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読書感想文。

 私が先生と「その話」をしたのは、高校2年の夏か秋頃、2人きりの教室でのことだった。
先生は私と顔を合わせた際、話題が困れば小説に頼った。先生は現代文(国語)の担当だったからだ。先生は私の担任でもあった。けれども、今となっては苗字すら思い出せない。何か「藤」の漢字が入っていたはずだが、それに続く字は「田」なのか「本」なのか「井」であるのか、はたまた「木」なのか、馴染みの苗字に片っ端から当てはめてみたとしても、まったくピンとこない。覚えていることは細身の身体に教師らしくきちんとワイシャツと黒のパンツを着用し清潔感があり、短髪で眼鏡をしていたこと。
先生は休み時間になると、私の様子を伺いに律儀に私のいる教室まで会いに来てくれた。

 その頃クラスに馴染めず適応障害を発症し、それまでできていたことが難儀になった私は、人とのコミュニケーションも上手くとれなくなっていた。見かねた養護教諭に別室登校を勧められ、他の生徒が授業を受けている時間、私は一人で別室にいた。新年度から担任になった先生とも何を話せばいいかわからず、先生が切り出した話にも上の空で、曖昧に返事をして済ませるしかできなかった。今となればとても申し訳ないことをしたなと反省しているが、当時は何もかもを上手く処理する能力がことごとく壊れていた。それでも先生は先生としての義務からか、私のことをよく気にかけてくれた。

 別室での私の素行はあまり良くなく、教師もいない一人っきりだったのをいいことに、やることといえば本を読むか数学のワークを解くか、時にはソファにしなだれかかって寝たりしていた。もっと有意義な過ごし方、例えば漢検だの危険物取扱者だのの資格を取るための勉強するとか、やりようはいくらでもあったはずだが、当時の私にはそんな発想はまるで頭になく、また周りの大人もそんな道を示してはくれなかった。なので基本的にはその日その日でやりたいことを自由にしていた。

存外快適なその部屋には棚があり、30冊ほどの本が並んでいた。新書、エッセイ、伝記から小説まで、様々なジャンルが揃っていた。気まぐれにその本棚から何冊か読んだこともあったが、基本的には私物であるライトノベルや、親から勧められた小説を読んでいた。
(ちなみにその本棚から乙一や吉本ばなな、イニシエーション・ラブや佐賀のがばいばあちゃんなどを読んだ記憶がある。また母から勧められた小説は村上龍の作品なので、別室の棚にある本の方がよほど高校生向けだった。)

 経緯いきさつは定かではないが、ある日先生が小説を貸してくれた。私が暇つぶしに文庫本を読んでいるところに鉢合わせしたのだろう。「暇があったら読んでみて」、と勧められた小説に私は興味は湧かず、しかしせっかくの親切心を無下にするわけにもいかないと思い、パラパラとページをめくった。大型スーパーマーケットを舞台にしたその小説にざっと目を通したがやはり私の好みではなかったし、正直何を伝えたかったのかわからなかった。もし先生から「感想文を書いてほしい」と言われたら、それっぽいことをひねり出してこの小説を勧めた先生のセンスも含めお世辞を並べたかもしれないが、小説そのものは私の胸にはこれっぽっちも響かなかった。数週間後、私は「面白かったです」とだけ伝え、その小説を先生に返した。先生は私のその感想に、残念そうに笑った。

 またある日のこと、私は先生に「どんな本を読んだか」を聞かれた。はずである。これまた経緯はまったく覚えていない。しかし、どのような流れからか、私はそれに答えたのである。
好きなライトノベルの話を力説するには恥ずかしく、しかし普段はライトノベル以外の小説を滅多に読まない。話のネタが無い。それ以前に人と話す能力を欠如していた私は苦し紛れに、読んだ小説ではなく最近買った小説の中から返答を捻り出した。

「夏目漱石の『こころ』を読んでみたけど、よくわからないし、あまりおもしろくなかったので、すぐに読むのをやめました」
私は面白くなかったことまで、馬鹿正直に伝えた。すると先生は
「あの小説は、大人になってから読んでみると魅力を理解できるかもしれない。今はまだわからなくても、仕方ないよ」と、苦笑しながらも答えてくれた。その言葉が本心なのか私へのフォローなのかわからなかった。
そもそも読みもしない夏目漱石のこころを買った理由は、端的に云うとジャケ買いであった。知っている漫画家が手掛けた美麗イラスト表紙が気に入った、それだけだ。
先生の言葉は、夏目漱石を理解できなかった私の感性を否定しなかった。それだけで私は心が救われた気分になった。

高校2年生の私は、大人になってから本当に「こころ」を読むことになるとは想像していなかった。けれども「こころ」を売ることもなかった。

小説の話題を重ねていくにつれ私と先生の心の距離も縮まっていくように思われたが、肝心の教室に戻れるような配慮と提案に対してはイマイチ話も意気も噛み合わずに日々が過ぎていき、冬休みが明けた頃、先生の尽力むなしく私は教室に戻ることもなくそのまま学校を中退した。
事実は小説とは違いドラマチックやロマンチックの欠片もないようで、小説は、先生と私、私と学校を繋ぐアイテムにはなれなかった。

