書評『ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治)』
こんにちは。
久しぶりに本を買い読んだので書評を書こうと思います。
今回読んだのは宮口幸治氏の『ケーキの切れない非行少年たち』です。
こちらの本は出版当初から話題になっていた本の一つであり、
おいおい読みたいなと思い、今月時間ができたので、Kindleで読みました。
まったく前提の情報を入れずに読みました。
読んだ感想としては、認知機能と非行との関係について考えさせられる時間になりました。
前提として、私自身少年院に入ったこともなければ、はいったことのある人を知らない。
少年院なんてとんでもない凶悪なヤンキー等々が行く場所だろう
そんな風にさえ思っていた。
著者も同じような印象を持っていたが、序章にてその先入観とのズレが明らかにされており、それは一つ読んでみないとわからないことであろう。
そのような少年院にいく子供には、認知機能的に弱い子供が多いような事実はなかなか知ることができないことだろう。
これは宮口さんが院の子供たちと会って、実際に触れ合ったことで明らかになったことで、身近で触れ合っていた、少年院の教官ですらわからないことであったようだ。
私は大学生であるが、バイト・ボランティアを通じて幼稚園生〜高校生まで幅広い年代の子供たちと触れ合う環境下にある。
すると、何度言ってもわからない子供というのは一定数いる。
そして、それは聞いているのか、ただ怠けているのかもわからない場合が多い。これはなんなんだろうか。そんな風にも思った。
今回の文章を読んで、これを安直に認知機能が弱い・グレーゾーン・境界認知である。と括るのは安直であり、そのようなレッテルを貼ったところで、なんの解決にもならないので、絶対にしたくはないが、このような子供の存在を知ることによって対応を考えることができる気がする。
これは専門家ではないから正しいかはわからないが
支援や、これがわからないことを前提に動くだったり理解から始まる支援は実際にあり得ると思った。
実際に、非行に走っていると聞く卒業生がいるが
在籍時から怪しさは確かにあった。何度も同じことで叱られていたようにも感じていた。しかしながら、あまり反省の色は見えていなかった。
正直、スタッフ全員が手を焼いていたと言って差し支えなかっただろう。
なぜなら「彼は話も聞かないし、反省もしなくてこまったもんだ」
と思っていたからだろう。
そして実際に万引き等々を現在繰り返していると聞く。
いわゆる手癖が悪いのだろう。
私は今回読んでいる間彼のことが頭に浮かんだ。
たまに公園で見かける彼はただの少年そのものである。
善人ぶる気はないが、彼にも可愛いところがあり、友達が好きなんだなというのがたまに伝わってくる。
そんな彼がなんでだろうかと思っていた節があり、あぁ彼もこんな人たちの一人なのかもしれないな・・・
なんて一人で思った。
諦念・認知の歪み、弱み・過去のトラウマに起因するところがきっとあるのだろうと思った。
さて最後にこんな中で自分自身ができることはなんだろうか。
私は「理解」それだけだと思う。
理解をしようというその姿勢によってのみでしか理解はし得ないし
専門家ではない以上、理解から支援まですることは難しいだろう。
しかしながら、途中で語られている、支援側の不足は大きな問題だろう。
もし仮に自分自身が、なにかしら支援をしたいと思えたら、自分自身が社会人として、実績をあげ、さまざまなノウハウを持って、この問題の解決に取り組むというのはひとつの理解以上のできることなのではないだろうか。
そんなことを考えるきっかけ、他者理解の一助になる著作でした。