学校の学校⑶ 「1週間以内が期限の宿題」という人権侵害への対策
「学校行きたくない」というハッシュタグを見かけます。で、私は「行きたくない」って言えること・そう思っている人とSNSではあれ「繋がれる」ことや「行かなくていいよ」と言ってもらえる状況になっているのは、望ましいことではあると思います。「行かなくてはいけない」わけではないし、今通っている学校を卒業しなくてもいいと思います。でも、「できるなら学校に行った方がいい」と思います。あるいは、学校側の立場の人間からすると、「学校が行きたい場所にならなくてはいけない」と思います。
ですから、学校の学校の校長である私吉田カンゾーが今日お話しするのは、「学校に行きたくない」と思うある事柄を、どうやって解消するのか、どうやって学校を自分たちに行きたい場所にすればよいのかという話です。いつものように、うまく話せるかわかりませんが、書きながら考えたいと思います。
前回話したのは、「期限が1週間以内の宿題は人権侵害である」ということでした。生活の改変を要求される、自分の立てた(ゆるくても、厳格でも)スケジュールをむりやり変更させられる、これは人権侵害だという話でした。
学校の先生たちは、この人権侵害を「良かれと思って」やります。「勉強が大事だから」ということです。「家庭学習の時間を増やすこと」が教師の仕事にとってかなり優先順位の高いことというか、それができることは教師として優れていることになるので、宿題によって「質を問わずに」家庭学習の時間を増やそうとする先生がいるのが残念な事実です。その結果が人権侵害です。
生徒一人ひとり、学校以外の時間の過ごし方は違います。家事の手伝いをしたり、バイトをしたりしないといけない生徒もいますし、習い事や部活動が忙しい生徒もいますし、そもそもなにかに取り組むのに時間がかかる場合もありますし、その分野や活動が苦手なことなら時間がかかってしまいますし、あるいは大好きな活動だからこそ時間を書けて質の高いものを完成させたいと思う生徒やこだわりたい生徒もいます。そういうあらゆる事情を無視することになるのが「期限1週間以内の宿題」という人権侵害です。
さて、これに対抗する手段ですが、一つは正攻法です。先生に言うのです。「1週間後までにこの宿題をやりとげることはできません」 これを、宿題の提出期限の近くや、期限のあとに言うと、とやかく言われて怒られますから(それも理不尽なことですが)、宿題が出された時に言いましょう。今の先生の多くは、生徒に聞く耳を持つ先生が多くなっています。それは間違いのないことだと思います。何度も言いますが、いい先生は多いです。だからこそ、「話せばわかる」。まず話してみましょう。
「先生、この宿題ですが、明後日までには提出できません」
「ん、そうか、なぜだ」
「今日は18時まで部活動があります。明日は数学の宿題をやらなくてはいけません」
「他に時間を作れないのか」
「作れません」
「部活動より、勉強の方が大事じゃないのか?」
「じゃあ先生、部活動の顧問の先生に言ってくれますか?」
「うーん、部活はあなたがやりたくてやっているんだから、先生が言うのはおかしいんじゃないかな」
「先生、部活に入れって中1の時言いましたよね」
「ああ、言ったな」
「だから部活に入って頑張っているんです。それを休まないといけないんですか? しかも明日部活があることはもうずっと前から決まっていることです」
「うん、確かにそうだな。じゃあ他に時間を作れないかな。優先順位を物事に対して決めるのも、大人になるにあたって大事なことだぞ」
「先生、睡眠時間と勉強の時間はどちらが大切ですか」
「うん、場合によっては勉強時間を大切にしないといけないこともあるな」
「先生、本当ですか? 睡眠時間が短いと、うつ病になる可能性が上がるそうですよ。生活習慣病になる可能性も上がるそうです。それでも睡眠時間より、勉強時間が大事ですか」
「ううん、いや、睡眠時間が大事だな」
「先生、うちは宿題をやらないって言ってるんじゃないんです。明後日までには出せないって言っているんです。ちなみに、1週間後までは予定が決まっています。出せるのは来週の今日です。そこまで期限を延ばしてもらえませんか」
「来週の今日までなら出せるのか」
「出せます」
「わかった。じゃあみんなにも言っておこう」
こんな感じです。いや、こんなにうまく言えないかもしれません。あるいは先生もこんなに物分かりが良くはないかもしれません。でも、これが正攻法です。学校は、生徒たちが学ぶ場ですから、学び方は、歩いて井戸自分たちが学びやすいようにするべきです。もし、話を聞いてくれそうな先生だったら、話が分かりそうな先生だったら、これを試してみてください。一人で言うのが難しそうだったら、友達2,3人で職員室に言ってみるのも一つの方法かもしれませんが、先生たちというのは一度決めたことを変更するのを嫌がりますから(なぜかそれが恥ずかしいことだと思っています)、できれば宿題が出されたその場で言うのが一番いいと思います。でも難しいですよね・・・。でも、こういう正攻法をとっていると、そのときに決定は覆らなくとも、じわじわ効いていって、人権侵害的な宿題が出なくなることも期待できると思います。
さて、もう一つの方法は、やはり「親に出てきてもらう」ということです。自分で言ってだめだったり、自分で言えそうにない場合は、この方法をとるしか仕方ありません。で、この場合は「校長に言う」とか「主任に言う」とかではなくて、やっぱりその担当の先生に、職員室に電話をかけて直接話してもらうのがいいと思います。そのときの言うべき内容は、↑の内容と同じです。よかったらお母さんやお父さんに、↑をお見せして、電話をかけてもらってください。
しかし、1週間以上先の期限の宿題でも自分はやり切ることができないという人もいると思います。これは仕方のないことです。さっきも書いた通り、いろんな事情があります。これについてはいろんな考え方、というか対策があると思います。ちょっとうまく書けるかわかりませんが、いくつか書いてみます。
