【ポップさに包まれた狂気】若冲のモザイク屏風(升目描き)を語ろう
現在、出光美術館で開催中の展覧会「江戸絵画の華」。
この展覧会が、旧プライス・コレクションの初披露展ということは、前回触れました。
話題の展覧会なので、noteでも感想記事を書いている方が結構いますね。
さて、この展覧会の第1部(〜2月12日)展示作品の中で、一番の目玉となっているのが、伊藤若冲が摩訶不思議な技法で描いた《鳥獣花木図屏風》です。
今回はこの作品1点に絞って、その魅力を語り尽くします。
展覧会に行くなら、ぜひこの記事を読んでから!
現代のクリエイターを刺激しまくる若冲さん
江戸時代中期を代表する奇想の絵師・伊藤若冲は、交流のあった川井桂山(医師であり漢詩人)に次のように語ったと伝えられています。
「千年間、見る眼のある人が現れるまで私は待ちましょう」という意味です。かっこいい…。
もちろん当時から、川井桂山のほか、禅僧の大典や黄檗僧の賣茶翁など若冲の絵を高く評価する人物はいました。それでも若冲は、自分の絵が真に理解されるまでには千年かかるだろうと思っていたのです(まぁ「千載」を千年というより、長い歳月という意味で使ったのかもしれませんが)。
たしかにそれぐらい若冲の技法や表現は、当時のスタンダードからかけ離れていて、そのために長らく風変わりな絵を描く絵師とみなされてきました。
ただし、千年も待つ必要はありませんでした。
若冲は1800年に没していますが、それから200年後の2000年に京都国立博物館で行われた「若冲」展は、開催者もまったく予期せぬ大ヒットとなりました。
この時は、普段博物館に行ったことのなかった若者たちがどっと押し寄せたといいます。
この展覧会でも、プライス・コレクションの《鳥獣花木図屏風》が展示され、その斬新さで人々を驚かせました。
それからの若冲ブームはみなさんご存じの通りでしょうが、ちょっと豆知識をば。
2002年には宇多田ヒカルのPVに、この屏風からインスパイアされた白象が登場しています。
当時の宇多田ヒカルと言ったら、若者たちのカリスマ(死語)でしたからね。この時の映像を担当したのは、夫で映画監督の紀里谷和明でした。
若冲はその後もハイセンスなクリエイターに影響を与えています。
いまや世界的な活躍をみせるチームラボもその一人(一団?)。
なんと入場待ち最長6時間(たしか)という、これまたおそろしい大ヒットとなった2016年の東京都美術館「生誕300年記念 若冲」展。ご記憶の方も多いでしょう。
当時はいまのように予約システムがありませんでしたからね。この時、入館待ちに疲れ果てている人々の目をなぐさめてくれたのが、会場外のモニタに映し出されたチームラボによる映像作品《Nirvana》でした。
これは見た方が早いので、こちらをどうぞ。今見ても、目を奪われます。
このように、若冲の絵、とくに「升目描き」と呼ばれる技法を使った不可思議屏風は、その時代その時代のトップクリエイターの感性をビンビンに刺激してきたのです。実物を見たら、あなたもきっとその理由がわかるはず。
江戸のピクセルアート?そんな可愛いもんじゃない。見れば見るほど狂気に満ちた「升目描き」
この「升目描き」が私たちの目に新鮮なものとして映る理由のひとつが、デジタル画像のドット(ピクセル)を思い起こさせるからでしょう。
細かな方眼で区切られた画面に彩色するこの絵は、たしかにポップなドット絵やピクセルアートの元祖と言われたら、思わず納得してしまいそうです。
しかし、実際はそんなに可愛いものじゃないというか、生易しいものじゃないというか、実物に近寄って見れば見るほど、狂気的な偏執性とそれを芸術に昇華するセンスの両方を目の当たりにすることになります。
まず、この升目描きがどんな技法か、あらためて説明しますね。
《鳥獣花木図屏風》は、画面全体に縦横約1センチ間隔で直線を引いて、升目(方眼、碁盤の目)を作ります。そしてその一つ一つのマスに色を塗って絵柄を表現しているのです。
これがざっくりとした説明です。
でも、そのマスの数が屏風一双通じて、およそ8万6千個あると聞いたらどう感じますか?
86,000個です。86,000個!