 それからというもの、小説に触れる機会は段々と少なくなっていった。気づいたときには読書はおろか、文字を目にするのはもっぱらTwitterか新聞のラテ欄だけという落ちぶれた生活が当たり前になっていた。
あれだけ好きだった漫画もライトノベルも読まなくなったのに、Twitterにはずっと張り付いているのは苦ではなかった。Twitterさえあれば次から次へと面白いコンテンツが溢れてくる。Twitterさえあれば永遠に暇をつぶせる自信と信頼すらあった。
確かに永遠と思っていたが、案の定ちゃんと限界はやってきて、ある日、Twitterに流れている文章のすべてが嫌になった。
今までTwitterに費やしていた時間を、何か別に有意義なことに使いたい、そんな意識高い欲すら出てくるようになった。時間と心にぽっかりと穴が空いた私はそれを埋めるためのすべを探した。Twitter見てる暇あったら本でも読め。心の声が聞こえた気がした。本棚で退屈そうに収まったままの「こころ」のことを思い出した。同時に「こころ」を読めなかった高校生の頃の自分の心も思い出した。それでも不思議と苦手意識や挫折の懸念は少しもなかった。私の中に残っていた先生の言葉に背中を押されて、大人になった私は「こころ」を開いた。
ツイ廃の私が夏目漱石を理解するのは、読解能力的にかなり厳しかった。それでも「面白くない」とは思えず、1つの文章を二度三度読み込み、咀嚼し、頭をフル回転させどうにか読み進めていった。活字を読むリハビリに夏目漱石は相応しくない。

 「こころ」を読める日と読めない日があった。読めるときでもせいぜい10頁進めば良い方で、読めない日はとことん読めなかった。集中できない。私は無理をしてでも読むことはしなかった。「こころ」と向き合いたかったのだ。頭が「こころ」を拒絶するのならば、読めるときが来るまで待とう。雑多な音が飛び交う部屋の中でPC画面にしがみついていた私とは別れるために、次第に「こころ」を読むだけのために環境を整えるようになった。
環境整備だけじゃどうにもならない問題も山ほどあった。馴染みのない単語には注釈がついておらず、知っている単語にはついている。私の知能と知識と想像力ではまったく敵わなかった。世の中の読書家は、こんな単語は当たり前に知っているのだろうか。この注釈を添えた人物は、読者にどの程度のレベルを想定しているのだろうか。私は知らない単語が出てくるとそのまま読み進めることはせず、本を閉じ、Google先生に聞いた。

 「中 両親と私」を読み始めるころには、一日で読める頁数が増えた。私は確かに「こころ」の魅力に取り憑かれていた。早く先が読みたい、その一心で難解な文章とも少し仲良くなれた。
読み終えるために2週間ほど使い果たした。読後胸に抱いた気持ちを率直に言葉にするのならば、まるで期待外れだった。折り返した辺りから大オチへのワクワクが高まったが、そのハードルはあまりにも高かった。私は「こころ」に望みすぎた結果勝手に振り回されたのだった。そして同様に勝手に自分の人生と似ているな、と思った。「先生」に出会ってからの一年も、私は私の人生や未来や様々なことへ他力本願にハードルを上げ続け、結果振り回されるどころか、見事に振り落とされた。そしてそれは結果や終わりではなく、ハードで真っ暗な道の始まりとなってしまった。
その道を進んだ先にいるのが大人になってから「こころ」を読むような、そんな今の私である。

 「こころ」に落胆した私は再度先生のことを思い出し、これを書こうと決心した。私と先生の思い出は、「こころ」にまつわるこの一件が私の記憶の中で最も存在感を放っている。他にも細々とした思い出会話も思い出せなくはないが、大抵は「先生」が「生徒」を心配するようなやり取りで、「心」に踏み込んだのは、ほとんどなかった。
とはいえ先生はまだ生きているし、今も高校生の前で教鞭を振るっている可能性が高い。なので会おうと思えば会えるけれど、会う用件もなければお互いに会いたくなるほどの情動もないだろう。会ったところで私がまず伝えたいのは、「先生のクラスで卒業できなくてごめんなさい」という情けない謝罪である。先生に対して頭を下げることに抵抗はないが、くだらないことだと思う自分もいて、それだけのために時間を割いて会いに行きたくなるほど良い生徒でもない自分もいる。せめて、先生に嬉しい報告ができたなら、再会の価値も上がるだろうけれど、私は未だに先生の尽力に答えられなかったことに後悔するだけで、自分の力で何かを掴み取れたこともない。それなのになにも無い自分という醜態を晒すことに恐怖を抱く駄目人間の一員なのだ。

 慣れない筆を取りこうやって感想文をひねり出してみても、どうも私に文才はまるでなく、文才を養うような努力もせず、そしてなによりもお行儀よく書きすぎているなと痛感した。夏目漱石を読んだ私は小難しく書こうとして、出来上がったポンコツな文章を見返して反省を通し越して嫌悪すら生まれた。でも、せっかくなので残してみる。なにがせっかくなのかはよくわからないし、誰にもわからないだろう。酔狂かもしれないがほぼ自己満足だ。

 読みえ終えた「こころ」の巻末に挟まれたチラシには、「ナツイチ2010」と書かれている。まるでタイムカプセルのようだな、なんて柄にもなくロマンチストぶった。そして2023年初夏の私が、「こころ」を通して過去をドラマチックに仕上げた。誰も読まないかもしれないし、誰の記憶にも残らないかもしれない。書いた私でもいつか忘れる日が来るだろう。


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