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暗渠道への誘い 蛇崩川編③ ~水辺の記憶の、残しかた~

前回は、世田谷丸山公園にあった巨大下水道工事現場の話からハザードマップの話に及び、さらに850年前の源頼朝の故事にまで繋がるという、なかなか守備範囲の広い記事だった。
蛇崩川本流はもう半分以上辿ってきたことになる。今回は一気に上流端まで駆け抜けよう。

先に言っておくと、今回は蛇崩川編(全4回?)の中で、最もゆるい回である。
小難しい話はさておいて、ルート上の景色を素直にたどって鑑賞していく回だ。肩の力を抜いてお読みください。




まさかの身近な文房具


話はちょっと下流側に戻って、世田谷丸山公園の手前、緑道が世田谷警察署の裏をかすめているあたりである。
ここも橋跡なのだが、橋の痕跡がないように見える。
でも、私は見つけましたよ……!


……え? 嘘でしょ? 笑

「市場橋」と書かれていたソレは、どう見てもテ○ラ……市販のラベルプリンターか何かで大きめに明朝体を印刷したラベルを、車止めに貼り付けただけのものだった。
もうかなり色褪せてしまい、元々何色だったのかもわからない。

ちょっと前まで、橋の名前は立派な石柱で示されていたのだが、ここにきてあまりにも不憫な姿になってしまった。
世田谷区、緑道整備の力の入れ具合に、緩急を付けすぎではないか。
そんな身近なオフィス文房具を使わなくても……

まあ、それでも、「名前を残したい」という誰かの意思は感じられる。
現地に名前が残されず、資料上でしか残っていない橋もあるので、それに比べればマシなのだろうか。

このあと出てくる「丸山橋」から4つは、以下のようなタイプの橋跡モニュメントだった。

これは烏山川緑道でも出てきたタイプだ。
車止めに名前を書いただけなので、橋っぽくはないのだが、テ○ラよりは大分いいではないか。

とか思っていたら、さっきの市場橋より不憫な橋が現れる。


絶句。

目を疑ってしまった。
ラベル自体、もう劣化して大半が失われていた。
ギリギリ「新開橋」と読める部分も、本来のラベルに印刷された色ではなくて、これはもう太陽光によって偶然車止めに焼き付いて文字の形をとどめているにすぎない状態で……
いま「新開橋」と読めていること自体が、なんというか、奇跡なんじゃないかとすら思えた。

それでも、名前がないよりマシだろうか?
区役所の方にこの投稿が届いていたら、貼り直してほしいような……でも、このままにしておきたいような気もする。




初心に帰って路上観察を


さて、ここから先は、スタンダードな暗渠緑道の楽しみ方といった感じで、

民家の裏口から緑道へ続く、手作り感あふれる「自前階段」を観賞したりして進み、

ちょっとした支流暗渠に寄り道してみたりして、
(この支流は非常に短く、画面の奥で終わっている)

「駒留橋」のあたりで環状七号線を横切ったのち、
もうテ○ラの橋名表示にも驚かなくなってきたあたりで、


遂に初めて「自転車走行禁止」区間に突入する。
思えば、さっきから緑道の幅が狭くなってきた感はあったのだが、ここにきて一段と狭くなった。
このグリーンの圧力!
蛇崩川緑道の本流区間の中では、かなりワイルドな区間である。


撮影したのが夏で、記事の公開が冬なので、季節感が無くて恐縮なのだが。
ご覧のとおり、両側の民家は緑道に肉薄していて、肩身を狭くして通ることになる。
境界も曖昧で、両側の民家がいろいろな私物を緑道側に越境させてくるので、「通っていいんですか?」という気分にもなる(とはいえ世田谷区の整理した緑道と分かっているので安心して通れる)。
こういう区間を、以前この連載では「人ん家の裏庭ゾーン」なんて呼び方をしたこともあった。実は貴重な区間なので、満喫されたい。


そしてついに、橋跡モニュメントは最も簡略化されたスタイルに。

もうラベルには驚かなくなってしまったが、冷静に眺めてみるとやはりこれはすごい。

暗渠に「車止め」は付き物だ。暗渠は内部に空洞があるため、あまり重い車両が乗り込んでしまうと壊れる危険があり、車止めがそれを防ぐ。
この「棒1本スタイル」の車止めは、暗渠道では最もよく見かける。

でも、そんな事情を知らない人が見たら、これは「なぜか橋の名前が棒に書かれているだけ」にしか見えないだろう。何のことかわからないのでは……?


