だけが悪いわけじゃないよ」という言葉待ちで自分から解決案を出そうとしない。

最後に客観視しているようで、本当に他人事として捉えている様子の人。俯瞰して解決策を模索しているならまだしも、はじめから他人行儀な姿勢を取ることによって問題に自分はあまり関わってないですよね?というポーズを決め込んで見せる。

その当時驚いたのは、案件の話が立ち上がった当初はお互いの利益や手柄に皆が意気揚々と積極的に取り組んでいたのだが、トラブルが発生し、その内容が大きく膨らんだあたりから一斉に距離を置き始めたのだ。

先述した洞察はタイプ別ではあるが、共通して言えるのは責任を取るつもりがまったくないという点だ。

それぞれの演出や表現により問題から距離を置くことで最後まで問題の近くにいる人間が逃げ遅れた形となり責任を背負わされるという構図らしい。

その当時の父の認識の甘さや下調べのずさんさも仇となり、数百万の負債はそのまま弊社のみが被る格好となり、関係者はクモの子を散らすように姿を消してしまったのだ。

今回は件がどのような結果に落ち着くかはわからないが、今の人間関係であれば真っ先に責任を負うことを表明し、信頼を少しでも毀損させない方向に舵を切る所存である。

各々が最善を尽くした結果によって着地点は変わるが、責任の取り方が定まり次第、いち早く手を挙げて然るべきペナルティーを被るつもりである。

金銭面の損失より、信用信頼を失う方がはるかに大きな損失である