剣道と倫理
この度は私自身の人間形成に
ついて記して行きたいと思います
本件は私自信についての事で
あり、他へ強要するものでは
ない事をご理解下さると有り難く存じます
何故これを今記そうと思ったかは
現代社会におき人が人の尊厳を
奪う事の誠多き事からである
倫理とは、尊厳とは、道徳とは
人の命の重さを
小学校2年から今日まで
考え続けた事におき
私自信の未熟を剣道の尊い師範の
お言葉で律する事のご恩は
これ、命がある生きる幸せを
感じずにはいられないのである
剣道はスポーツと間違われる事がよくある
これすなわち間違いである
剣道とは相手の命を奪うと言う事で
相手に対し敬意を払うとともに
人の命の重みを感じる
勝ち、負けの世界ではない
技だけでもだめ
文学だけでもだめ
人への敬うこころなくしてもだめ
心技体とはシンプルであるがゆえ
深い所にある
私は幼少期から喘息、アトピーも
メンタルも弱く色々な面で
両親に迷惑をかけていた事は
いまだ覚えている
そんな私に剣道を勧めたのは
両親であった
私は酷く反対したがいつのまにか
その道場の門下生となった
そこでは大人も子供も差別されず
同じ事ができるのを当たり前とされていた
まずは会話
敬語や作法今の社会に出て学のではなく
小学2年にしても大人と同じく
敬語ができて当たり前だし
ご挨拶の時は正座し
両手をつき挨拶をする事も当然で
ありヘラヘラしようものであれば
先生、先輩方から叱責を受けたものである
今のスポーツや学びの場で
これらを強く求めたら
親御様は怒りにわくであろうが
当時の少年部の親御様はむしろ
その厳しさは大事と思われてた事は
記憶にある
また稽古では小学生がそのきつい稽古に耐えれず
失神してしまうが先も述べた用に
稽古は大人と等しく行う
失神したら水をかけられ端においやられ
意識が戻ればまた稽古に戻らねばならなかった
私の師範はあの武道専門学校を卒業された
方と言う事であれば納得がいった
武道専門学校の稽古では死人がでる程
厳しい鍛錬の場所であったからだ
今のスポーツクラブでは考えられないだろうが
その厳しさが大人へ成長する粘る力になった
そして武具の扱い
竹刀
これ皆おそらく棒か何かと間違われると
思うが立派な刀である
人の命を奪う立派な刀である
これを杖みたいについたり
またふざけて剣士同士で振り合おうもの
なら稽古に出れず反省と叱責をいただく
これ誠に有り難き事である
人の命を奪う刀であるから
これを親や学校の先生が
使うものであれば一切許されない事であった
私の両親は約束や言った事が理解出来なかったら
布団たたきや手やゲンコツなどで
理解するまで教育を受けたが
ある日父が妹に叱責をし
竹刀で叩こうとしたので
父は師範のお言葉を理解してないと
察した私が
その竹刀で妹の命を奪うのか
師範の言葉を理解してないのかと
憤慨したら
あっさり引き下がった
私の両親だけでなく当時の
剣士の親御様は師範を尊敬していた為
間違いだと認めざるおえなかったからだ
また剣士同士のいじめも師範や先輩方は
一切許さなかった
ある私の同期がいじめを繰り返し
師範の教えを守らなかった為稽古中に
破門をいい渡された
まず強いかどうかの前に
師範は人が人を虐げる事を許さなかったゆえ
学校や塾ではいじめられてた私も
道場ではいじめなど一切なかった
すなわち師範の教えを子供も大人も
理解していたからであるし
武士、侍と言う意味も理解していたからと
考えられた
県道の昇段試験は実技だけではなく
論文なるような筆記試験もあるからである
ある全日本剣道連盟の理事であり
私がいた道場の顧問をされていた
先生の書籍を読めばなおさら
深まるものであった
これとは別に師範は
試合にも慎重になっておられた
他の道場みたいに
勝つ為に積極的になるのを
嫌っていたように思えた
だからと言って全く試合をしない、
させない訳ではない
出るからには実力は必要だが
冒頭で述べた様に
そこには倫理や師範の教え教養が備わってなければ
出さないと仰っていた
ただ私がいた道場の剣士は強かった
しかし勝ち方にも限定される部分が
あった
小手先や引き技で一本をとるのを
許されなかった
それで一本をとれば卑怯者とされた
師範は面以外は許さなかった
