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単身でドイツの学会会場へ向かった話

知っているようで知らない感覚


はじめに

 これは私が大学院の修士課程に進学したころの話である。学部生時代に研究が順調に進んだことから、研究の進捗報告を目的としてドイツの国際シンポジウムに参加することとなった。そのシンポジウムには私が取り組んでいた理論の発案者も参加するため、今後の展望や要望などを議論するのにちょうど良い機会というのが理由だった。私にとって初めての海外、初めての国際学会の参加である。

初めての一人旅

 それは研究室の指導教員との交通手段の共有で起こった。私は当初、指導教員と一緒にドイツのポツダムで開かれるシンポジウムの会場に向かう予定であった。指導教員が予約した航空機と同じ便の予約を試みたところ、その航空機は満席になっていた。そこで、私は比較的安いロシアの航空会社の便を予約する。本来ならば、この時点で満席で予約が取れないことを指導教員に報告するべきだが、当時の自分は移動手段の確保も自力でやる必要があると誤解していたため、直前まで異なるルートで会場に向かうことを伝えていなかった。指導教員は出発前日にその事実を知り、愕然としながら私を心配していた。当然である。
 さて、先に述べたように私にとって初めての海外への移動だった。それを一人で会場まで行かなければいけないため、調査は念入りに行うことにした。私が予約したロシアの航空便は、日本からモスクワのシェレメチェボ空港を経由してドイツのシェーネフェルト空港まで乗り継ぎをするルートである。ここで以下の心配事が浮かび上がった。

  1. シェレメチェボ空港の保安検査がいい加減

  2. ドイツのシェーネフェルト空港はポツダムから遠い

 シェレメチェボ空港は、係員が検査用のゲートから勝手に離れてしまい、保安検査が乗継便の出発時間に間に合わずに空港に置き去りにされるという恐怖体験がいくつも出てくるのである。また、シェーネフェルト空港に関しては「ドイツの尻尾」と呼ばれ、ベルリンから遠く離れていた。そのため、現地の交通機関を利用し、ベルリンを経由してポツダムまで移動する必要があった。私はモスクワの空港に置き去りにされるかもしれない不安と、慣れない土地での交通機関の利用ができるのか不安に思いながら当日を迎えることになる。

海外へ向かう

 出発当日、早朝に成田空港に到着すると、指導教員から私のことを非常に心配していることが伝わるメールが届いていた。一方で当の本人はというと、緊張はしながらも初めてのことに少々浮足立っているという能天気な有様であった。難なくチェックインと保安検査をこなし、シェレメチェボ空港での恐怖体験をせずに済むことを祈りながら飛行機に乗り込む。目的地までの所要時間は約8時間、こんなにも長く交通機関を利用することは初めての経験だった。

シェレメチェボ空港にて

 飛行機内で学会発表のための原稿の下読みをしていると、あっという間に乗り継ぎ先の空港に到着した。私は他の乗客の移動に流されながら乗り継ぎ便に繋がる「Transit」と書かれたゲートを目指す。そして、問題の保安検査のゲートに到着した。私は係員が真面目に仕事をしてくれることを祈りながら、パスポートを準備してゲートを通る順番を待った。そんな私の心配をよそに、係員はパスポートを一瞥もしないどころか、途切れることなく現れる乗客を鬱陶しそうに早く進むよう手で合図をしていく。幸い、空港に置き去りにされることは避けられたが、保安検査がいい加減だという噂は間違っていなかったようだ。その後、空港の発着エリアへ移動し、航空券に印字されているゲートの近くで乗継便の案内を待った。ロシアの空は明るいが日本時間にして深夜0時頃、緊張が抜けて急に眠気を感じ始めた。

ドイツへ

 それからというものの、ドイツへの乗継便には問題なく搭乗し、睡魔と闘いながらシェーネフェルト空港へ到着した。着陸時に窓から見える建物が日本と全く異なっていることから、異国に来たことを強く実感した。飛行機から降りると、空港の建物が非常に小さく、日本の地方に建てられた国内線だけを対象とした空港のようだった。そのおかげで、私は迷うことなく入国検査のゲートまで辿り着くことができた。
 入国検査では「ポツダムで開催される国際シンポジウムに参加する」旨を拙い英語で伝え、どこのホテルに泊まるのかも係員に提示しながら、自分が安全な人間であることを伝えた。無事、入国検査を通過し、奥のバゲッジクレームで手荷物が流れてくるのを待っていると、周りから英語やドイツ語の話し声が聞こえてくる。改めて遠くの地に来たということを実感した。

ポツダムへ行く

 一番の心配事であった航空機の乗り継ぎ問題が解決し、次はポツダムのホテルまでの移動であった。ポツダムへの移動はドイツのベルリンを走るSバーンと呼ばれる鉄道を利用する必要があった。Sバーンはドイツのベルリンを中心に運行する環状線であり、ベルリン市街から郊外までの広いエリアをカバーしている。私はSバーンに乗るための切符を購入し、ちょうど発車しようとしたベルリン市街へ行く列車に乗り込んだ。

これは最新のものであり、私が利用した10年以上前の路線とは若干異なるようである。2020年にシェーネフェルト空港は閉鎖されたことから、そのあたりの駅が見当たらないのである。
ベルリン Sバーン路線図


