ヴィレッジヴァンガードとイオンモール
ヴィレッジヴァンガードは、昔はもっと面白いお店だったらしい。らしいというだけで、詳しくは知らない。地方出身の子どもだった私にとって「ヴィレヴァン」は、アメリカの変なキャラクターのグッズや、細かい大量のキーホルダーが所狭しに並べられている、ちょっと薄暗い雑貨屋さんといったイメージだった。
店の奥の方に本がおいてある、というふうに気がついたのは少しあとだった。いろいろな本が角の方においてある。誰かが立ち読みしたあとに手元を見ずに戻したような、乱雑になっている部分も多くあった。
高校生の時に丸尾末広の「少女椿」やイラストレーターの画集を買ったのもヴィレヴァンであったことを覚えている。巷の本屋さんでは売っていないような(あるいはひっそりと売られているような)本を全面に出して売っている店だった。
ところが、これよりも昔のヴィレヴァンはもっと文化度が高かったのだという。冒頭で述べた通り、私はそういう時代・場所を知らない。地方育ちだし、東京に出たときはヴィレヴァンの売上が低迷しているニュースが出ていた。
私がその「昔のヴィレヴァン」の噂を知るのは、ツイッターでたまにヴィレヴァンの話題が登場するからだ。昔は「本屋」として機能していたのに、今はキャラクター商品や雑貨ばかり、店員のサブカル知識も落ちてきていると。
ヴィレヴァンはもっと「違う」店だったらしい。サブカルの知識がある人が大喜びするような~少なくとも流行のキャラクターグッズとかではない~ものをたくさんおいてあったと。
私はこの手のネットの話は話半分で聴くことにしている。やっぱりネットの話は信憑性が薄い。ただし、データをあとから見るのでは分かりづらい、生の感覚や雰囲気があると思っている。
これを「あ、本当だったんだ」と知ったのは、作家の花田菜々子さんが書いた「出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと」という本を読んだときだ。
正確には第2️章の「私を育ててくれたヴィレッジヴァンガード、その愛」で吉田さんとのエピソードを読んで、だ。花田さんは実際にヴィレヴァンの店長をやっていたので、店の方針の変更、企業としての風土の変化に悩まされたことが描かれている。なんせ初期はタトゥー入れていてもOKだったらしいので、今のイオンモールに入っているヴィレヴァンからは想像がつかない。
そう、イオンモール。先述のツイッターでのヴィレヴァンの話題において、文化の破壊者として悪者にされるのがイオンモールだ。大きなイオンモールにたいてい、ヴィレヴァンは店を構えている。そういうところに出店して事業を拡大した結果、ヴィレヴァンが漂白されてしまったというのだ。
実際、そういう部分もあるのだろう。イオンは巨大資本だし、大きすぎるものは周囲とのバランスを崩す。文化なんて繊細なものはフッとなくなってしまうだろう。
大きなスーパーができた地域で、地域密着型の小さなスーパーが潰れ、大きなスーパーが気まぐれに撤退したあとには何も残らない…。なんて話も聞く。その代表格として、イオンモールは目の上のたんこぶのように嫌味を言われることもしばしば。
文化、得にサブカルチャーは人と違うことがステータスだったりするので、均一なものの集まりであるイオンモールはよく思われないのはもっともである。
何事も、デカくなりすぎるとバランスが悪くなるものなのだ。人間そのものはでかく経って2メートルくらいなのに。独自なものは弱く、儚い。どこで買い物をするか、足を運ぶかで、世の中は変わっていくのだ。