やっと気付けた人生観の話
遅すぎる。
遅すぎるんだけど気付けてよかったことがある。
それは、すべて相手のために動くことが
人生を回しているということ。
自分に近しい人や店員さん、
日常で直接的に関わる人には当然のように
相手のことを考えることがついてまわるけれど、
ほんとうにこれ、全部に言えることだった。
これが当たり前にできることが
一般的なのかもしれないけれど、
お恥ずかしながら私はまだそのレベルに
達していなかったことにも気付けて
心の底から安堵している。
”対 人物”ということは安易に想像できる話だと
思うけれど、「文章を書くこと」から得られたことも
なんだか嬉しい。
書くことは身近で、仕事では求人原稿を書いたり、
もうこれは完全にプライベートだけれど
おすすめ商品のレビューを書いたりしている。
大それたことを言うと、今の仕事は、
これからの生き方として書く仕事を選んだから
最初から書くことに心を躍らせていた。
1年近く経つ今もなお、なんやかんやで
好きなんだよな。と思いつつ目まぐるしく
過ごしている。
そんな最初から好印象だった書く仕事だけれど、
今とは違う感覚があることに気付いた。
それは、シンプルに相手のために書いているのか、
という項目を何度もなぞって確認するようになったことだ。
もちろん仕事では求職者目線、というところは
いい意味で社歴も浅い分意識できている方だったとは思う。
でも、入ったばかりのときは、”相手目線”という文字が
羅列しているだけだったな。と思いかえした。
今どう変わったかというと、簡潔にいうならば
きれいごとやまとまりのある便利なワードの
力に頼りすぎることを辞めた。
例えば、主婦(夫)さんがターゲットの原稿を書くとする。
そのとき、「子供のお迎えに間に合う仕事」だったり
「熱をだしても周りのサポート体制が万全で安心」だったりと
言うならば言い回しや切り口が決まっていた。
これで「あ、いいな」と思ってくれる方も
もちろんいるだろうし、感情はさておき機械的に
書いていたわけではない。
でも、本当のところ、読む人にとって
どこが実際気になるところだろう?
条件面以外で私が伝えられることができるところって
リアル感を感じてもらえるってどんな伝え方だろう?
と改めて思うようになった。
きっかけは多分、相手のために行動し続けている人を
間近で見てきたり、発信している人が
自分よがりではなく相手のためが最優先で
行動しているのを実感したから。
自分の話を聞いてもらうんじゃなくて、
知りたい、困っているから正解を知りたい人のことを
本当に考えたとき、自分の方向にベクトルが向いている人は
いない。作業にもなっていないし、必ずそこには
愛情があったり本気を感じるのだった。
そんな風にいい環境に触れる日常だったことが
ラッキーなんだけれど、そこから仕事やプライベートの
おすすめレビューへの向き合い方が変わったように思う。
単純で当たり前なんだけど、
すべてのベースは人の役に立つこと。
なんでも人のためにというようなきれいごとじゃない。
自分のことを切り捨てるという極端な話じゃなくて、
相手を想う気持ちがあれば、言葉の選び方や
読む人を想像したとき、ふんわりした書き方にならないのかも。
書くことの背景に思いやりが潜んでいるのも
じんわり温かみを感じて、よく寝れそう。
おやすみなさい。また明日◎