普遍的な姿勢で伝える
時代によって変わる状況でも、変わらない本質は抽出することができる。自分に活かすも誰かに伝えるにも雑音を掻き分けた根幹を取りに行く必要がある、という話
妻が読んでいた本をパラリとめくる。
男子校の教師数名の共著した本で、男の子のトリセツ的な内容である。
なかなか興味深い内容で、目次だけのつもりが10分程度読み込んでしまった。そこで感じたのが、当たり前の事になるが、自分が男の子の頃とは環境がかなり違う、よって世の中の渡り方がまったく変わってしまったのだな、ということだ。
さらされる情報量が違うし、求めるものも簡単に手に入る。その分、か弱い成長過程において残酷なまでに取り込むべき経験や情報に本質が求められる。上辺の情報は大人が都合よく世にさらしたものも多く、本当に必要なものを取り込むには多くの失敗と自分の頭で考えて血肉にするセンスを身に着けることが不可欠である。
それにしても昔とは情報量が違いすぎるため、自分のものさしという価値観ができあがらないうちは翻弄され目が回ってしまうのではないか、と今の子を勝手に心配してしまう。
早い段階で失敗という大ケガにならない程度のケガをして、たくさんのカサブタから学びを得ることが有効かもしれない。私の時代とも違うので教えるにも限界があるし、上辺の情報はものすごいスピードで変わる。大人は自身の経験値から普遍的な教訓のみを抽出し、それを体現した営みの中から感じ取ってもらうことでしか伝えることはできないかもしれない。
常に問いを持ち、事実を疑う勘を養い、自分の頭で解を見出すことが重要になってくるのは子供だけではないはずだ。
しかしながら、いつの時代もそのようにして成長してきたのだと思うと、やはり私の程度の感覚で、今の子供たちを心配するのは杞憂に過ぎないかもしれない。今の子供たちは現代のスピードで臨機応変に順応していくことだろう。
だが、やはり普遍の原理はあると思うし、その本質をつかむことでまわりに影響されることなく成長することは可能である。
私のメンターの一人である義父は、パソコンが使えない。インターネットに精通していないまでも、数年前まで様々な事業を拡大し、新しいビジネスを立ち上げては軌道に乗せてきた。それまでの経験から世の中の本質的な仕組みが理解できていれば浴びるように情報を得なくとも物事は前に進めることはできるということを体現している。
経験値から察する嗅覚や勘に頼っているところも大きいかと思う。それらのセンスも失敗の量産から育まれてきたものだ。
普遍的な根幹を今の子が備えるならば、過去を振り返るといいのかもしれない。そこには渋沢栄一もヒカキンも変わらない王道があると思うからだ。
先日読んで感銘を受けた本、東海友和著『イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子』の帯を書いたファーストリテイリングの柳井正氏に経営学者の楠木健氏がインタビューして語っていたことが興味深かった。
柳井氏は大学卒業後、ジャスコに就職。小嶋千鶴子さんは当時人事部のトップで、お見かけした程度。柳井氏はほどなくしてジャスコを辞めて地元の山口県に帰り実家を継いでいる。
ほとんど接点はない両者だが、考え方、姿勢、取り組み方までそっくりだったそう。柳井氏はこの本を読むまで小嶋千鶴子さんの存在は当然知ってはいたが考え方や姿勢については全く知らなかったとのことだ。
経営者とはどうあるべきか突き詰めていった結果、同じ考えや姿勢にたどり着いたのでは、と語っている。
ひとつの本質をつかむため邁進すると繋がる普遍的な原理という根っこがあると思う。今の子に伝えるより、まずは自分がその境地に辿り着きたいものだと感じた次第である。
なぜなぜを繰り返したその先には普遍的な原理原則がある。その本質を理解するのはあらゆる経験が必要である。