一転、その次の「向橋」は立派な石柱となり、さらにバス停の名前にも残っているという好待遇。


さらに進む。依然としてワイルドな緑道(自転車走行禁止)と、とってもかわいい自前階段。
その先には「小泉公園」という公園がある。


公園の近くからはちょっとした支流が分岐していて、辿っていくと最後にこのような極細ディープ暗渠(排水管付き)を拝めたりするので見逃せない。(ただし右の写真の部分は入れない)


そして公園から本流に戻り、さらに上流を目指すと、

この写真のような、開けた雰囲気の場所に出る。「弦巻通り」という道路が写真奥へと走っている。
ここが「親和橋」跡で、蛇崩川緑道の終点である。


終点だからなのか、橋跡を示す石柱も二種類。
右のものは、消えかかっている文字をよく読むと「親和橋を偲ぶ」と彫られていて、裏面には
「昭和五十二年三月三十一日 蛇崩川 暗渠化工事のため取壊す」
と彫られていた。
ここにきて、今までで最高待遇の橋跡であった。おそらく当時の橋の一部が現代に残され、命日まで記録されて、何よりも、偲ばれているのである。

(掘られた文字が浅く、肉眼では何とか読めたが、どう頑張っても写真に映せなかった。紙を当てて上からなぞり、魚拓ならぬ「暗橋拓」でも取れば写せたかもしれないが……)



終点の、その先へ


さて、さっき「蛇崩川緑道の終点」と書いた。
確かに、世田谷区の「蛇崩川緑道案内図」でも、この地点までしか書かれていない。
しかし、暗渠自体はこの先にもう少し続いている。世田谷区が”ちゃんと緑道化”したのがこの親和橋までだ、ということにすぎない。

暗渠の痕跡を辿って、蛇崩川の最上流部まで駆け抜けよう。


世田谷区が整備を打ち止めにした親和橋から先は、緑道らしき風情はいったん消えてしまうが、なにせ歩道部分が片側だけ異様に広い道となっている。多少の嗅覚をもって観察すれば、すぐに「怪しい」と気づく道ではないだろうか。

歩道は2つのエリアに分かれていて、写真の左側(車道側)は歩行者優先・自動車走行可能なレーン、右側(住宅側)は歩行者専用レーンである。
そして歩行者専用レーンには定期的に、かなり主張する車止めが。暗渠でよく見るパターンだ。

そして交差点の名前に「橋」が現れたりする。
この向天神橋は、さらにバス停の名前にもなっていて、名前はたいへん持てはやされているものの、実体は何も残っていない。(暗渠愛好家の髙山英男さんは、こういう暗橋を特に「エア暗橋」とカテゴライズされていた)

親和橋から上流のエリアには、向天神橋のほかにも多くの橋があったのだが、現地ではその名前すらも見つけることはできなかった。
世田谷区教育委員会の『世田谷の河川と用水』という本の巻末には、世田谷区にかつて存在した橋の名前が列挙されている凄まじい表があり、このエリアには向山橋、坂下橋、弦巻橋、山谷橋、松丘橋などといった名前の橋があったことを現代に伝えている。

