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【モネ 睡蓮のとき】のすごい所。「影によって存在を、部分よって全体を」クリエイターは全員必見だ
国立西洋美術館で開催中の「モネ 睡蓮の時」に行ってきたので、レビューといか感想をアウトプットしておきます。
こんな視点で観ると楽しめると思うので、見方の参考になればうれしい。
どの作品もタイトルが“睡蓮”とかなので、どれがどれだったか記憶が曖昧なんですが、最も印象に残ったのが1903年の睡蓮です。
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ほんとうにこの作品だったかは記憶が怪しいですが、こんな感じのやつでした。
「最も印象に残った」とか言いながらこの程度の記憶なのが痛いですが、似た作品ばっかりなので許せ、サスケ。
で、これがなぜ印象に残った残ったのか、ということなんですが、それは今回の特別展に行って良かったと思える学びがあったからです。
どんな学びかというと、解説に書いてあったんですが
【影によって存在を、断片によって全体を暗示する】
というモネの哲学? 的な作品への考え方です。
この1903年の睡蓮は、見事にそのことを体現していると思ったからです。
「影によって存在を示す」
まずこれですが、水面に反射する景色によって、その場に存在する物や風景を見事に表現しています。
木。
木そのものを描くのでなく、水面の反射でそれを伝えている。
同時に、水の清らかさ、透き通った感じまで伝えています。
これを観た瞬間、そういうことか、と膝を打ちました。
この、反射で風景を伝える技法というのは、モネさんが睡蓮シリーズを通して追求したことなんですね。
空。
青空に、うっすらと雲がある感じですね。
澄んだ空気感を見事に伝えています。
「部分によって全体を示す」
睡蓮シリーズの初期のころは、池の向こう岸がちょっと描かれた作品がありますが、ほとんどの睡蓮作品は水面だけの画角になっています。
この、池のある一部分だけで、全体を表現しているんですよね。
周りには木が生えているとか、天気は晴れて空気は清らかだとか。
静かな水面からは辺りの静けさが伝わってきます。
部分だけで、これだけ多くの事を語っているんですね。
分かる人が観れば、もっといろんな事が読み取れるんでしょうけども。
そしてなぜこの
【影によって存在を、断片によって全体を暗示する】
という哲学が私に刺さったかというと、ここからが本題なのです。
私も脚本を書いたりYouTubeで動画を作ったりしていまして、要するにクリエイターの端くれなんです。
だから、「創作とはかくあるべきだ!」と感じわけなんですね。
こんな創作こそがやりたいのです。
で、良い作品にはそういった共通点があると思っていまして、今回のモネ展を観てパッと浮かんだのが、
中島みゆきさんの“ルージュ”です。
知らない人は是非聴いてほしいんですが、これ超名曲です。
そして、見事に
【影によって存在を、断片によって全体を暗示する】
を体現した作品なんですね。
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