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【エフェクチュエーション】どうせうまくいかないから計画を立てるのをやめた

商売において、向上する為の思索は必要だが、あまり綿密に計画に落とし込むのはやめよう、という話

先日のnoteにも書いたが、商売においてちょっと迷走中である。

今年は売上げこそまずまずだったが、内容には多くの課題が残った。

年末にさしかかろうという時期ではあるが、少しでも現状のモヤモヤをはらすためにインプット過多になっている。

打開策のヒントを欲しているということなのだろう。

早朝の時間は気がつくと一人作戦会議と称して、紙にできるだけ詳細な目標などを書き込んでいた。



その目標に辿り着くにはどうしたらいいか?

方法はいくつもあるだろうが、この場合、あまり綿密に計画を立てない方がいいと思っている。

確かに目標値までを目指す際の道しるべは必要だ。考えられるだけの要素を盛り込んで地図を描くと安心もするだろう。

だが、おそらくその地図はすぐに描き直すはめになるし、そのうち開くことすらしなくなることが予想できる。



何が言いたいかというと、“綿密な計画はどうせうまくいかない”ということ。

ちゃんと物事を客観視できるような優秀な人は別だが、わたしのような凡人が計画を立てる場合、かなり部分で希望的観測が織り込まれがちだ。

それは計画を練れば練るほど不純物として紛れ込み、気がつくと自分に都合のいいような計画書ができあがる。

モチベーションを上げたり、鼓舞するのが目的ならそれもいいが、具体的に現状を少しでも改善させるなら妄想はご法度だ。



ならばおおよその目標値だけを決めて、あとはそれに対して今日から何ができそうか手持ちのカードを見直すことの方が現実的である。

行動を起こさなければ何も変わらなし、起こせる行動は限られている。大改革のような大きな一歩より、数%の成長率が見込める小さな一歩を意識する。

あとは行動を起こした先の展開を柔軟にエネルギーに変えていくことで、何らかの成果につながると思うのだ。



その成果が「思ってたんと違った」ということでもいいではないか。

美しく羽ばたくよりどんな格好でもいいから進んでいくことの方が大事。

今日から何ができるだろう?知り合いに連絡をする、嫌な仕事を断ってみる、小さな行動からすべてははじまる。

小さな波紋でいい、波風を起こす意識をしよう