〈自分の思ったことを書く〉ことへの苦手意識の原点となった『ちいちゃんのかげおくり』
こんにちは、のぞみです。
突然ですが私は文章を書くこと、特に感想文など自分の思ったことを書くことが苦手だと長年自覚しています。
はっきりと自覚はあるものの今までそのことと真剣に向き合うことはなく〈書く〉ことを嫌い、避けてきました。
本当は書きたかったんです。
・映画や飲食店のレビューを書きたい。
・自分の経験についてブログを書きたい。
・メールや手紙で気の利いたことが書きたい。
etc.
でも書きたいはずなのに、なぜか何を書いたらいいか分からないんです。
noteは書くことへの苦手や抵抗を少しでもなくしたくて始めました。
そしてこの苦手意識はどこから来たのか、何で書きたいのに書けないのかを初めて考えました。
そして思い出したのが『ちいちゃんのかげおくり』でした。
『ちいちゃんのかげおくり』は小学生の頃、国語の教科書で習った物語です。
戦時中、空襲によりちいちゃんは家族とはぐれひとりぼっちになります。
家族を待ち、空腹のなか生きながらえようとするものの儚く消える少女の姿を通して、戦争の悲しさを静かに描いた物語です。
とても悲しい物語ですが、このお話を習ったあとの小学校のテストこそが、私が〈書く〉ことが不得意だと感じるきっかけだったのではないかと思います。
ちいちゃんが家族とはぐれ途方に暮れているとき、近所のおばさんと出会い家まで一緒に行ってくれるのですが、そのことについてテストでこんな問題が出ました。
「おばさんと出会ったちいちゃんに何と声をかけますか」
何と声をかければよいのか、私には分かりませんでした。
そして何か書かなければと書いた答えには、△だったか✕だったかがついて返ってきました。
何と声をかけるかはその人の自由ではなく、そこには正解と不正解があることを知りました。
こういったことが書けていたら○とか△とか、指導要領があったのだと思いますが、正しい答えが何だったのかは分かりません。
今思えば感想文ではなくテストですし、正解不正解があるのは当たり前のことかもしれませんが、このときから私は何かを書くときには〈正解を書かなければいけない〉と考えるようになりました。
間違ったことを書いてしまうことを恐れ、正しいと思われる文章、無難な文章を書こうとするうちに、自分が本当に思っていることが何なのかも分からなくなっていました。
苦手なことを無理にしなくてもいいか、とか苦手だからしょうがない、とある意味開き直っていましたが、変えていきたい。
少しの量を書くのにも時間がかかるし、堅苦しくなるし、語彙力も表現力もないし、書いては消してなかなか進まずもどかしい。
でも避けてきた今までより、苦手でも挑戦してみるほうが、なりたい自分になっていけるんじゃないかなと今は思います。
読んでいただきまして、ありがとうございました。