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水源地の村を作る「奈良県川上村」前編

皆さんこんにちは!

本日も吉野がお送りいたします。
かわかみ源流ツーリズムについて、前回少しご紹介させていただきましたが
今回はここに至るまでの経緯を簡単にご紹介させていただきます。

こうして、今の川上村があるんだな~と
なんとなくわかっていただきながら遊びにも来てもらえると
私たちはとっっっても喜びます。笑

歴史

長い歴史なので語りだすと長くなりますが、
できるだけコンパクトにお伝えします。。。

平成6年(1994年)水源地の村づくり 決意
平成8年(1996年)川上宣言 発信
平成11年(1999年)吉野川源流ー水源地の森 購入
平成14年(2002年)森と水の源流館 設立
平成26年(2014年)第34回全国豊かな海づくり大会 開催
令和元年(2019年)エコツーリズム推進法に基づく全体構想 認定
令和4年(2022年)かわかみ源流ツーリズム 始動  

①水源地の村づくり

昭和34年、突如やってきた大型の台風「伊勢湾台風」。
この台風により大きな被害を受けた川上村では下流に住む方たちのためにも二度と洪水の被害が起こらないよう洪水調節ダムの建設が求められました。

この結果できたのが「大滝ダム」です。

大滝ダム

川上村では広大な地域の水没を余儀なくされたわけではありましたが、
そのうえでダムと向き合い、新たな村づくりに取り組む必要がありました。

川上村の役割って何だろう? 村のあるべき姿は?
そう考えるうちに出てきた答え、それは、、、

【源流であり、水源地であること。これはずっと変わらない。】

ということでした。
源流の村であることの役割を考え実行していく、
それが「水源地の村づくり」の始まりです。

②川上宣言

水源地の村づくりの一つとして1996年(私が生まれた年でもあります)に
全国に向けて「川上宣言」を発信。

そこには、村に住む住民はもちろん、下流域の人々とも手も携えて、
かけがえのない水と森を育てていきたい。
そんな願いと決意が込められています。

一. 私たち川上は、かけがえのない水がつくられる場に暮らすものとして、下流にはいつもきれいな水を流します。
一. 私たち川上は、自然と一体となった産業を育んで山と水を守り、都市にはない豊かな生活を築きます。
一. 私たち川上は、都市や平野部の人たちにも、川上村の豊かな自然の価値に触れあってもらえるような仕組みづくりに励みます。
一. 私たち川上は、これから育つ子どもたちが、自然の生命の躍動にすなおに感動できるような場をつくります。
一. 私たち川上は、川上における自然とのつきあいが、地球環境に対する人類の働きかけの、すばらしい見本になるよう努めます。

川上宣言

③水源地の森 購入

川上宣言で上げたように、源流を保全していくために
川上村は源流の三之公地区に残る、500年以上も昔から手つかずの原生林を購入しました。面積はおよ740ha。「水源地の森」として守っています。

「水源地の森」には貴重な植生や生態が残されており、これらの保全に向けた調査・研究を行うとともに、この森の持つ魅力に触れるツアーを開催し、水源地の村の環境保全に向けた取り組みへの理解を呼びかけています。
※一般の方の入山はお断りしています。
※入山をご希望の方は、森と水の源流館のガイドツアーにご参加ください。

水源地の森

④森と水の源流館

水源地の村づくりをしていく中で課題になったこと。
それは村民の意識です。

役場がどれだけ水源地の村づくりをしていくとかかげても、
流域の自治体と協力をしても、村民一人一人が理解し、
行動をしないと本当の意味での村づくりはできません。

そこで、役所ではなく住民レベルで交流ができるように
「森と水の源流館」が作られました。

ここでは源流の大切さや、水との暮らし、歴史等
様々なことが学べるようになっています!

水源地の森が体感できる巨大シアター

実際に私も鑑賞しましたが、本当に森の中にいるようで
癒しや陽気な感覚を感じた半面、“こわさ”も体感しました。


というところまでで前編終了。

ここまでで水源地の村を作っていこうという村の姿勢が
少しづつ見えてきたかと思います。

川上宣言ができたとき、私は生まれました。

長い歴史とともに水源地の村を築いています。
かわかみ源流ツーリズムは水源地の村づくりの集大成として生まれました。

後編で詳しく触れていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

それではまた。


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