この先、蛇崩川暗渠は先細り、2本の筋へと分岐していく。
それぞれ辿ってみたい。

南側ルートの目印は、この写真にある「弦巻三丁目東公園」だ。

……え? 公園に見えない??
ですよね。工事中でした。

実は、前回紹介した世田谷丸山公園で行われていた巨大工事の、ちょうど反対側に位置するのがこの公園である。
しかしこちらの公園の方が、工事規模は小さかったようで、巨大な縦穴はすでにその姿を無くしており、換気施設のようなものだけが見えた。
いずれきれいに整備され、ふつうの公園になる日も近いだろう。

この公園の奥を左折すると、右にカーブしていく道がある。
暗渠サインのクリーニング店もあるので迷うことは無いだろう。

ただ正直、この先、暗渠サインはかなり薄くなっていく。

この写真のような、「言われてみれば、ちょっと歩道部分の幅が広いな?」という、ささやかなサインがある程度だ。
この道をさらに進んでいくと、いよいよ暗渠サインはうやむやになってしまい、おそらく住宅地の間をさまよってサインを探すことになるだろう。

日本全国の暗渠愛好家の皆さんは、この緑色のフェンスを見つけたら、とりあえず覗き込んでいるんじゃないかと思う。
それくらい、このサイズでこの緑色のフェンスは、暗渠を示している確率が高い。
住宅地の合間を縫うように、踏破不能な暗渠が見え隠れする。すっかり細くなってしまった。
そしてほどなく、こちらのルートは終点に到達する。


蛇崩川暗渠 上流端(その1) 遠景


蛇崩川暗渠 上流端(その1) 近景

いやー地味だな!!笑
暗渠の上流端なんて、だいたい地味なのだが、それにしてもここは地味である。
もう少し上まで流れていた可能性もあるが、明確な痕跡として辿れるのはここまでだった。




本流最上流部、やりすぎモニュメント群


さて、もう1本、北側を走るルートもあるので、いったん弦巻通りまで戻る。
分岐点は、弦巻三丁目東公園から少し下流側に戻った地点にあった。

右に向かう道が蛇崩川暗渠

うん、なんだか、こっちのルートは若干ディープな雰囲気。
吸い込まれていきましょう。

この先は、なかなかカオスな展開である。

まず、暗渠道に肉薄する民家に挟まれる、肩身の狭いゾーン!
写真は遠慮したが、なかなか濃い裏庭を造られているお宅もあった。

そしてその先、ちょっと視界が開けたと思ったら、目に飛び込んできたのは……



そこには、黒光りする金属管が住宅地の中に林立する、
異様な空間が広がっていた。


ご覧の通り、ふつうに金属管である。

これまでも、「かつて川だったことを思わせる謎オブジェ」はいろいろ見てきた。「現在、地下に下水道幹線があることを示すサイン」も多々あった(マンホール群など)。
しかし、ここまで露骨に下水道フィーチャーのオブジェが、しかもこれほど大量にあるのは、初めて見た。
現地でなぜか、ちょっと笑ってしまった。


君たちはなんだ、ガードレールを気取っているのか? 
確かに、通学中の学生を守っているようだけども。

え? 標識も兼ねちゃうの??
ずいぶん万能だなあ。

ええ? 街路灯も兼ねちゃうの??
大活躍じゃないの。


左右に金属管が立ち並ぶ、わけのわからぬ道を進む……
右側は普通のマンション、左側も何の変哲もない住宅地なのだが、間にある道だけ趣向がおかしいぞ……?


そしてついに、

このような無骨な「壁泉」を多数従えた、

金属成分多めの、謎の広場に辿り着いてしまった。




突っ込むよ? いよいよ突っ込むよ??

