北川太郎、ざらつきのざわめき。DOMANI・明日展@国立新美術館
国立新美術館で開催中の「DOMANI・明日展 2022-23」。
展覧会レポートの続きです。
私が気になった二人目の作家は、
彫刻家の北川太郎(1976-)です。
作者は、文化庁の在外研修制度で2007年から3年間ペルーに滞在していたとのこと。なぜ研修の舞台として南米ペルーを選んだのかと言うと、作者の談によればヨーロッパの美と異なる表現を探ろうとしていたためだったといいます。アンデスの山中で日々制作に明け暮れていたとのこと。
さて、展示室にはベンチのように大きな、石から削り出された不思議な形の作品2点(《静けさ1》《静けさ2》)と、手に持てるサイズの彫刻群(↓)がずらっと。
会場ではこの作家の作品に限り、手で触れることが許可されていました。
「ふーむ、ま、せっかくだから触ってみるか」という感じで、触ってみたところ、
「え、何これ?」
はい、ものすごく新鮮だったんです。それはもう驚くほどに。
つるりとした見た目の彫刻を触ると「つるり」と言うより「さらり」だったり、はたまた予想した以上に「つるつる」だったり、ごつごつとした彫刻の強い主張だったり。
見た目と手触りが一致するものもあれば、裏切るものもあり、思わず一つ一つ確かめたくなりました(さすがに全部は触らなかったけど)。
触覚という知覚方法が揺り起こされる感じでした。
思えば今の私たちは、圧倒的に視覚のみに頼る日常を送っています。無限の情報・コンテンツがスマホやPCディスプレイには映し出されていますが、二次元のそれに触ることはできずすべて眼(と耳)から情報を取得します。
手で触るってこんなにも豊かな感覚をもたらしてくれるものだったのか!
北川太郎の作品を触れながら鑑賞していると、視覚を超える触覚の繊細な感度を認識させられるのです。触覚が視覚を導く、とでもいうのか、すっかり忘れていた、でも確かに子供の頃は知っていたあの感覚が戻ってきた喜びを感じました。
さらに驚いたことに、手触りは思考をうながすのですね。
細かな石片の集積で形作られた北川の彫刻は、触っているとさらさらと流れる部分もあれば、ざらっと引っかかる部分があり、その瞬間瞬間に脳が「え?」「お?」「なるほど」と言いながらフル回転するのを感じました。
そして、作者はなぜこうしたんだ?なぜここを丸くして、なぜここにひっかかりを作ったんだ?といくつも問いが浮かんできます。
もっと言ってしまうと、彫刻に触れることで、私はこの彫刻を彫りだしている最中の作者と時空を超えて直接対峙しているような、不思議な感覚を覚えました。
でもそれも考えてみれば当然なのです。作者が鑿(のみ)と石頭(せっとう、ハンマー)だけを使って、コツコツと少しずつ石を削り、穿ち、彫り出して制作した作品を、目で見るだけで味わおうとするより、手で触れた方が圧倒的に作者の手仕事を感じることができるはずですから。
作者が彫刻につけたタイトル《静けさ》。
たしかにそこに置かれた作品たちは、ただ静かに「在る」だけです。
しかし、この手で触れた瞬間にその表面のざらつきは、石のざわめきとなって雄弁に私に訴えかけてくるのです。なんて面白いのでしょう。
ぜひ会場でこの不思議な感覚を味わってください。
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