一刀両断の大事さについて
よく語られた
記憶では仮に小手をとったとする
相手は簡単にしねない
相手に敬意を払う一太刀は
面
一刀両断にて
お命頂戴する事で
苦痛を感じずに
死に至るからだ
だが面を放ったあとが大事である
それすなわち
残心である
相手への敬意はここまでしっかり相手へ
思いを心を伝える事が大事である
私は高校に入った時剣道部に入部した
そこでは私が通っている道場の名前をだすと
あの先生の門下生の方ですかと
その時師範の権威を感じた瞬間であった
しかし高体連の剣士との関わりや稽古、試合はみるに耐えなかったただ打ち込み一本をとるためだけの
勝ち負けにこだわった稽古と言うか練習であった
私が入った高校は全国にも出ていて
強かったがただ強さだけであった
侮辱やいじめは頻繁にあり
顧問も我関せずであった
あまりに師範の教えと解離しており悩んで
辛さばかりがつのった
その時思い切り破門覚悟で
師範に思いをお話ししたら
師範は憤慨された
私にではなく剣道部の顧問にだ
その顧問は私が通っていた
道場の門下生であったが道場と師範の教えに逆らい破門になった方であった
その顧問は高体連では権威がある方であった
師範はすぐに手紙を書いて下さり
退部をして道場で励むよう
居場所を下さった
その顧問は無言で先生に宜しくお伝えくださいと
一言いい退部を許可された
部員からの誹謗中傷はその時も酷かった
しかし私は道場一本でよかったと
思っている
前途にも述べたが道場の先輩、先生方は
非常に厳しかったがこんな自分にも
励ましてくださる事のが多かった
また戻るが小学生から大人と同じ話し方、敬語や
所作、敬う心、人が他人の尊厳を
奪わないよう教育して下さった事で
今の私がある事に非常に感謝せずには
いられない
先生方は全日本剣道連盟でも知らない人は
いないと言う存在で他の先生方も
大蔵省や防衛省また大手企業の役員の方や
教員の方など尊敬する方と剣を交えられたのは
誇りであると思っている
ありがとうございます
しかし
これを備えて社会にでると
酷く反発や攻撃をうけた
礼儀正しさや真面目でやり抜こうと
一心に仕事をしていると
自分たちの評価がさがるし
そんなに必死に仕事をしたくないから
やめてくれと
毎日暴言など吐かれ
私の両親や師範の教えが間違いで
これを否定する多数の方の意見や思想が正しいのか
毎日悩みストレスがかかり
今より13年前に妻に別れられ
会社でのハラスメントに耐えれず
重い精神疾患にかかり仕事を
含めほとんどを失った
そこからまた意味があるからわからないが
ハラスメントをする方の気持ちや思想を
肯定する為今日も様々な文献などあさっては
いるが答えがでないままである
それは師範が説いた倫理が世の中本当は
必要じゃないか否定しそうになったが
最近は自分だけは受け入れようと
思うようになった
それは否定でもなく肯定でも
なく相手を尊重すると言う
方向にしようと思っている
そうすれば自分は攻撃されても
相手は傷つけない
尊厳を奪わない
誠今は亡き師範の教えを守り相手の
事も理解していく可能性を見出したほうが
私の病気も良くなると思ったからだ
世の中では堅物、理屈屋でめんどくさいと
言われてもいいと思う
それが自分で自分を受け入れる事になる
世の中みんな色々な思いを背負って生きて
いるのである
暴言だって一つや二ついいたくもなる
だから受け入れる
どの口がと言われるかもしれないが
許す事は大事なのである
私の自転車競技の監督とお話しをする
度師範の思いと通ずる所があると
自身勝手に思っている
尊敬せずにはいられないし
そんな私を入団させて頂いた事には
本当に感謝せずにはいられない
だからこそ日々鍛錬して当たり前であるし
普段の行動、言動にもよく考えて
発する責任があると思っていり
結果倫理、道徳、尊厳など答えがないか、
こそ学び続けなくてはならないと
思う所存であります
また私を受け入れてくれる
恋人、心友、家族にも
感謝しながら生きて行きたい
この師範から頂いた大事な物を
否定されても貫き全てに感謝して
生きて行きたいと思います
全てに感謝を
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