作品タイトルから考える日本美術[シリーズ連載]
名付けの歴史をたどると、美術の違った側面が見えてくる!
というわけでワクワクしながら、美術作品の名前(タイトル)について考察するシリーズ第2弾です。
前回は、西洋美術の作品名について各時代ごとの特徴を並べてみました。作品名に対する作家側の意識がじょじょに変化していった様子が何となく見えてきましたね。
今回は「日本ではどうだったの?」という視点で語ってみたいと思います。
■日本美術の作品名はとても単純
まず基本的な話から。
絵画作品に関して言えば、日本美術の作品名というのはとても単純です。
ほとんどの場合これ(↑)です。「なんの数式だ?」という感じですが、実例を挙げればすぐわかります。
《唐獅子図屛風》=画題「唐獅子」+「図」+形状「屛風」
《四季花鳥図襖》=画題「四季花鳥」+「図」+形状「襖」
《風神雷神図屛風》=画題「風神雷神」+「図」+形状「屛風」
《燕子花図屛風》=画題「燕子花」+「図」+形状「屛風」
とても単純ですね。最後の形状の部分ですが、これが掛軸の場合は「掛軸」とか「掛幅」とは言いません。何もつけないのです。
《秋冬山水図》=画題「秋冬山水」+「図」
(《秋冬山水図掛幅》とは言わない)
掛け軸に限って「○○図」で終わる理由はわからないのですが、古美術の絵画の場合、掛軸形式が大多数を占めるので、「これはスタンダードだから一々言わなくていいよね」ということかもしれません(適当な推測……)。
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絵巻の場合は、画題+形状、が基本です。
画題「源氏物語」+形状「絵巻」=《源氏物語絵巻》
『源氏物語』のように出典があるものは別として、物語になっている絵巻は画題を一言で言い表すのが難しいですが、多くの場合、物語内容を要約した言葉が当てられます。
《信貴山縁起絵巻》の場合は、「信貴山朝護孫子寺の創建の由来(縁起)」ということで「信貴山縁起」ですね。
もちろんストーリーがどうしても分からないものもあります。
例えば、平安絵巻のひとつ《葉月物語絵巻》は、宮廷貴族の恋愛物語ですが出典不明です。
この絵巻は、絵と詞書がセットになった物語絵巻形式なのですが、詞書の冒頭が「八月十よひしもつかたなる所に(八月十、宵、下つ方なる所に)」で始まるので、そこから便宜的に「葉月(八月の異称)物語」という作品名がつけられています。面白い名付け方ですよね。
絵巻の作品名では、形状の部分は「絵巻」と名付けるのが基本ですが「絵詞」や「絵伝」となる場合もあります。このあたりは、どのように言い伝えられてきたかという個々の事情が関わってきます。
さて、基本をおさえたところで、どんどん掘り下げていきましょう。
■日本美術の名付けの歴史
こうしてみると、日本美術の作品名の付け方はマニュアル的というか、何とも素っ気ない感じがしますよね。
それは、西洋美術同様、日本でも絵画や工芸ひとつひとつに名前をつけるという習慣がなかったため、後世になって便宜的に名付けられたものだからです。
ヨーロッパでは、展覧会の誕生によって作品名という概念も生まれたと前回のコラムで解説しました。基本的にこれは日本でも同じです。
日本で展覧会という制度が登場するのは、ヨーロッパよりずっと遅れて明治時代に入ってからのことです。いや、それまでも書画会というような小規模の作品鑑賞会はありましたが、広く大衆にむけて作品を発表する場としての展覧会は、明治維新後の欧風化の流れで初めて導入されました。
西欧列強に追いつけ追い越せで、国を挙げて開催された内国勧業博覧会、内国絵画共進会、文部省美術展覧会。
また明治美術会や白馬会などの洋画団体、日本美術協会などの日本画団体もおのおの団体展を行いました。
こうした展覧会では出品目録が作成され、そこに記述するために作品には名付けが必要となったことで、作品に名前をつけるという習慣が日本でも定着していったと言えます。
ただ明治10年代あたりまでは、日本画も洋画(油絵)も作品名は、単純に画題を記述するだけのものでした。これもヨーロッパの最初の傾向(↓)と一致します。
たとえば、明治10年開催の内国勧業博覧会の出品目録(↓)をみると、高橋由一の名前がありますね。この時、高橋は油絵の屛風を出品したようですが「白布油絵六枚折」という具合に、素材・技法・形状しか記されていません。他を見ても「花鳥」とか「甲冑ノ油画」とかそんな感じですね。
明治15年に農商務省主催で行われた内国絵画共進会の出品目録(↓)をみても、同様です。「人物」とか「鴉」とか、とてもシンプルです。
しかし、この後で名付けの意識改革をもたらされます。
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