ミクロネシア スローライフの航海術
大学1年の時に、上智のプログラムでミクロネシアへ飛び立ったぎゃびーちゃんです。
前回の記事はこちら⇓
今日はミクロネシアで学んだ、「時間」の捉え方と、スローライフのヒントについて。
〈時計はあってないようなもの〉
私はミクロネシアの他にフィリピン、カンボジアにも行ったことがあって、これはもはや温暖な国あるあるなのかも、と感じているのですが、とにかく「時間」の捉え方が違う。
一応大学のプログラムなので、私たちは現地の大学でいくつかの講義を受けることになります。最初のうちは、大学の先生方が講義してくださるということで、私たち日本人はきっちり5分前には席についていたわけです。
ところが現地の先生たちは、10分15分の遅刻は当たり前。というか、遅刻と思っていない。
極めつけは、ミクロネシアの元大統領の講義。
「元大統領だから、ちょっと小綺麗にしとしてね!」と担当教員たちには言われていたので、えらい人が来るからちゃんとせな!と思っていたわけですが…
講義が始まる時間、10分、15分経っても、全然彼はやってこない。
40分後くらい経ったころでしょうか。担当教員からの連絡はというと、
「大統領、今日のこと忘れてたらしいです(^^;
講義は明日に変更します」
ええー笑
そして次の日、やっとこさお目にかかれた元大統領。
「いや~ごめんごめん、忘れてたわ~HAHAHA」
大統領の風格はどこへやら。アロハシャツ着た気さくなおじさんでした。
でも講義は素晴らしかったです。
〈時間の海を旅する人々〉
こんな調子なので、私たち日本人もだんだん時間の感覚が緩やかになっていきます。
朝は日の光と、鳥の鳴き声で目を覚まして
昼は森や滝に遊びに行って、お腹が空いたらご飯を食べる
夕日の中でウクレレを手に歌い
夜は満天の星空の下を散歩して、眠くなったら帰る。
(↑ 5秒後に15mは軽く超える高さの滝からダイブする私)
何もしていないみたいなのに、毎日が本当に充実していた。
そんな生活の中で感じたことは、時間というのは、プツプツと切るものではなく、滑らかに流れていくもの。それが本来の姿なんだな、ということ。
人を縛り付けるものでも、人を追い込むものでもない。
ただそこに時間が流れていて、私たちはそれに乗っかって、進んでいくだけなのだ。
素晴らしい航海技術を持ち、カヌーで太平洋を制した先祖たちを持つミクロネシアの人々。
彼らは、時間という海流の中を旅する術も持っているのかもしれないなぁ。
日本に帰国後、やっぱり時間に追われて、イライラしたり、余裕が無くなってしまうこともある。
でもそんなときに、思い出すようにしています。
同じ地球で、同じ時間を生きている小さな島の彼らのことを。
Gabby