まず、あなたが私立の中学校とかに通っていてその状況の場合、そしてその学校が宿題の多い学校の場合、本当にその学校に通うべきなのか考えてみてください。おそらくあなたのお母さんやお父さんは、「宿題の多い学校ならちゃんと勉強をさせてくれる」と考えてその学校を選んで、あなたも一生懸命受験勉強をしてその学校に入ったのだと思いますが、あなたにあっていないかもしれません。「出せない宿題」の蓄積は、心にかなり毒です。「宿題を出していないことを学校に入ったら指摘される」と思っていると、そしてそれがどんどん蓄積して、どう考えても一生かかっても終わらないように思えるほど宿題が溜まってしまうと、もう家から出たくなくなってしまうかもしれません。その場合は、あなたはその学校にあっていないかもしれないんです。でもね、宿題が出せなくても、あなたは勉強ができないわけじゃない。何かに取り組むことができないわけじゃないんです。そもそも人権侵害的な宿題がたくさん出されている学校かも知れません。世間には人権侵害への態勢が強い人もいて、人権侵害を受け流しちゃう人もいます。でもあなたはそうじゃない。でね、人権侵害、絶対に受け流さない方がいいんです。人権侵害に敏感な方が絶対に良いんです。人間は古くから、生き残っているのはいろんなものに対する恐怖心によって生き残ってきました。痛いとか、やばいとか、こわいとか、そういうものを避けてきた人たちが生き残ってきています。だからね、あなたが人権侵害への耐性がないことは全く悪いことじゃない。だから、宿題のない・少ない学校への転校をぜひ考えてみてください。
次にできる方法が、宿題をやらないこと、これを特別に認めてもらうことです。これもあまり気の進む方法ではないかもしれません(そもそも、これが可能ではない学校もあるかもしれません。私が勤めていた学校は可能でした)。自分だけ特別扱いし貰うことに、申し訳ない感じというか、なんか自分はだめなんだという感じを持ってしまうかもしれません。でもね、楽しく学校に行けることの方が絶対大事です。宿題を出さないことで成績が少し下がってしまうかもしれないけれど、授業に出ることの方が大事です。宿題を出さなくても、授業に参加したら学ぶことができますし、テスト勉強もできて、成績はそんなに悪くならないかもしれません。で、この特別扱いをしてもらう方法ですけど、これは簡単にいうと「診断がつく」ということだと思います。これもあまり気が進まないかもしれませんね。うーん、ちょっとこの方法については、また考えてもう一回うまく書けないか考えてみます。すいません。でもね、こういう方法もある。
・・・そもそも学校で勉強ってしなきゃいけないの? って思うかもしれません。勉強って自分でもできるじゃんって。うん、確かにそうです。本を読んだり、今では有料の授業動画サービス:スタディサプリもありますし、Youtubeにも多くの授業動画があります。確かにそれで勉強はできる。でもね、学校にはカリキュラムっていうものがあって、時間割っていうものがあって、質はさまざまですが、その内容の専門家である先生がいます。これはね、できれば活用した方がいいんです。カリキュラムには弊害があります。よくない面もあります。何年生で何を学ぶって決まっていますから、その「何を学ぶ」についていけないと、ずっとついていけないことになり、いわゆる「落ちこぼれ」が生まれます。逆に、もっともっとその分野が得意な人は分かっている範囲の授業に参加しても退屈です。その時間、もっと専門的な内容や進んだ内容を学んだ方がいいかもしれません。だから、万能ではありません。でもね、いつ何を学ぶ・いつまでに何を学べばOKって「限度を示してくれる」「ここまでやればいいよって示してくれる」ことはすごく大事なことです。カリキュラムなしで「数学を勉強しよう」と思ったら、どこまでやればいいかわからない。でも「中1ならここまでだよ」って決まっている。だから勉強ができる。これは超偉大な哲学者の千葉雅也先生(この先生も私の師匠です)が言っている有限性って言うことです。あとね、時間割っていうのも、1週間で数学を何時間やって、国語を何時間勉強すれば、ここまで勉強ができるよっていうのが決まっている。これも、有限性です。何時間勉強すればいいか決まっているから、勉強をしようと思えるんです。授業は3時半までって決まっていますよね。だから学校に行こうと思える。時間割は決まっていないよ、これがわかるようになるまでやらなきゃだめだよって言われたら、勉強なんてする気にならないと思います。これも、人によって理解にかかる時間が違うので、同じ時間割がある人にとっては短すぎ、ある人にとっては長すぎるということが起こるので万能ではありませんが、でも、勉強する際の目安になる。これを、学校に行かないでスタディサプリとかYoutubeで勉強するとなったら、自分で、毎日毎週何を何時間勉強しなければいけないかを決めなければいけない。おそらくね、それってたぶんほとんどの人にはできません。時間割なんていらない、好きなものを好きなだけ学ぶことが大事だという意見の人もいるかもしれませんが、時間割やカリキュラムというものが決まっていて、未知のもの、自分が好きになるか好きにならないかまだわからないものに授業で出会うから、新たに好きなものができるんです。古文読む前から古文が好きな人はいません。でも古文って面白いなって思うことがあります。歴史だってそうだし、物理だってそうでしょう。音楽だってそうです。この歌うたってみたら、歌うこと楽しいと思ったって言うことがありますよね。だからね、時間割もカリキュラムもあったほうがいいものです。だからね、学校には行った方がいいです。でもね、命すり減らしてまで行くべき場所ではないということ、人権侵害を受け続けてまで行くべきではないということです。
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