 電車に乗るとドイツ人の若者数名が、ボックス席に寝そべりながらお酒を飲んでいるのを見かけた。乗務員は酒盛りをしていた若者を見るや、渋い顔をしながら彼らを咎め、手に持っていたお酒を回収していた。私はその様子を見ながら電車の窓から外の景色を眺めると、古い石造りの建物や大きな落書き、松林などが見えた。日本にいても見られそうな風景ではあるが、やはり違う国に来たということを実感した。やがて、森やまばらに立ち並ぶ建物が、徐々に立派な建物へ変わるのを見て、乗り換え駅が近いことを悟った。
 電車の乗り換え後、私は睡魔と闘っていた。日本を発って20時間程度が経過し、目的地が近いこともあって非常に眠くなってきた。ドイツの現地時間でも夜になり始め、外は少しずつ暗くなっていた。日本と違うのは夜9~10時を過ぎても空が明るいことだった。空腹と睡魔に翻弄されながらうとうとしていると、乗客は駅に停車する度減って行った。ベルリン近郊ではたくさんいたのに、いつの間にか私以外誰もいない状態になった。目的地のホテルが川の近くの閑静な住宅地であるため、乗客も少ないのだろう。

見知らぬ地

 私は睡魔と空腹で頭が回らない状態で目的地が近くなったことを悟り、電車から降りた。バス停近くのフリーWi-Fiスポットを利用し、スマートフォンのマップで目的地のホテルを確認すると、近いはずのホテルはずいぶん遠くを指していた。おかしい…いや何もおかしくない、私が駅を乗り過ごしたのだ。電車で戻る手段を検討したが、待てども戻る方向の列車が来ず、その手段を諦めることにした。そして、見知らぬ地でバッテリーの少なくなったスマートフォンを手に、どうやって目的地まで行くのかを考えた。
 重いスーツケースを引きずりながらその辺をうろうろしていると、駅の近くで談笑していた中年男性のグループに「Hey boy!!」と声を掛けられる。この頃の私は童顔だったためか、子どもが夜遅くに荷物を持って歩き回っていると思ったらしい。いったい何をしているのかと尋ねられたため、目的地のホテルのパンフレットを見せて、ここに行きたいということを伝えた。コーヒーカップを片手に持った男性が「お金は持ってるのか?」と聞いてきたため、持っていると答えた。彼らはタクシー運転手だったようで、車に乗るよう案内された。
 間違って降りた駅からホテルまでの距離は大したことは無かったが、灯りが全くないため視界が悪く、歩いていくには厳しいと感じた。そのため、タクシーの運転手に出会えたのはありがたかった。私は英語で感謝の意を伝えると、運転手は「Danke!」とぶっきらぼうに言った。要するに、ここはドイツなのだから、ドイツ語で謝意を伝えろということだった。運転手はホテル前に車を止めて私に降りるように言い、トランクに入れたスーツケースを渡した。私は改めて運転手に「Danke」と言うと、彼はそれで良いというような顔をして走り去っていった。

目的地のホテルにて

 時刻は夜の1時を回っており、ホテルマンはホテルに入った私を見るなり部屋の鍵を渡してきた。そして、部屋まで案内するさなかに「ずいぶん遅くに来たが何かあったのか?」と聞いてきた。私は素直に「道に迷ったがタクシー運転手に連れてきてもらった」と拙い英語で答えた。ホテルマンは軽く笑いながら部屋の前まで誘導すると、一言「おやすみなさい」と伝え、ロビーへと戻っていった。
 部屋に入るなり、私は指導教員に紆余曲折あったが到着したことを伝え、今まであったことを思い返した。改めて見ると飛行機に乗って目的地に行き、電車に乗って降りる駅を間違えるという大したことのない道筋であったが、大変な苦労をした感覚を得ていた。しかし、本当に大変なのは翌日以降の発表である。全て英語で話す必要があるため、原稿をきちんと覚えておかなくてはいけない。私は発表資料に重大な問題があることに気が付かないまま眠りについた。

終わりに

 自分の至らなさが原因で起こったことではあるが、これらの道程は今でも強く印象に残っている。自分で道を切り開いていく感覚、知らない人と使い慣れない言語で会話をするのは非常に面白い経験であり、何事にも代えがたいものだと思っている。数年後に、同様のシンポジウムに参加するのだが、この経験を理由に指導教員からは「私は前日に打ち合わせがあるから同じ日に行けないけれど、前に一人で行けたから今回も行けるでしょ?」と投げ出されたのはまた別の話である。

おまけ:ベルリンの交通機関について

 ベルリン市街の公共交通機関はベルリンを中心として、距離に応じてA、B、Cの区画に分けられている。それらのエリアのうち、どのエリアに移動するかによって切符の料金が異なる。例えばA区間であれば短距離券で移動可能であり、AB区間だと料金は少し高くなる。私が到着したシェーネフェルト空港はベルリン郊外のCであり、ポツダムはベルリンの近郊Aであるため、ABCの区間の切符を購入した。

ベルリン公共交通機関ゾーンマップ


 また、切符は白紙の状態で発券され、この状態で交通機関を利用するとキセル扱いになり、乗務員に見つかった場合は高額の罰金を請求される。切符を有効化するためには、券売機の近くや駅のホームに設置してある打刻機で時刻を打刻する必要がある。一回券の場合は2時間以内であれば選択した区間内の電車や路面電車、地下鉄、バスなどを自由に利用できる。ただし、これらの交通機関の乗り換えが可能だが一方通行に限定されるため、戻る場合は再度切符を購入しなければならない。
 こういったあれこれが非常に面倒なので、ドイツの交通機関を利用する場合は多少割高ではあるが、一日乗車券を購入する方が融通が利いて良いと感じている。

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