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余白としての美術館
美術館に行くと鑑賞後にスッキリした気分になるのは何故か、という前回からの続きです。
マインドフルネスと美術館、というところに話が入りかけていましたね。
そもそもマインドフルネスとは、臨床心理学や精神医学の分野で確立されたものです。ストレスの多い社会に生きる人がメンタルヘルスを保つための手段として、禅の瞑想法を応用する形で生まれました。2000年代にアメリカで注目が高まり、日本に浸透したのは2010年代の話です。
マインドフルネスの基本は、今この瞬間に集中し、評価や判断を加えずに自分の感情をありのまま受け入れることだと言います。スマートフォンを使わず(使えず)、静かな環境で精神を集中できるという意味では、美術館もまたマインドフルネスにうってつけの場所だと思いませんか。
より説得力を増すために、少し遠回りとなりますがマインドフルネスの大元となる禅にも触れておきましょう。
禅とは、仏教用語の「禅定(心が安定して揺らがない状態)」の略語です。
この禅を悟りを開くための修行法として重視した宗派が、禅宗です。6世紀初めにインドの僧侶達磨が禅の教えを中国に伝え、中国で発展しました。そして禅宗は日本にも鎌倉時代に伝えられ、臨済宗、曹洞宗という2大宗派が生まれます。
実は、禅宗は日本美術と非常に密接なつながりを持っています。そのことを端的に示すのが水墨画です。
中国の禅僧たちは精神修養の一環として水墨画を描いていました(禅僧の余技の絵画という意味で、これを「禅余画」と言います)。禅宗が日本に伝わることで、墨跡、茶礼(茶の湯)、枯山水の庭作り、建築など様々な文化も一緒にもたらされました。その中に水墨画も含まれていたのです。
中国の禅僧にならって日本の禅僧達も水墨画を描くようになり、こうして日本に水墨画が根付いていったのです。日本を代表する室町時代の絵師雪舟も、京都の相国寺の禅僧でした。
そんなわけで、水墨画には禅の思想が反映しています(もちろんすべてに当てはまるものではありませんが)。
墨の黒と紙の白、この2色だけで全てを表す水墨画では、描かれたモチーフだけでなく(むしろそれよりも)何も描かない余白そのものが非常に大きな意味を持ちます。
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例えば、老齢にさしかかった雪舟が描いた《秋冬山水図》(東京国立博物館蔵)の「冬景図」を見ると、画面上部の一直線に天へと向かいながら消えていく垂直線が印象的です。この垂直線は岩山の輪郭を表す線のはずが、雪舟はその岩山の形をあえて描ききらず、余白として残しているのです。合理的、現実的な西洋絵画ではあり得ない画面処理でしょう。
「余白」。これこそが禅、マインドフルネス、そして美術館を結ぶキーワードです。
禅の真髄はもちろん修行もしていない凡人の私に理解できるものではありませんが、禅の基本とされているのが「止観」という概念です。
まず「止観」のうちの「止」とは、常に忙しなく動いている心を止める、静めることです。
私たちの脳は、五感を通じて受け取る信号に対して常にリアクションしてしまいます。そこで禅では1つの対象に意識を集中することで、強制的にこの心の働きを抑えます。マインドフルネスでも、自分の呼吸に意識を向けるということをやりますよね。
それから「観」です。
これは自分の心を客観的に観察することを意味します。今、自分が悲しいのか、うれしいのか、そういった感情そのものを見つめ直して、ありのまま受け入れます。メタ認知と言い換えることもできます。
このように一旦心の動きを停止させて自分の中に余白を生み出す、思考の真空空間を作り出す、これが禅の基本です。
だからこそ、禅の思想が根底にある水墨画も、余計なものを徹底してそぎ落としていき、筆致は最小限にとどめ、何も描かない余白を重視するのです。
さぁ、遠回りをしましたが美術館とマインドフルネスに話を戻しましょう。
私たちの脳は前回語った通り、必要あろうが無かろうがお構いなしに押し寄せてくる情報を絶え間なく処理し、気づかぬうちにキャッシュが溜まり、思考速度が鈍った状態です。これまでの事を踏まえて今私たちが意識すべきは、忙しい日常の中にいかに余白を作るかです。
そのために近くのお寺の座禅体験に申し込むのもいいですが、他にも前述のサウナやカフェに行くのもいいでしょうし、何も持たず目的地も決めず散歩をしたり、ランニングやサイクリングをしたりするのもいいでしょう。それらは間違いなく心に余裕を生み、自分をリラックスさせる行為です。そしてできればその選択肢の中に、美術館も入れてほしいのです。
「ホワイトキューブ」という言葉を聞いたことはありますか。これは、美術作品そのものを際立たせるために余計な装飾を取り除き、白い壁で構成された展示空間を指す言葉です。
あらゆる美術館がホワイトキューブ式の展示室ではありませんが、いずれの美術館も作品鑑賞に影響するような要素を極力そぎ落として、鑑賞者が集中して鑑賞できるように工夫した空間となっています。
そうした場所で作品と向き合い、その1点に意識を集中させる。そしてその作品から受けた感動をゆっくり受け止める。これは禅の「止観」とよく似ています。
美術館という余白の中で、作品と会話することにより私たちの心はようやく大きく深呼吸することができるのです。そして普段いかに短く浅い呼吸になっていたか気づくはずです。
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