やりすぎでしょう!! 笑 



世田谷区弦巻3丁目17~19番地と、同3丁目20~22番地の間にある道である。
もはや観光名所で良いと思う。
住民の方の印象をぜひ聞いてみたい所である。住んでしまえば慣れるのだろうけど、でもやはり最初はびっくりしたのではないだろうか。


情報過多で、歩いているだけで圧倒されてしまったが、暗渠はもう少し続くので、遡ってみる。

続いて、区立図書館と区立小学校の間を抜ける。このあたりは子供たちのための親水施設として整備されている。
作りものではあるが、往時と同じように水の流れがある空間に、ようやく出くわした。(目黒川との合流点から遡上し始めて、水の流れに出会ったのはここが最初だと思う)

その先にあるのは、ややレア度の高い暗渠サインである……

バス会社の営業所!
広い土地が必要な施設のため、もともと川跡だった場所に作られがちな「暗渠サイン」の1つとして有識者の著書で紹介されている。しかし、いかんせん銭湯や学校、クリーニング店などと比べて絶対数が少ないので、あまりお目にかかれない暗渠サインである。
ちなみに他にも、レア度の高い「広い場所が必要な施設」の暗渠サインとして、自動車教習所、ゴルフ練習場、清掃工場などがある。(『はじめての暗渠散歩』などを参照)

暗渠を辿っていて、しっかりバス営業所があったので、ちょっとテンションが上がる。
暗渠道は、この営業所の敷地を突っ切っていく。
ちょっと迂回して合流すると、

殺風景ではあるが、暗渠道以外の何物でもないような道がしばらく続いている。ビニール等で地面が覆われているのは、暗渠では案外よく見る光景だ。



小さな公園の横には、綺麗な階段型のトマソンがあった。
かつては川に降りるために使った人もいたのだろうか?
そして公園の隅には「蛇崩川 洗い場跡」と彫られたモニュメントが出現。橋以外の何かがあった場所をこのように示すモニュメントは、結構珍しいように思う。

ちなみに、この洗い場跡には、先客がいらっしゃいまして。

……ん? 誰かな? 笑

ちょっとびっくりした。

となりの説明板によれば、江戸時代中期に関東一円の農家が雨乞いのために丹沢の大山に参詣する「大山詣」という習慣があったそうで、ここ世田谷区弦巻はそのルート(大山道)にある街だった。大山詣はしだいに形骸化し、帰りに鎌倉や江ノ島に寄って遊ぶ物見遊山の旅へと姿を変えていったそうだ。
で、この像は何かというと、説明板には「そんな大山詣をする商家の主人をモデルに、たぶん一服しただろうと思われるこの場所に設置したものです」とあった。
洗い場があったくらいだから、たぶん一服したのでしょう。


このあと暗渠サインは次第に頼りなくなり、

「歩道、やけに広いなぁ」という一点に、暗渠のにおいを感じながら進んでいく。

そして「JRA弦巻公園」という公園のあたりで暗渠サインは途絶えた。
暗渠を上流まで辿っていくと、公園で終わるパターンは非常に多い。

この公園、名前に日本中央競馬会(JRA)の名を冠している。
このすぐ西には、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の馬術競技で会場にもなった、馬事公苑がある、そんな土地柄だ。
公園の洗い場も馬モチーフだった。
蛇崩川、なんだか馬に縁のある川である。


公園のすぐそばには、「廃業したクリーニング屋」もあった。

クリーニング屋は代表的な暗渠サイン。排水の関係で、かつて川のほとりにはクリーニング屋も多かったと聞く。
この場所では、どちらが先かは不明だが、川が無くなり、クリーニング屋も廃業してしまった。
消えた者たちのクロスに思いを馳せつつ、本流の遡上を終えよう。


最後に改めて、地図を再掲しておく。




さて、本当は本流に続いて、支流も1本くらい紹介しようと思っていたのだが、ここまでで既に6000文字あって、キリもいいので、支流は次回に持ち越すことにしたい。
金属の水道管ラッシュでお腹いっぱいになってしまった感もあったので。

暗渠が特集された雑誌の中で「蛇崩川の本領は支流にこそ」と豪語する有識者がいらっしゃるくらい、蛇崩川は支流も魅力的だ。
私が世田谷区暗渠の中で最も心惹かれた暗渠風景が、実は蛇崩川の支流にある。次回たっぷりご紹介することにしたい。


次回
蛇崩川支流ダンジョンに迷い込む!

柏原康宏(かしわばら・やすひろ)



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