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【終活】○○さん、職人やめるってよ

定年退職が定められていない職業において、自身の引退を何で線引きするかは人それぞれである、という話

昨日の現場で一緒だった提携先の社長との世間話。

「あ、そういえばウチの○○さん、先週で退職したんだ」



○○さんとは、提携先の年配の方で職人としての腕は一級品。

わたしも何度かのその腕前に現場で唸ったことのあるほどの方だっただけにその報告を残念に思った。



聞けば、年齢は76歳。

一般的には後期高齢者であり、普通の職業であればとっくに定年退職し、老後の生活をむかえている歳である。

ただ、最近では現場でも活躍する場面はめっきりと減り、雑用を中心にメインの職人のサポート役という印象が強かった。



社長をはじめ、その他の職人もそのサポートを重宝していたが、当の本人は“足を引っ張っている”という心境だったそうなのだ。

わたしたちのような定年退職が定められていない職業においては、自身の引退による引き際は自分で決める傾向にある。

生涯現役、とする方もいれば、○○さんのように身体に紐づく理由で身を引く決断を下す方もいる。



報告をしてくれた社長はわたしと同じ歳だが、世間話の最後に「石山さんはいくつまで仕事するつもり?」という質問を投げかけてきた。

わたしは個人的に仕事という山を登っている感覚であるが、一般的には下山を視野に入れた仕事の締めくくり方がチラつく年齢なのかもしれない。



社長は「次の10年が最後のターンかもね」と言っていたが、それは60歳定年という意味合いであり、退職せずとも今のような働き方ができる身体的なリミットを示す目安で言ったのかもしれない。

いずれにせよ、体を酷使して働けるのはあと10年もないだろう。

その間にある程度の土壌をつくり、その後の働き方は実った成果物を収穫するフェーズであってほしい。



そう考えると今取り組んでいる種蒔きだって、最後かもしれないし、この先の水やりや肥料を与えるフェーズだって貴重なものになる。

○○さんはおそらく職人としてはやりきった、という感覚なのかもしれない。思うような腕をふるえないのは自身のプライドが許せなかったゆえの決断と考えると、プライドを有して自分はやりきったと思える晩年をむかえられるのか?そんなことが頭の中に残ったのである。

人生において「やりきった」という充足感を得るために後悔のない毎日を送る


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