1センチ四方の小さな小さなマスを1個ずつ塗っていくんですよ(×86,000回)。
当然弟子の手も借りて制作するわけですが(これについては後述)、そもそも思いついたとしても実際にやろうと思いますか、そんなこと。
それだけでも恐ろしいのですが、若冲はそんな単純な表現では満足しません。
1マスを単色で塗りつぶすだけなら、それこそドット絵と同じです。でも会場で作品をじっくり観察してください。より複雑な彩色になっていることがわかります。
まずマス全体をベースとなる色で塗りつぶします。
次に、そのマスの中に別の色で一回り小さなマスを描きます。
場合によってはさらにその小さなマスの中にもう一回り小さなマス(というかもはや点)を別の色で描いているのです。
大中小のマスは、同系色の色を濃度を変えて塗っているところもあれば、全く別の色を重ねるような部分もあります。
しつこいですが、この作業を86,000回です。
さらに変則的なマスの塗り方がところどころに見られる点も注目です。
たとえば赤い実のところはマスを赤く塗った上で、黄色の点を3×3の9つ打っています。1センチ角の中の話ですよ。
また、メス雉などの体に柄のある動物は、その柄を表す形(迷彩柄のような)が1マスの中に描かれて、それがパターンとして繰り返されています。
さらに個人的に面白いと思っているのが、この絵が升目を意識しつつ、升目に縛られていないところです。
どういうことかと言うと、若冲はマスの集積で(ドット絵のように)モチーフの形を表しているのではなく、升目とは別の線でモチーフを描いているのです。単純に言えば、方眼紙の上に絵を描いているのです。
そうすると当然、マスの中を他の線が斜めに横切ったりすることになります。すると、どうするか。
その線を境にマスの中の色を塗り分けているのです(下図)。マスの中の小さなマスまでも。
で、升目を完全に無視しているかというと、そうでもないのです。
たとえば下の図を見てください。
ところどころで升目単位でカクカクと表現されているところもあり、フリーハンドの形と升目に沿った角張った形が入り交じったその塩梅が絶妙なのです。
アイデア倒れの単調さに陥らず、なんとも饒舌な画面に仕上がっていると言えば、いいのかな。
規則性が有るようで無い。無いようで有る。細かくこの屏風を見るほど、一筋縄ではいかない若冲ワールドのとりこになるでしょう。
諸説入り乱れる升目描きの着想源
ここから先は、研究者の間で論争していればいいレベルの話なので、まぁ興味がある方だけお読みください。
江戸時代半ばから後半にかけては、個性的な絵師が数多く誕生した時代でした。それでも、若冲の独創性は群を抜いています。
升目描き作品(モザイク画)は、若冲筆と言われる作品以外では後にも先にも存在しません。まさに唯一無二。
しかし、突然変異的に登場するにしても、何かアイデアのもとになったものがあるはず、と考えるのが美術史研究者です。
可能性の一つと言われているのは、紙織画(ししょくが)という工芸的な絵画技法です。
紙織画とは、細く切った紙を織物のように編み込んで、画面をつくるものです。中国や朝鮮で古くから制作され、日本にも江戸時代頃に伝わったと考えられています。
でも見比べると誰でも感じることですが、紙織画と若冲のモザイク画では、表現としてかなりの開きがあります。
染織や織物の下図として、若冲はこのモザイク画を描いたのではないか、という説もあります。西陣織の下絵であり設計図でもある「正絵(しょうえ・紋図とも)」は、方眼で構成されて、モザイク画との類似性があります。
また、インド絨毯に見られる粒々が集積して絵柄になる表現に触発された可能性なども指摘されています。
色々と言われていますが、いずれも決定打には欠けています。総じて、染織品との関係性を探っている人が多いです。
まだまだ謎多き絵画だからこそ、人々の興味を引き続けるのかもしれませんね。
若冲本人?弟子作?はたまた贋作?あなたはどう思う?
この《鳥獣花木図屏風》を描いたのは誰か、という話に触れておきます。
え?若冲でしょ?
展覧会でもそう書いてあるし。
と思われるかもしれませんが、実はこれも研究者の間で熱い論争が繰り広げられています。
若冲筆と言われる升目描きの作品で、現存するものは3点あります。
《白象群獣図》個人蔵
《樹花鳥獣図屏風》静岡県立美術館蔵(静岡本)
《鳥獣花木図屏風》旧プライス・コレクション、出光美術館蔵(旧プライス本)
《白象群獣図》が、伊藤若冲その人による作品であるということはほぼ定説となっています。
しかし残る屏風2点については、見解が分かれています。
たしかに静岡本と出光本は、図様はかなり類似した屏風作品ですが、技法を細かく見ると、升目の塗り方などに相違があります。
若冲研究の第一人者の1人(若冲研究は第一人者がたくさんいます…)である東大名誉教授の佐藤康宏氏は、
静岡本は、若冲の下絵をもとに、若冲の弟子達が彩色した言わば工房作。
旧プライス本は、後の時代に若冲工房とも無関係な別人が制作したもの。静岡本を模倣しただけ。
と、断言しています。
まぁ、真正面から旧プライス本を否定して、コレクター・プライス氏を敵に回すようなことをしたのは佐藤氏ぐらいで、他の研究者たちは静岡本、旧プライス本の2つに関しては、これだけ手間暇かかる技法だし、若冲本人というよりは工房で制作したものですかねぇ、という感じでそーっと触れています。
これも真実はまだまだ分かりません。
でも、私なりに思うこととしては、作品としての完成度が最も高いのは旧プライス本です!
静岡本と比較すると、デザインの完成度と升目描き技法の熟練度では旧プライス本の方が明らかに優れています。たらればですが、静岡本だけしか存在しなかったら、チームラボが刺激を受けて作品を制作することもなかったでしょう。
升目描きの技法を説明するところで詳しく見たように、旧プライス本の彩色方法は常軌を逸したこだわりぶりです。そして一貫したルールがあるようで、ところどころ敢えてそのルールから逸脱して、表現の面白さを優先する柔軟さがあります。
仮に、この絵が若冲でもなく、若冲工房でもなかったとしても、最も完成度が高いモザイク画であることは間違いないということです。
まとめ
現在、出光美術館で公開中の《鳥獣花木図屏風》。その面白さと、まだまだ解明されていない謎について、まとめてみました。
ぜひ会場で、穴の開くまで細部を観察してください。
きっと、ここで語り尽くせなかったディティールのこだわりに気がつくことでしょう(単眼鏡をお持ちの方は忘れずに)。
そうそう、最後にちょっとクイズを。
この升目描き、最初に説明したようにまず縦横の直線を引いて、その後で線を消さないように、升目の中だけを塗っています(↓)。
でも、動物たちのあるパーツだけ、升目の線の上に(つまり升目を消すように)描かれていて、それがとても効果を上げています。
一体それは何でしょう。
ぜひ、会場で実物をじっくり見て、探してみてくださいね。
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以下は、「オトナの美術研究会」メンバー限定のおまけ文章です。ただの私の思い出話なので、展覧会を楽しむ分にはここまで読んでいただければ十分です!
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