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浮遊していた課題の断片は実現可能な山にする
普段抱えている様々な問題はカテゴリー別にまとめて、越えられそうな山としてアクションリストに落とし込む、という話
引き続き一人合宿での内容になるが、今回の少ない成果物として直近で抱えている課題に優先順位をつけ、それらを解消するにあたり、アクションリストを作成することができた。
集中力を掻いたのもあり、そこまで突き詰めた内容ではないが、直近のボトルネックを解決するにはそれなりの効果はあるだろう。
まとまった時間で壮大な計画や構想を練るのも有意義ではあるが、それらのほとんどは実行されずいつの間にか行方不明になってしまうなんてこともよくある話。
それならば「前進する」というザックリとした名目の元、1マスでも前にコマを進められるのなら、それも確かな一歩と言えるのではないだろうか。というか今回はそれが例え一歩でも1マスでも進めた先で考えようと頭を切り替えたにすぎないが。
そして、毎度合宿の際には溜め込んだ資料やメモ、影響を受けた本などから思いつくまま言葉や問題を紙に落としていく。その断片的な言葉から発想を展開したり、可視化されたことで浮かび上がる解決策などをブレストしていく。
この際にあまり問題を細分化しすぎたり、解決策の質を高め過ぎたりしてはならない。あまり成果を欲しがり過ぎてはダメなのだ。それらの問題がすべて解消されるのは理想的だが、私のようなポテンシャルの乏しい人間はせいぜい解決できて二つか三つの問題になるだろう。
それもおそらく100点満点中、70点も取れれば上出来としているくらい自分に甘いのだ。
しかしながら、この二つか三つ程度の問題であろうが、真剣に向き合い、おおよそ解消できてしまうと気分的には1マスどころか次のステージにワープしたのではと勘違いするほど世界観が変わるのだ。
現実的にはさほど変化はないが、確実にコマを進めるという成果はその後各所に波及する。行動したことで思いがけない展開に話が転がったり、進んだ先に想像以上の利益を得ることになったり、要は考えて動くと何かが起きるということだ。
だからこそ普段抱えている課題や問題は超えられる程度の山にしてやり、登ることに没頭するよう自分を仕向ける。思いついてしまった壮大な計画や構想も高すぎる山として設定すると、登る気さえ起らないのである。考えているときはアドレナリンも垂れ流しの高揚した気分にはなるが、登らないのであれば妄想の範疇を超えないのだ。
自身は進みたいのであって、妄想を膨らませたいだけではないはず。
それならば着実に超えられる山を一つ一つクリアして前進をやめないことの方がはるかに意味のある行為だと思うのだ。
とはいえ、私も無類の妄想家ゆえ、時折り意識がどこまでも遠い山の向こうにまで飛んで行ってしまうことがしばしばあるのだが、我に返り、現実を直視することで心が折れつつも目のまえの山道を一歩ずつ登っていくのである。
最近ではそんな私がこさえた陳腐な山でさえ、なくなってしまえば超えることもできないのかと考えをあらため、せっせと山をこさえては登るを繰り返している。
しばらく後ろを振りかえらないように心掛けてはいるが、ある時期に振りかえり、越えてきた山々がまずまずのものだったと感慨に耽る日が来ることを密かな楽しみにしているのをここで告白しよう。
超えるべき山があるうちは可能性が残されているというポジティブ思考。
まずは実現可能な範囲で問題を解消するのがマスト。千里の道も一歩よりである