実際は成長しているのに実感は成長していないという現象について
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今日の5キロ走(ほぼ全力)の結果です。
だいたいキロ平均4分20〜25秒あたりです。
実はこれ、いちおう今のとこ5キロのベストなんです。
が、なーんかですね、気分的にパッとしないんですよ。
走りにぜんぜん余裕がなくて、バタバタと無様にもがいてる感じで納得がいかないのです。
あとたぶん走ってる時の顔もおかしいし、何発も屁が出るし。
フォームもハマってないというか(そもそもきちんとしたフォームなどできていないだろうけども)、なんか、「こんなのじゃない」って感じがすごくしてて。
もうほんと、息も絶え絶えだし、体もブレブレだし。
といった具合に、とにかくイメージしてる状態にぜんぜん及ばないのです。
そのせいで、成長している実感が無い。
にも関わらず、いちおう2週間前くらいは22分台だったタイムが、ちゃんと伸びてるんですよね。
走るたびに、更新はできてる。
この現象はなんなのでしょうか?
ここまではランニングの話ですが、「文章を書く」という行為に関しても似たような感覚を覚えています。
最近はなにかしら毎日書いてはいるものの、うすうす勘づいてはいるのです。
最初のブログ書いてた頃のほうが、おもしろいの書けてたな・・・
ということを!!
なんだか最近書いてるのって、グチっぽくてポジティブ要素が無いよなーとか。遊び心とか読み手に楽しんでもらうとか、ユーモアみたいのも無いなーとか。そういう感じがするんです。
なんすかね、前は自然と文章の流れの中でちょっとしたユーモアが出せてたんですけどね。性格悪くなったからサービス精神なくなったんかな。もしくは人と会話しなさすぎてコミュ障化してる!?
ここ最近は「あ、ユーモアやで!ユーモア!」とか思わないと出ない。
しかしユーモア出そうと思っても、「うんこ!」とかそんなのしか出ないレベルです。うんこしか出ない。
うーん。(こ)
文章のクオリティに関してはリアルに劣化してるのかもしれないですが、いちおう毎日記事をアップできてるという点で、生産能力においては成長しているとしよう。
ただし、やはり実感としては成長している気がしない。
納得いかない部分が多すぎるのです。
言葉は相変わらず出てこないし、モヤモヤの言語化もしっくりくる表現がほとんど見つからない。
もうちょっと構成とかうまかったら、もっと面白い話に成長しそうなテーマだったりするのに、思うようにアウトプットできません。
なんすかねー。
理想のイメージに遠く及ばないんですよ。
あー、
今これ書いてて気がついたんですが、ランニングも文章も、同じこと言ってますね自分。
イメージしてるものに及ばない
そう、確かにそう言った。
てことはあれか?
この実際には成長してるのに、実感は成長していない現象って、イメージとのギャップのことか?
やってるうちに勝手がわかってきて、あるいはもっと上位レベルの人を見ることによって、理想的なイメージだけが先に育ってしまった。
イメージばかりが先行し、現実の成長がそれに追いついていない。
実際には少しずつ成長しているものの、感覚としては成長していない気になる。
イケメンの友達ができてつるんでる俺もイケメンだと思ってたけど鏡見たらやっぱり違った、みたいな。やっぱりなんかチゲーわ
なるほど、たぶんそういうことだ。
理想が高くなるのならいいじゃあないか。エラいぞ。
・・・・・
・・・・・
と言いたいとこだが、心理的にあまり健全でない気がする。
だって、成長しねえなーと思いながらやってても楽しくないんだもん。
自己肯定感が下がりますよね。
というか自己肯定感が低いから、成長したことを認められないのかもしれない。
初心者で始めたころは、とにかく少しでもできたことが楽しいじゃないですか。
運動を全くしなかったのが、10キロ走れた!自分でもできた!という感動だったり。
初めてブログで文章を投稿して、初めて自分の文章を読んでもらって、おもしろかたって言ってもらったりして。
そういうのはとてもうれしいものです。
でも、僕たちって(僕だけ?)すぐ、その最初の感動を忘れてしまいます。
どんどん新しくできる体験が減ってきて、「こういうものか」と分かった気になってしまう。
そして飽きる。
なぜ、素直に成長を受け入れて喜べなくなるんでしょうか?
理想的ではないとはいえ、成長しているのに。
イメージとのギャップ、てだけで済まない気がしてならない・・・
・・・・・
あれ?もしかして・・・と思った概念がある。これや。
限界効用逓減の法則(げんかいこうようていげんのほうそく)
お金のないときに、 ある人から1万円もらうとすごくうれしい。 もう1万円もらうとやっぱりうれしい。 さらに1万円もらうと、うれしいけど、 最初ほどのうれしさではなくなってくる。
引用元http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/marginal.html
かっけえ。こんなシブい言葉知ってる俺かっけえ。
いかにも頭が良さそうじゃあないか。きっとイケメンにちがいない。
なんだかこれに近い気がします。ビンビンしますよ。そんな気が。
年収が上がってお金持ちになっていくと、この法則によっていくら稼いでも幸福度が上がらなくなる話はよく聞きますね。
でよ?
成長の実感に、この法則が適用されてしまったとしたら、、、やばくないか?
なんぼ成長してもうれしくなくなってしまう???そんなことが許されるのか?
なんだかあらゆることの「飽きる」という現象が、これで説明できる気がしてきた。
しかし、人間ってふつうそうなんじゃないの?とも思うわけです。
どういうことかって、経験に慣れていかずに、毎回毎回、新しい体験のように感動してたら、たぶん死ぬからです。
初めてガリガリ君を食べた!ちょー美味しかった!←これが毎回ですよ?
しかも全ての刺激に対してです。
おそらく、刺激が多すぎて体がもたなくなるでしょう。
(僕の職場にはガリガリ君をいまだに初めて食べたかのように感動している40代のおじさんがいますが、非常にまれなケースです)
ということは、人間必ず、あらゆる経験に慣れてしまうのです。
ならば、成長することもある程度予測がつくし、やっぱりね、という感じで慣れてしまうのではないかと。
だから、最初ほどの感動がなくなる。
つまり、実際は成長してるのに、実感では成長していない現象が起きるのは、当たり前だったのですッ!
そういうもんだとわかれば、なにも心配する必要はありません。
心が慣れてきたってだけなのですから。
僕みたいに特に飽き性なタイプは、慣れてきて退屈になった時に、また新たな別の刺激を求めてしまいがちです。そして全く別のことに手を出す。実際それを繰り返してきました。
それ自体は悪いことではありません。
しかし、一つのことを続けた先には、最初の感動とは別の種類の感動がある気がします。
達成感なのか、充実感なのか、そこまで行ったことがないのでわからないですけど。深い満足感みたいな、そんな方向性の感情。
それはきっと、恋が愛に変わる時、みたいなことなんじゃあないかと推測するわけです。
こんなに気持ちわるい言葉が出てくるなんて、やはり僕の文章力はしっかり成長しているみたいです。