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#47 ひとりでたのしめるもん

この記事は20代の私だ…。

11月に突入して
年末が見えてきた。

20代30代前半までは
帰省が苦痛で仕方なかった。

職場では
時候の挨拶がわりに
「お正月は帰るの?」 
ハイ、イヤイヤデス
「いいわねー、帰る場所があるって」 
ゼンゼンヨクアリマセン

帰りたくないのに
なぜ時間とお金をかけて帰らなければならないのか?(帰省すると国内旅行1回分のコストがかかる)
不必要な葛藤。

しかし帰らない訳にはいかない理由があり…
義務感=お勤めとしての帰省。

会いたい友だちもいないから、ただ家にいるだけ。
普段は一人暮らしで徹底的に自分のペースで生活しているから、四六時中誰かが傍にいることが苦痛でしかない。(会いたくもない親だし)

それに!
親子で和やかに食卓を囲むには、
それなりの幼少期ー学童期ー思春期の有形無形のコミュニケーションの実績がなければ、実現は難しい‼︎!

ましてや我が親は
子どもの誕生日の夜中に夫婦喧嘩というかDVまがいの騒動を起こして部屋が割れた食器やガラスで焼け野原みたいだったし、
クリスマスイブにプレゼントの準備の仕方が悪いと子ども3人の目の前で取っ組み合いを始めた結果、父は母子4人を極寒の深夜に外に叩き出すし…

こういう時に、
母の実家に迎えの電話をさせられるのは、いつも長女の私だった。泣きながら「迎えに来て!」
何度電話したことか。
お陰で、母の実家の電話番号は今でも暗記している。

のちのち30代前半に私は鬱傾向になるのだが(正式な診断は受けていないが、明らかに鬱だろうという症状を経験した)
鬱の因子は
1つの大きなインパクト
無数の小さなインパクトの繰り返し
特定の人物、場所、時間
様々だ。

夜中に何が起こるかわからない恐怖
一度始まれば、夜中だろうと叩き起こされ
見たくもない親の修羅場を見せつけられる。
まだ幼くて記憶が鮮明でなく、記憶の連続性がない分耐えられたのかもしれない。(その証拠に4歳年下の弟は、あまり記憶にないという。羨ましい…)

それは、虐待がエスカレートしても
耐え続ける子どもたちと重なる。
それは
「それしか知らない」
「その親しか知らない」
からなのだ。

子ども時代は他と比較ができない。
必死にその環境で生きていくしかないのだ。
目の前にいる親に縋って生きるしかないのだ。
うちの親が目の前で繰り広げた面前DVや様々な身勝手の数々は、カウンセリングという場で話すことで、
「ウチの親って酷いんだ…」
と認めてくれる人(カウンセラー)が現れ、
「やっぱ酷いんじゃん」と今まで散々塩を塗りたくられた傷口にやっと絆創膏を貼ることができた。

祖母が2012年に亡くなってから
本格的に帰省しなくなった。

お盆や年末年始に感じていた
「心許なさ」は
今はもう感じない。
いつから感じなくなったかも覚えていない
「あれ?そう言えば」だ。

ひとりでたのしめるもん!


それにしても
イヤイヤ帰省していた時期、
母はイキイキとして楽しそうだった。
そんな母の様子をしらけた思いで眺めていた。

父は私が中学2年の秋に大病をして以来、
酔って暴れることはなくなり、
面前DVはなくなったが、
それまでに利息がつくくらいハートを痛めつけられた。

しかし
そこは
さすが、
両親ともに
「起きたことを無かったことにできる」人種なのだ。
私の距離感なんて無視。
楽しい家族
楽しい年末年始を求め始めた。

父と母は共依存
母は子どもに依存
どこまでも機能不全な年末年始にサヨウナラ

ひとりでたのしめるもん!

家でボーっとできるのも楽しい
誰にも気を遣わず
気ままに過ごす
誰かに脅かされない
場所と時間
バンザーイ

帰らなくてもダイジョウブ




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