【自己紹介】どうして自分が女性サイボーグ画像を生成し続けるかについて考えてみました
先日、ChatGPTの有料版に手を出して、DALL-E3での画像生成を試してから、ひたすら女性サイボーグの画像を生成しています。どうしてそうなったかを考えてみました。
ただ「美女」と打ち込んで生成してもあまり好みの女性は現れませんでした。なのに「女性サイボーグ」を生成してもらうようになってからは、私の好みの画像が次々と出てきてくれています。
実在する女性の画像や動画といったものに触れにくくなっていたのだと思います。
性産業に従事する女性の実態や苦しみやらを本やらSNSやらで知るうちに、そういった物を遠ざけるようになってしまいました。一人のAV女優や風俗嬢が誕生するたびに、つらい目に合う一人の女性が誕生するようにしか見えなくなりました。
その点、生成画像で、描かれた女性が傷つく心配はありません。性的な目で見るというほどではありませんが、「機械だから見えていいことになってるけれど、それ実質裸じゃない?」というような画像が生成されるとドキドキすることはあります。
癒やしなのでしょうか。
サイボーグでなければ、この距離感は得られていないと思います。
あまり満足できない画像が生成された際に、リテイクしてもそれ以上になることはあまりありません。一期一会の出会いです。
少しの間だけ、すれ違う。通りすぎていく。生成される女性サイボーグたち。硬さと柔らかさの同居している、人と機械の間の女性たち。
生成していくうちに、AI生成写真集、というかイラスト集として残しておきたくなり、kindle出版もしてみました。自分と同じ好みの方に、いつかどこかで刺さればいいな、という感じ。エロさはありません。自分が「あったらいいのにな」と思うものを形にしてみました。
次いで、noteの場を借りて、生成したイラストに詩をつけていくことも始めてみました。やはり「自分一人で楽しむにはもったいない」という思いが強いようです。「画像だけではない表現」を求めているのだとも思います。
今後もずっと女性サイボーグを生成し続けるかは分かりません。違う対象を生成するようになるかもしれません。でも愛情を持って発表し、まとめ、それ以上の展開に広げていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
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